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第十章 決戦
5 咆哮
しおりを挟む(えっ……?)
シディは恐るおそるその力の源をさぐった。
それはまぎれもなく、シディが首から掛けていたあの首飾りから放たれている光だった。
(うわわわ……!?)
おろおろしているうちにも光はどんどん強さを増し、周囲を取り囲んでいた《闇》を打ち払っていく。嘘のように体の自由がきくようになり、耳や鼻の感覚も戻ってきた。
シディは何度か深呼吸を繰り返した。イヤな臭いはもう微塵も感じない。これもまた、この首飾りに掛けられた保護魔法のおかげのようだった。
脳の中心できらきら光っているあの温かな存在は消えていない。むしろどんどん強まっている。シディは気合いを入れ直し、あらためてその存在に神経を集中させた。
(こっちか……!)
望んだだけで体が素晴らしい速さで移動を始める。まるで空でも飛んでいるようだ。不思議なことに、《闇》どもが光の翼を広げた自分の前に、海が分かれるようにして道を作っていく。まるでこの光に恐れをなしたように。シディは何も考えず、ひたすらその道を突き進んだ。
時間と空間の感覚が完全に狂っているため、どれほど進んだのかは分からなかった。大した疲労も感じなくなっているので、余計にわからないのだ。だが、それを見つけたのはかなり飛んでからのことだった。もしかしたら数日も掛かったのかもしれなかった。
(あれか……!)
そこは《闇》ばかりがひしめいているこの世界の中で、とりわけその真っ黒な《闇》の濃い場所だった。首飾りの護りが効いていなければ、近づくことすら不可能だったにちがいない。恐らくその周囲には、ひどい悪臭と圧力が満ち満ちていたはずだったから。
シディは真っすぐそこに突進した。
黒々とした《闇》が大木の幹ほどもあろうかというヘビのような姿で、ある一点にぐるぐるに巻き付いて巨大な塊を生成している。全体は恐らく、皇帝の城ひとつぶんほどもあるだろうか。その中心から、間違いようのないあのかぐわしい匂いが漏れでてきていた。
「インテス様……っ!」
シディは無我夢中でその塊にとりついた。爪を立て、必死にその中へもぐりこもうとする。が、《闇のヘビ》の胴体はみっちりと硬く結びついていて、とても入り込めない。シディはそれでも、その表面を力の限り蹴りつけ、殴りつけ、爪をたてて掻きむしった。
「出せ、このやろうっ! インテス様を、インテス様を返せええええっ!!」
普段は使いもしない、あらんかぎりの罵詈雑言を浴びせつつ暴れまわる。防護魔法が効いているにも係わらず、やがてシディの腕も足も自分の血にまみれはじめた。が、痛みは感じない。そんなことはどうでもよかった。
しかし何をどうやっても、《闇》の塊はびくともしない。またもや、次第にシディの心を焦りと絶望が支配しはじめた。
(どうしよう。ここまで来たのに)
このままインテス様をお救いできなかったらどうしよう。
あちら側の世界では、まだあの《荒布》が機能しているはずだ。それを当初の計画通り、セネクス様たちが協力して守り、口を閉じた状態を維持してくださっている。
だがもしここでシディがしくじり、命を喪うことにでもなったら。術師を失った《荒布》は消え去って、ふたたび世界を《闇》が攻撃しはじめるだろう。《半身》をふたりとも失った世界があれに対抗する術はもうない。そうしたら、世界はひたすら滅亡にむかって進み始めるばかりだ。
(そんな。そんなこと……)
させない、と胸の中心が叫ぶ。
シディの耳の奥にセネクス様の言葉が甦った。
──『そなた。まことに『この世界を救いたい』と望んでおるかの?』
『ここじゃ。ここから自然に満ち溢れ、求めてたまらぬ望み。なにを措いてもやらずにはおられぬ衝動。……結局そうしたものが魔導士の前に立ちはだかる大きな壁を突き崩す源となる』──。
(オレの……望み)
インテス様をお救いしたい。
それは嘘じゃないし、自分の望みの中心で、一番大きな大きなものだ。
(……でも)
それだけでは足りない、とセネクス様はおっしゃった。
自分はもっともっと、自分を広げなくちゃいけなかった。
自分を虐げ、性の道具として使い、玩んだやつらのことは許さなくてもいいのだとしても。
それ以外の、なんの罪もない子どもたちまで、世界の破滅に付きあわせてしまってはいけない。
(強くなりたい)
それだけじゃなく、もっともっと、優しい人でありたい。
セネクス様のように。
そして、インテス様のようにだ。
それが自分にちゃんとないから、インテス様をこんな目に遭わせることになってしまった。
──だから。
(今度こそ。……今度こそ!)
ぐううっと腹に力をこめる。
そして胸の奥の奥にある、自分自身の本当の「心」と向き合った。
(オレは……救いたい。インテス様を。それから……世界のみんなを!)
「ううっ……ウオオゥ……ウオオオオオオオ──ン!」
シディは知らなかった。
そのときの自分が、自分の叫びが、いつしか巨大な狼の咆哮に変わったことを。
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