白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第九章 暗転

6 悔恨

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「ならぬぞ、シディ」

 翁の声はごく柔らかではあったが、ひどく毅然としたものだった。とても言い返す隙など見いだせないほどの、不思議な気迫を放っていた。

「『おのれだけが努めておれば勝てた』。そのように申すのは傲慢とは言わぬのかの? ほかの者らの働きを過小に評価し、見誤っておることにはならうかのう?」
「そ、それは……」

 シディはぐっと言葉につまった。
 そんなつもりはなかった。決して。
 それでようやく、セネクス翁が沈黙のうちに目で示している、背後のティガリエやラシェルタのことを思い出した。……恥ずかしいことに。当のふたりは特に何の反応も示さない。ただ控えめな瞳で、じっとシディを見つめているだけだ。

(そうだ)

 あのとき一緒にいたレオや兵士たち、魔導士たちだって全力を尽くして戦ってくれた。「あの失態はすべて自分のせい」と言い切ってしまうのは、ときに傷つきながら、あるいは命を捨ててまでも必死に戦ってくれた彼らに対して、とても失礼なことだったかもしれない。
 シディは急に身の置きどころのなさを覚えて真っ赤になり、うつむいた。「恥じ入る」とはまさにこんな感じのことだろう。

「ご……ごめんな、さい……」
「いやいや。謝らずともよいがの」

 翁は厳しくなっていた瞳をもういつもどおりのものに戻し、手元の茶をのんびりとすすっている。

「成ってしもうたものは、成ってしもうたもの。仕方のないことよ。『それはそう』とただ飲み込むほかはない。無論、悔やむのが悪いとは言わぬ。失敗と反省は、次の成功の種じゃからの」
「はい……」
「じゃが、ただ悔やむのみでは、希望のある行く末を見失いかねぬぞえ」
「…………」

 シディはさらに肩を落とした。が、イタチの師匠はむしろそんなシディを見てにこにこするのだった。

「ささ、まずは茶でも喫するがよい。せっかくの茶が冷めてしまうわい。のう?」
「は、はい……」

 答えて、ひと口いただく。それはこちらで世話になっていた間何度も供された、草の香りのする爽やかな茶だった。ほっとするとともに、肩に入っていた力が少しずつほどけていくのを感じる。
 勧められて、ティガリエとラシェルタも席につき、同じように茶をいただいた。
 部屋にはしばしの沈黙がおりた。
 やがてそれを、ぽつりと落としたシディの言葉が破った。

「……オレ、どうすれば……いいんでしょう」
「さてさて。それよな」

 セネクス翁は穏やかな表情をくずさぬまま、すこし窓外を眺める様子だった。

「殿下の気配をまったく感じられぬようになった、と申すのはまことかの」
「……はい」
「思うにそれは、そなたが幼きころ、例の事件の際に海の精霊によって隠されたときと酷似しているようじゃが」
「あ……」

 はっとして目をあげた。
 そうだ。インテス様は以前おっしゃっていた。子どものころ、急にこの世界から《半身》の気配が消えたと。そのときはひどく悲しみ、泣いて部屋に閉じこもっていたのだと。

(そうか……。あの時と同じなんだ)

 ということは。

「も、もしかして……。インテス様は生きておられるかもしれないと?」
「左様。少なくとも、その希望は捨ててはならぬ」
「師匠……!」
 翁は穏やかながらもしっかりとうなずいてくださった。
「よいか。そなたが諦めてはならぬのじゃ。ほかの誰が諦めようとも、そなただけは《半身》の無事を信じ、祈り、追い求める必要があろう。……かつてのインテグリータス殿下がそうなさったようにじゃ」

 シディは少しの間考えこんだ。
 今も世界にはあの《黒い皿》が健在だ。あれを放置しておけるわけではない。
 しかし今の自分だけでは、あれを封印するのはきっと無理だろう。
 それに──

「……師匠」
「うむ」
「オレを、もっと鍛えてください。もっともっと……ひとりでも、なんとかあの《皿》を封印してしまえるぐらい」
「……うむ」

 優しいイタチ顔がにっこりと微笑んだ。

「それから……。できればオレは……オレも、あっちに行ってみたいと思います」
「うむ?」
「オブシディアン様。それは」

 口を挟んだのはティガリエだった。思わず腰を浮かせている。普段は表情のわかりにくいラシェルタも、やや目を見開いてシディを凝視している。これはかなり驚いたときの顔だった。

「もしかしたらダメかもしれない。全部ムダなことかも。でも、オレ……やってみたいです。もしかしたらまだ、殿下はあそこにいらっしゃるかもしれない。いや、オレはそれを信じます。いや、信じなくちゃならないんだ」
「……うむ」

 翁は満足げにうなずいた。

「無論のことじゃ。もちろん、魔法の手ほどきは致そう。これまで以上に厳しい修行となるが、耐えられるかのう」
 シディは膝の上の手をぎゅっと握りしめた。
「もちろんです。絶対に音をあげたりしません」
「うむ。重畳なり」

 そのとき、気のせいかもしれなかったが、翁の目はそっとシディの胸元を見ていたようだった。シディの胸で揺れている、紫の宝玉をはめ込んだ首飾りを。あの方の瞳と同じ色をした宝石を。

「《皿》の討伐は続けます。でも、もし許されるなら」

 それらの《皿》を使って、なんとかしてインテス様を探しにいく。
 あちらの世界へ。

 そしてきっと、必ず。
 かのお方をお救いするのだ──。
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