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第十一章 背後の敵
7 脱出
しおりを挟む「えっ。ま、魔塔へですか? 今から?」
シディは思わず、トカゲの顔をもつ魔導士に聞き返していた。
皇宮へ出向いたインテス殿下を見送って一刻ほどが過ぎたころ、足早にやってきたラシェルタが「急ぎ、お出かけの準備を」と進言してきたのだ。しかも行き先は魔塔だという。聞けばこれはインテス様からのご命令でもあったという。
「ここ離宮も普段であれば決して手薄というわけではありませぬが。少し妙な動きを感知いたしましたゆえ」
「妙な動き……?」
「離宮の外に、疑わしい魔力の流れを感じまする。オブシディアン様もお感じになりませぬか?」
「え、ええっと……」
正直、それはよくわからなかった。
本当のところ、この帝都にはずっと前から不穏な空気、不快な臭いが漂っている。人々の悪意であるとか陰謀であるとかいったものには、独特の悪臭がするものだからだ。
以前からいやな臭いのする街だったけれど、近頃さらにそういう感じが強まっている。そういう感覚はあった。それが今さらに強まっているかどうかまではわからなかったけれど。
正直にそう言ったら、ラシェルタはうなずいた。
「左様にございましたか。もしも神殿の者らと皇太子の手勢が結託して襲ってくるようなことがあれば、万が一ということがありまする。あなた様を奪われるようなことがあれば、インテグリータス殿下の動きが取れなくなりまする」
「あ、はい……」
「どうかともに、魔塔へお隠れくださいませ。あちらならば十分な守りの備えがありまする。離宮のすぐ外で奇妙な動きが少しでもあれば逃げるようにと、これはインテグリータス殿下からの強い要請でもありまするゆえ」
ラシェルタがまるで貴人に対するように頭を垂れている。最初のうちから慇懃な態度の人ではあったけれど、気のせいかあの戦い以降、この魔導士は前よりもずっとシディに対して丁重な態度をとるようになった。
シディは戸惑いつつも、隣に立つ武人を見上げた。
「あの。これってティガも聞いてた?」
「はい。承っておりまする。どうか、お急ぎくだされたく」
ティガリエもきりりと腰を曲げて頭を下げた。
「そうか……。わかった」
「では。すぐにも《跳躍》魔法を起動しまする」
ラシェルタは詠唱をすることもなく、まず自分たち三人に《隠遁》の魔法をかけた。これで自分たちの姿は人の目には見えなくなる。次いで広いテラスへとシディを誘うと、そこで《跳躍》の魔法を使った。
周囲の景色が、まるで鳥が飛びあがったときのように下方へ飛び去っていき、腹の中身がぐん、と下へ引き下ろされるような不快感が一瞬襲った。が、さすがにシディももう慣れている。
と、下界に奇妙な動きがあった。
「あっ。あれは……!」
まちがいない。離宮の入り口やそれ以外の場所から、次々に侵入していく曲者の姿があった。武人らしいのもいれば魔導士らしい出で立ちの者もいる。みなフードつきの長いマントに身を包んでいるが、足取りや身のこなしからして一般的な盗賊と違うのは明らかなようだった。
「間一髪にございましたな」
「うむ」
ラシェルタとティガリエが静かな瞳で目配せをし、うなずき合う。
「……あの。離宮にいる人たちは大丈夫なんでしょうか」
「いざとなれば極力抵抗はせずに逃げるようにと伝えてはありまする」
答えたのはティガリエ。
「え、でも──」
「あの中に密偵がおらぬとも限りませんでしたゆえ。大っぴらに命ずることはかないませんでした。どうかお許しくださいませ」
「そんな……」
それでは、傷つけられない保証はなにもない。
シディの居場所を厳しく問われて、拷問されるような者もいるかもしれないのに。
心臓がどくん、どくんと早鐘を打ち始める。
「……やむを得ませぬ。今はなるべく、みなの無事を祈るほかは」
「大丈夫。幸い、逃げ足は速い者ばかりにございまする。オブシディアン様はまず、ご自身の身を守ることだけをお考えいただきたく」
「は、……はい……」
シディは阿鼻叫喚の始まった下界を見下ろしつつ、ただ震えながら、首にかかった金と紫の首飾りをぎゅっと握りしめるほかはなかった。
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