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第九章 暗転
4 あの方の気配
しおりを挟む『ふざけんなよ、てめえら』──
その時レオは、獅子としての唸り声とともにそう言った。もはや地を這うがごときドスの効いた声だったらしい。
神官たちを睨みつける眼光のすさまじさといったら、気の弱い者ならその場で気絶するかも知れぬほど苛烈なものだったという。
レオの怒気はほとんど地面を震わせ、周囲の空気を歪ませるほどのものだった。先ほどまで聞こえていた小鳥の声や虫の気配がいつのまにかぴたりと止み、周囲はひどく静かになっている。
兵や魔導士のうち敏感な者らはこれを目にするだけでも体力を奪われるのか、微妙に視線をそらせて黙りこんでいる。中には地面の上にありもしない何かを探し求めるような素振りを見せる者もいる。
レオは神官たちの前に仁王立ちとなり、恐ろしい目で三人を見下ろしている。
体格では負けないはずのゴリラの神官アクレアトゥスですらレオの気迫に圧され、こめかみに脂汗をにじませて青ざめていた。
大剣の柄を握ったレオの指がしきりにぴくぴく震えていたが、それは彼の「今すぐこいつらの首と胴を斬り離してえ」という欲求を雄弁に物語るものだった。
すぐ目の前にいる神官たちにそれが伝わらぬはずがない。
「どんだけ厚顔無恥なんだ、ああ? この事態を招いたのはだれだと思っていやがる。貴様ら、このままじゃおかねえから覚悟しとけや。おい!」
レオがぞんざいに顎をしゃくると、手下の兵らが即座に近づいてきて神官たちを後ろ手に縛りあげた。神官は魔法を使えるので、縄を緩められぬよう、魔導士たちがさらに《緊縛》の魔法を上掛けしている。
「なっ、なにをするっ」
サルの老人シィミオが真っ赤な顔になり、キイキイした悲鳴をあげた。ゴリラの男は唸り声をあげ、ダチョウの女はギイギイと文句を並べたてている。
「やかましい。言いてえことは皇帝の前で言え。あんまりうるせえと猿轡も咬ませんぞっ」
「うぐっ……」
彼らの部下である一般神官たちは、兵と魔導士たちから威嚇されておろおろするばかりで、特に反撃する様子はなかった。
そのようなわけで、神官たちは囚人さながら、きつく縛られて引きずられるように帝都へ連れていかれたらしい。
シディは慌てて寝台からおりようとした。
「おっ、オレも、行かなきゃ──」
「なりませぬ」
「えっ。ティガ、でも──」
「帝都は必ずしもあなた様のお味方ばかりがいるわけではありませぬ。以前であればインテス殿下のご威光により十分守られていたはずのところなれど、今はそうではありませぬ。むしろ危険が増している」
「そ、そんな」
「レオは申しました。決してオブシディアン様を帝都に連れてくるな、と」
さらにレオはこう言ったそうだ。
いまだに帝都では「黒は忌み色」という認識が根強い。もちろん神殿が長年かけて言いふらし、定着させた間違った認識にすぎないけれども。しかし、それを信じる人々にとってはそれが真実になってしまうものなのだ。
さらに王侯貴族らの中にはシディを手に入れてなにがしかのうま味を得ようと画策する、不届きな奴らもいる。今の状況でシディを帝都につれ帰るのは危険度が高い、と。
「で、でも。じゃあ」
自分はいったいどうすればいいのか。
まだ各地に残っている《黒い皿》は討伐しなくてはならない。そうしなければこの世が滅ぶとインテス様はおっしゃった。そんなことはさせられない。それにこれは、インテス様ご自身の望みでもある。
しかし自分ひとりでは、恐らくなにもできないだろう。《半身》であるインテス様がおられたからこそ、魔力の調節ができたのだから。
「ここはひとつ、魔塔へお戻りになるのはいかがでしょう。今後のことも含め、セネクス翁にご相談なさるのが一番ではないかと」
「う、うん……。そうだね」
シディは肩を落とし、寝具の上掛けを握りしめた。
なんて頼りないのだろう、この両手は!
「あの……ティガ」
「はい」
「ティガはどう思う? インテス様はどうなったと、思う……?」
ティガリエは考え深げな夕陽色の瞳で、しばしじっとシディを見返した。
「……わかりませぬ。自分などにはとても」
「そうか……」
こてんとうつむく。
「ですが、あなた様はそうではないのでは?」
「えっ?」
ぱっと顔を上げると、まともにティガリエの目を真正面から見ることになった。
「あなた様は《救国の半身》。《半身》同士は遠く離れていても互いの気配や匂いを感じとると言われております。実際インテス殿下もそのように──」
「あ……うん。そうなんだけど」
あれ以来、シディにはインテス様の匂いはおろか、気配のかけらすらも感じとれない。今も必死になって五感を研ぎ澄ませてみているけれど、やっぱりなんの反応も感じられなかった。その事実がますますシディを混乱させ、不安にさせる。
やっぱりあの方は消えてしまわれたのか。もう二度と、お会いすることはできないのか──
「……オブシディアン様」
つらそうな声に呼ばれて目をあげた。
それで初めて、自分がぼたぼたと涙を落としていることに気がついた。
「あっ、う……」
慌てて両手でごしごしふき取る。だがあまり意味はなかった。拭っても拭っても、それは勝手に生まれてこぼれ落ちていったから。
「ご、ごめんなさい。オレ、こんな……泣いてる場合じゃないのにっ……」
だがティガリエは、ただ黙って首を左右に振っただけだった。
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