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第八章 神殿の思惑
2 インテス隊
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「あれにございまする、殿下」
彼が指さす先にあったのは、先日見たものの数倍はあろうかという、大きな《黒い皿》だった。
以前と同様、魔導士たちが周囲を囲んで魔力による障壁で覆っているのだが、魔力不足のためかあちこちに隙間があり、その縁を体で押し分けるようにして魔獣たちが現れてきているのが見える。とはいえ、体の大きなものは通れないらしかった。出てきた魔獣はその場で他の武官や魔導士に攻撃されている。
「よし、すぐに始めるぞ」
インテス様の静かな声で、隊の者たちはすっと《皿》の前に扇形に散開した。いかにもよく訓練された動きだった。
「シディ、よいか。前の通り、落ち着いていけばよいからな」
「は、……はいっ」
言われてまたさらに緊張する。
が、そっとインテス様に耳打ちされて、いきなり赤面させられる羽目になった。
「……やはり口づけが必要かな?」
「ひえっ!? いっ、いいい、いいですっ……!」
「それは残念」
ふふっと笑ってインテス様が前を向いた。ここまで一緒に飛んできた「インテス隊」の皆が、シディを真ん中にして立ち、守ってくれる。ティガリエは自分の得物である大きな剣を抜き放っており、ラシェルタはいつでも魔撃が放てるように構えている。
「よし。ではみな、少しずつ障壁を減らしていってくれ。こちらの縁から始めるぞ」
「はっ」
場にいる皆がインテス様の声に一斉に応え、《皿》の周囲の魔力障壁がじわじわと消えていく。シディはいつものように精神を落ち着け、架空の《魔力の壺》に自分の魔力を注ぐことに努めた。
《皿》の規模が大きい分、やはり手間取ることになった。ふたりで溜めて練り上げた膨大な魔力がふんだんに《皿》に注がれていく。
(集中、集中……だ)
魔塔の師匠セネクスの言葉を何度も思い出しながら、とにかく心を平静に保つことに集中する。自分ではよくわからなかったけれども、やはり自分とインテス様の合わせ技にすることで得られる魔力は相当な質と量をもつらしい。あきらかに、周囲の魔導士たちが驚きの目を向けてくるのがわかるのだ。
空間にめりめりと不思議な音が響いている。それは《黒い皿》が出している断末魔のようなものだった。練り上げられた「閉じる魔力」が、まるで粘土に空いた穴を塞ぐようにして《皿》を周囲から閉じていく。
集中しているインテス様の横顔はどこまでも静かで、精悍だった。
かなりの時間が過ぎたように思ったが、それでも一刻もかからなかったと思う。
やがて最後の「ぷちん」というあの音が聞こえて、空間に広がっていたあんなに大きな《黒い皿》が、そこから完全に消失した。それと同時に、周囲を犯していたあらゆる悪臭や不穏な騒音、阿鼻叫喚が消失する。どうやら、《皿》が消えるのと同時に、そこから染み出してきていた闇の勢力も消えていくらしい。
「……うん。一応、ここは終了のようだな。事後の確認のため、数名を残して移動する。何かあればすぐさまレオと私に連絡を入れよ」
「はっ」
「シディ。体調はどうだ? まだやれそうか」
「は、はい。まだ大丈夫です」
シディはこくんと頷いた。この作業にも少しだけ慣れてきたかもしれない。今のところ、魔力が枯渇して倒れそうになったり頭痛がしたりという症状も出ていなかった。
本格的に魔力が枯渇してくれば、魔導士自身の命に係わる場合もあるのだ。
「よし。では参ろう。ラシェルタ」
「はっ」
ラシェルタが下げた頭を上げたときには、もう周囲にあの《跳躍》のための魔法障壁が生み出されていた。
◆
「お~う、お疲れお疲れ~」
一同が自陣の天幕に戻ったのは、その日の夕刻になってからだった。千騎長レオが悠然と現れてインテス様を迎える。幸いここまで「インテス隊」の面々で傷を負った者はなかった。
シディは慣れない魔力の大放出で、すでにかなり眠くなってしまっている。今にも瞼がくっつきそうだ。どうにかこらえてレオとインテス様が話しているのを聞いていたけれども、ほとんど内容は耳に入っていなかった。
「今日だけでふたつ閉じたってか。大したもんだ、大収穫じゃねえか」
「そうならいいのだがな。なにしろ《門》が多すぎる。明日はもう少し閉じられるといいのだが」
「それはそうだが、無理は禁物だぜ。まずは人員の命が最優先だ。わかってんだろうがな」
「もちろんだ」──
そんな会話が聞こえていたような気もしたが、あとは憶えていなかった。だれかが背後からそっと体を支えてくれたような気がするけれど。
「……オブシディアン様」
その後、ふわりと身体が浮いて誰かに抱かれ、ゆらゆらと連れていかれたようだったが、そこまでだった。意識が遠のき、何も聞こえなくなったからだ。
シディはその日、ろくに食事をすることもなく、長く深い眠りに沈みこんでいった。
彼が指さす先にあったのは、先日見たものの数倍はあろうかという、大きな《黒い皿》だった。
以前と同様、魔導士たちが周囲を囲んで魔力による障壁で覆っているのだが、魔力不足のためかあちこちに隙間があり、その縁を体で押し分けるようにして魔獣たちが現れてきているのが見える。とはいえ、体の大きなものは通れないらしかった。出てきた魔獣はその場で他の武官や魔導士に攻撃されている。
「よし、すぐに始めるぞ」
インテス様の静かな声で、隊の者たちはすっと《皿》の前に扇形に散開した。いかにもよく訓練された動きだった。
「シディ、よいか。前の通り、落ち着いていけばよいからな」
「は、……はいっ」
言われてまたさらに緊張する。
が、そっとインテス様に耳打ちされて、いきなり赤面させられる羽目になった。
「……やはり口づけが必要かな?」
「ひえっ!? いっ、いいい、いいですっ……!」
「それは残念」
ふふっと笑ってインテス様が前を向いた。ここまで一緒に飛んできた「インテス隊」の皆が、シディを真ん中にして立ち、守ってくれる。ティガリエは自分の得物である大きな剣を抜き放っており、ラシェルタはいつでも魔撃が放てるように構えている。
「よし。ではみな、少しずつ障壁を減らしていってくれ。こちらの縁から始めるぞ」
「はっ」
場にいる皆がインテス様の声に一斉に応え、《皿》の周囲の魔力障壁がじわじわと消えていく。シディはいつものように精神を落ち着け、架空の《魔力の壺》に自分の魔力を注ぐことに努めた。
《皿》の規模が大きい分、やはり手間取ることになった。ふたりで溜めて練り上げた膨大な魔力がふんだんに《皿》に注がれていく。
(集中、集中……だ)
魔塔の師匠セネクスの言葉を何度も思い出しながら、とにかく心を平静に保つことに集中する。自分ではよくわからなかったけれども、やはり自分とインテス様の合わせ技にすることで得られる魔力は相当な質と量をもつらしい。あきらかに、周囲の魔導士たちが驚きの目を向けてくるのがわかるのだ。
空間にめりめりと不思議な音が響いている。それは《黒い皿》が出している断末魔のようなものだった。練り上げられた「閉じる魔力」が、まるで粘土に空いた穴を塞ぐようにして《皿》を周囲から閉じていく。
集中しているインテス様の横顔はどこまでも静かで、精悍だった。
かなりの時間が過ぎたように思ったが、それでも一刻もかからなかったと思う。
やがて最後の「ぷちん」というあの音が聞こえて、空間に広がっていたあんなに大きな《黒い皿》が、そこから完全に消失した。それと同時に、周囲を犯していたあらゆる悪臭や不穏な騒音、阿鼻叫喚が消失する。どうやら、《皿》が消えるのと同時に、そこから染み出してきていた闇の勢力も消えていくらしい。
「……うん。一応、ここは終了のようだな。事後の確認のため、数名を残して移動する。何かあればすぐさまレオと私に連絡を入れよ」
「はっ」
「シディ。体調はどうだ? まだやれそうか」
「は、はい。まだ大丈夫です」
シディはこくんと頷いた。この作業にも少しだけ慣れてきたかもしれない。今のところ、魔力が枯渇して倒れそうになったり頭痛がしたりという症状も出ていなかった。
本格的に魔力が枯渇してくれば、魔導士自身の命に係わる場合もあるのだ。
「よし。では参ろう。ラシェルタ」
「はっ」
ラシェルタが下げた頭を上げたときには、もう周囲にあの《跳躍》のための魔法障壁が生み出されていた。
◆
「お~う、お疲れお疲れ~」
一同が自陣の天幕に戻ったのは、その日の夕刻になってからだった。千騎長レオが悠然と現れてインテス様を迎える。幸いここまで「インテス隊」の面々で傷を負った者はなかった。
シディは慣れない魔力の大放出で、すでにかなり眠くなってしまっている。今にも瞼がくっつきそうだ。どうにかこらえてレオとインテス様が話しているのを聞いていたけれども、ほとんど内容は耳に入っていなかった。
「今日だけでふたつ閉じたってか。大したもんだ、大収穫じゃねえか」
「そうならいいのだがな。なにしろ《門》が多すぎる。明日はもう少し閉じられるといいのだが」
「それはそうだが、無理は禁物だぜ。まずは人員の命が最優先だ。わかってんだろうがな」
「もちろんだ」──
そんな会話が聞こえていたような気もしたが、あとは憶えていなかった。だれかが背後からそっと体を支えてくれたような気がするけれど。
「……オブシディアン様」
その後、ふわりと身体が浮いて誰かに抱かれ、ゆらゆらと連れていかれたようだったが、そこまでだった。意識が遠のき、何も聞こえなくなったからだ。
シディはその日、ろくに食事をすることもなく、長く深い眠りに沈みこんでいった。
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