99 / 209
第九章 暗転
10 壁
しおりを挟む(そうだったのか……)
首飾りを両手に包み込むようにして、シディはじっとその宝玉を見つめた。深みのある紫色の石。奥の方には光が閉じ込められていて、それが角度によってきらきらときらめいている。……これを見ていると胸が痛い。あの人の優しい目をどうしても思い出してしまうからだ。
(だけど、それだけじゃなかった)
ここにはインテス様のお気持ちが籠められていたのだ。シディが考えていた以上に。
「あの、でも──」
あのとき、《皿》から現れた腕が殿下を襲ったとき。これはまったく何の反応も示さなかった。
それを問うと、師匠は「うむ」と難しい顔になった。
「それはお主を護るためにのみ発動するよう調整されておる。残念ながら先日の事件の時には発動せなんだが、恐らくそれは、かの者が狙ったのが殿下のみであったからであろう」
「そんな……」
そんなの、なんの意味があるんだ。
「じゃが、もうひとつの理由があるようじゃ。これはそなたの魔力技術がいまひとつ壁を越えられぬ理由にもつながろうと思うのじゃが」
「えっ。それは……」
「あいや。誤解するでないぞ。先般も申したとおりじゃ。この短期間で、そなたは非常な成長を遂げておる。この条件で考えれば十分以上の働きをしておることは間違いない。じゃが……《半身》であればさらに強大な能力を発動させられるはずなのじゃ。それもまた、間違いではない」
「そ、そうなんですか……」
と、セネクス翁は突然威儀を正した。そうして非常にまじめな顔でまっすぐにシディの目を見つめてきた。
「そなた。まことに『この世界を救いたい』と望んでおるかの?」
「……え?」
がつんと頭を殴られたような衝撃。
と同時に、部屋が一段暗くなったような錯覚が襲ってきた。
(どういう、こと……?)
もちろんそう思っている。いや、そう思っていた。
インテス様だってそうすることをお望みだったし、ほかのみんなだって──
セネクス翁はそんなシディの動揺を余すところなくじっと観察する目で見つめていた。
「『殿下やほかの者がそなたにそう望んだから』。それも間違いではない。だが、それだけでは不十分じゃ。動機がただそればかりなのであれば、それは少うしばかり足りぬ、と言わざるを得ぬぞよ」
「え、あの──」
「よいか、シディ」
言って師匠はシディの首飾りの上からそっと胸に手を当てた。
「……ここじゃ。ここから自然に満ち溢れ、求めてたまらぬ望み。なにを措いてもやらずにはおられぬ衝動。……結局そうしたものが魔導士の──いや、魔導士だけのことではないが──前に立ちはだかる大きな壁を突き崩す源となる。人がひと皮剥けるとき、ひとつの壁を越えるとき。その者の胸には必ずそれがあるものじゃ」
「…………」
シディはうつむいた。
正直、こうして問われるまでそんな風に真剣に考えてみたことがなかった。
自分に本当にそんなものがあったか、と真正面から問われたら。
それは……それは、申し訳ないけれど「なかった」と答えるしかないのかもしれない。
大好きなインテス様や、優しく頼りになるティガリエやレオ、インテス様など、周囲の素敵な人たちがそう望んでくれたから。シディには今まで、そんな風に自分を望んでくれる人なんていなかった。だからそれだけで十分だと思っていたのだ。それなのに。
「誤解せぬようにたのむぞよ、シディ。そなたを責めるつもりは毛頭ないのじゃ」
シディはただ困って俯いたままだ。
「そなたの来歴については殿下からお聞きしておる。これまで、そなたを食い物にし、ひどい目に遭わせる男どもばかりに会ってきたそなたに『この世界を心から愛せ』などというのは酷なことじゃ。それは理解しておるつもりじゃよ」
「し、ししょう……」
シディの声は涙に歪んだ。セネクス翁の顔が涙に滲んでいく。
「無理もないことなのじゃ。左様な目に散々に遭ってきたそなたに『世界を救え』などと言う。土台おかしなことなのじゃよ。勝手なものじゃ。……そうとわかっておっても我らは、《半身》たるそなたに望みをかけるほかはない。まことに申し訳もなきこととは思うておるが……」
この通りじゃ、と言ってセネクス翁が頭を下げてくる。
「いえ。いえっ……! やめてくださいっ」
シディは必死で、ぶんぶん頭を左右にふった。
「そんなこと、言わないでくださいっ……。オレだって、自分でやりたいと思ってやってきました。これでも……ちゃんとみんなを、救いたいって」
「わかっておるよ。それが間違いでないことも、よくじゃ」
小さな手がのびてきて、背中をとすとす叩いてくださる。
それでもう、シディの目は決壊した。
セネクス様は咽び泣いているシディの頭を小さな体で抱きかかえて、いつまでも背中を撫でてくださっていた。
0
お気に入りに追加
185
あなたにおすすめの小説

狂わせたのは君なのに
白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。
完結保証
番外編あり

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

皇帝陛下の精子検査
雲丹はち
BL
弱冠25歳にして帝国全土の統一を果たした若き皇帝マクシミリアン。
しかし彼は政務に追われ、いまだ妃すら迎えられていなかった。
このままでは世継ぎが産まれるかどうかも分からない。
焦れた官僚たちに迫られ、マクシミリアンは世にも屈辱的な『検査』を受けさせられることに――!?
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる