白と黒のメフィスト

るなかふぇ

文字の大きさ
上 下
91 / 209
第九章 暗転

2 違和感

しおりを挟む
 最初のうち、それは大した違和感ではなかった。
 だが次第しだいにシディの胸に不思議な焦りが生じはじめた。

(……おかしい。なにか、変だ──)

 でも、いざ「なにがどうおかしいのか」と訊かれたとしてもうまく答える自信がなかった。
 胸がざわつく。首の後ろの毛が逆立って、全身がざわざわする。背筋が熱くなったり冷たくなったりを繰り返す。
 それでも《壺》への魔力供給は続けていく。溢れでる魔力の糸がインテス様の技術で編みあげられ、大きな漁網のようになって《皿》を包み込み、縮小させ始めている。
 始めてからずいぶんと長い時間が経っていた。よくわからないが、恐らく二刻は過ぎている。

 ……なにも問題はない。そのはずだ。ここまでは。
 対象がいつもより巨大だとは言っても、順調に《皿》の大きさを縮めているし、彷徨い出てくる魔獣にもレオたちがちゃんと対処してくれている。《半身》に対しては非常に非協力的な神官団も自分たちの魔力を注いで作戦にきちんと寄与している。見たところ何の問題もないようだ。

 しかし、シディの胸の鼓動はどんどん変な打ち方を強めていく。
 なにかがおかしい。このままではダメだ。
 なにかが非常に危険な気がする。

 それはもう理屈ではなかった。
 ほとんど本能的な叫びだった。
 なんとかこの違和感をみんなに伝えなくては。
 シディはどうにかこうにか、からからになった喉から声をしぼり出した。

「……い、インテスさま。インテスさまっ……」
「どうしたのだい、シディ」

 さすがインテス様は冷静だった。究極まで集中力を求められる技をおこなっていながらも、シディの言葉を聞きのがすなんてことはなさらない。両腕を前に上げた格好のまま、目と耳はこちらに向けてくださる。

「な、なにか……変、ですっ」
「えっ? なにがだい」

 インテス様の目が驚きに見開かれたが、それは決してシディの感覚を疑っているからではなかった。慎重に周囲を見回し、兵らや魔導士たち、神官団の様子を見やってまたシディを見る。

「なにか不安なことがあるのか? レオに伝えた方がよいか」
「は、はいっ。お願いします……!」
「レオ!」
「なんだッ。なんかあったか」

 インテス様の叫びに、耳のいいレオはすぐに反応した。
 今しも、飛び出てきた翼のある竜のような魔獣をばさりと斬り伏せたところだったが、黒くて臭い体液にまみれながらも即座にこちらを振り向く。

「シディが、何かおかしいと言っている。一旦、攻撃を中断して──」
「なりませぬッ」

 インテス様の声を遮るように、右から甲高い声が響いた。高位神官、サルの顔をした人だ。確か名をシィミオと言ったか。もともと赤い顔を真っ赤にして、彼も両腕を《皿》に向かって突き出している。

「せっかくここまで多量の魔力を消費して、ここまで縮めたのですぞ。なんの問題がありましょうや。このままこの《皿》を閉じ切ってしまうまで、魔力の注入をやめるべきではないと存ずるッ」
「いや、しかし」
「だまらっしゃい!」

 老人の声は枯れ木をこするようなキイキイした叫びに変わった。

「ここでまた勢力を取り戻させれば、さらなる怪我人が出まするぞっ。殿下はそれに十分な責任がおとりになれると申されるのかッ」
「左様、左様」
「その通りにございます」

 ゴリラの顔のアクレアトゥスも、ダチョウの女ストルティも「そうだそうだ」と首を上下させている。

「左様な幼い子どもの戯れ言に耳を貸しておる場合にござりましょうや? ここは一気に畳みかけるべきじゃ。みなの魔力の損耗もはげしゅうござりますし」

 インテス様は少し黙った。その目が「どうする」とレオに問うている。この場での指揮官はレオだ。
 レオが、ちっと口の中だけで舌打ちした音が聞こえた気がした。

「損耗が激しいのは事実だ。しかし──」

 レオがそう言いかけた時だった。
 シディの中を稲妻のような何かが駆け抜けた。

(ダメだ……!)

 脳が灼ける。
 恐ろしい光景が眼前を覆う。それは一瞬の、そして一瞬後のことを教える不思議な映像だった。

 シディは咄嗟に魔力を放出していた手を引き、インテス様の衣を掴んだ。力いっぱい。

「インテスさま! ダメ! 逃げて──っっ!!」

 その瞬間だった。
 かなり小さく弱くなっていたはずの《皿》の中から、ぬうっと黒い腕が現れた。
 小さくなったとはいえ、それでも象の胴体ほどもある腕だ。真っ黒で、ねじくれた爪と針のような剛毛を生やした気味の悪い腕だった。

「あっ……」

 急に周囲で起こっていることがゆっくりになる。
 呆然としているうちに、その腕がインテス様の体を掴みあげ──
 ぐうっという悲鳴を上げるインテス様。
 怒号をあげるレオ。大剣を振り上げて腕に飛び掛かっていくが、鋼鉄のような肌に刃が何度も跳ね返される。
 ティガリエが吠え声とともに飛び掛かる。が、それもまた虚しかった。
 呆気にとられている神官たちと魔導士たち──

「インテス、さまあああああ────ッッ!!」

 しかし。
 シディが叫んだ時にはすべてが終わっていた。 
 気が付いたときにはもう、その場にはあの黒い腕も、巨大な《黒い皿》の姿も嘘のようにかき消えてなくなっていた。

 ……そしてもちろん、インテス様も。
 兵らも魔導士たちも、ティガリエもレオも、みんな呆然と、なにも無くなったその場所で立ち尽くしていた。
 その場に立ち込めていたあの胸の悪くなるような悪臭も、次第に風に吹かれて薄まっていく。
 木々を揺らす平和なそよぎと、遠くに聞こえる潮騒の音。そして小鳥が鳴く幸せそうな歌声──

(……うそ、だ……。うそ──)

 目の中が真っ赤になる。
 自分の鼓動がひどくうるさい。
 胸がいまにも裂けてしまいそうだ。

「……う、そ……。うそっ」

 ぺたんとその場に膝をついた。

「いやだ……いやだっ。インテスさまっ……いやだあああああ──っ!!」

 シディの叫びが、長閑のどかな島の景色をつらぬき、細く長くあとを引いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

狂わせたのは君なのに

白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。 完結保証 番外編あり

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話

gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、 立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。 タイトルそのままですみません。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?

下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。 そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。 アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。 公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。 アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。 一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。 これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。 小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。

処理中です...