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第七章 闇の鳴動
6 魔力障壁
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獅子の男はレオといい、インテス殿下とはなんとなく、不思議に気の置けない雰囲気を醸し出していた。
ほかの武官たちはティガリエはじめみんな殿下には当然敬語を使うのに、彼だけはなぜかひどくざっくばらんな言葉遣いだ。聞いていると、まるで下町の飲み仲間が話しているかのようである。それをまた、インテス様も不快そうにもせず、当然のように聞いているのが不思議だった。
もしかしたら昔馴染みなのかもしれない。シディはちょっぴり羨ましい気持ちになりつつも黙っていた。
レオはティガリエが着ているものよりもずっと質の悪そうな古い革鎧を身につけている。籠手や脛当ても見るからに使い込まれている感じだ。ただ背負っている大きな剣だけは、無骨な造りながらティガリエのものよりも大きいようだ。
ひとしきりインテス殿下と肩をたたきあうなどしてから、男の金色の瞳がひょいとシディに向けられた。
「んで、こっちが例のお前の《半身》ってわけかい?」
「ああ、紹介する。オブシディアンだ。シディ、これはレオ。一応、帝国軍の千騎長をやってくれている」
「おいおい、『一応』はねえだろうがよー。別にこっちは頼んでねえぜ? んなしちめんどくせえ肩書はよ~」
男が苦笑しつつも突っ込んでいる。
なんとなく尻込みして後ろにさがっていたシディの背を、インテスさまの手が押し出してしまった。見事な鬣の大男に見下ろされて、身体全体がきゅっと音をたてて縮んでしまう。
「ほーん。いい瞳をした子だな。それに可愛い。さすがはインテスの半身だぜ」
「そうだろう、そうだろう?」
インテス様は手放しの喜びようである。聞いているこっちが恥ずかしくなるぐらいだ。「いや勘弁してください」と思いながら、シディはぺこんと頭を下げた。
「オ、オオオオブシディアン、です……。よろしくおねっ、おねがい、します……」
「なーにを吃ってんのよー。そんな怖がんないでくれよ。顔はこの通りだが、おニィさんはそんな怖え人じゃねえんだからよー。仲良くしようぜ。なっ。なっっ?」
(いや、『なっ』とか言われても──)
ちょっとそこにしゃがみこみ、斜めに顔を覗き込まれてしまって余計に混乱する。
困って沈黙し目を伏せているシディを、「ありゃ。こりゃ参ったな」と男は苦笑して眺めやりつつ、ばりばりと自分の鬣を掻いて立ち上がった。バツの悪そうな顔になっている。
「で。いまはどんな状況なんだ? レオ」
「ああ、うん」言って男は自分の顎を太い指でちょいと撫でた。「三日前よりまた少し《皿》が大きくなってんなあ。黒い霧みてえなのが染み出してくる量も増えてんぜ」
「そうか」
「時々、中から黒い獣が出てくるんだが、ここんとこ、大きさと数が少しずつ増えてきてやがる。早いとこ閉じちまわねえと、この島もやべえ。住民もいるし、できれば完全に封印してえとこだぁなー」
「わかった。では急ごう。さ、シディはこちらへ」
「あっ、はい」
「この島も」ということは、すでに他にも被害が出ている島がある、ということなのだろう。インテス様によれば、そこには住民がいなかったため、ひとまず先にこの島から封印を始めるという話だった。聞けばあちらの島々では、すでに黒い謎の生き物が島じゅうを跋扈しているのだという。そちらもいずれ討伐せねばならない。
魔力障壁を作り出してくれている魔導士たちの周囲に、レオの配下らしい武官たちと、討伐隊の魔導士たちが配置する。シディはインテス様にうながされてその後ろ側に立った。ティガリエはすぐ前にいて、すでに自分の剣を抜いている。
「魔力障壁を少しずつ緩めて、まずは武官が出てきた魔獣を叩く。インテスとオブシディアンは《皿》だけに集中してくれ。残った魔導士全員も息を合わせて《皿》を攻撃。いいか?」
「はい」
インテス様以外の、その場にいる全員が応じる。
どうやらこの場の指揮官はこのレオさんという人になるようだ。インテス様ですら、この場では彼の采配の下になるらしい。もちろん、普通の皇族はこんなことを許したりしないだろう。インテス様だからこそ、この形が実現するのだろうなと思った。
「みんな、慌てる必要はねえぜ~。いっこいっこ、確実に潰していきゃあいい。んじゃ、始めるぞー」
酒場で賭け事でも始めるような気楽な声だ。たくさんの場数を踏んだ人にだけ出せるような余裕の声と態度。レオはその雰囲気のまま、背中の大剣をぞろりと抜き放った。
「よっし。魔導士隊、障壁解除!」
「はっ」
(うっ?)
その途端、なんともいえない悪臭が周囲に噴き出してきた。鼻のいいシディにとってはほとんど拷問のような臭いだ。生き物の死骸が腐ったような、また焦げ付いたような臭い。ほかにも、毒物から立ち上る独特の臭気がする。鼻が曲がりそうだ。
「ううっ……」
「大丈夫か? シディ」
「は、はい……」
言いつつ、眼球までちりちり痛むほどの臭いに、すでに目をつぶりたくなっている。
「純粋な人間の私にですらわかるほどの悪臭だものな。そなたはさぞやきつかろう」
「い、いえっ。大丈夫です」
「出たぞ! 殲滅!」
レオの命令する声と同時に、彼の剣が一閃する。
「ギョエウギャアアア!」
この世のものとも思えない絶叫が響いた。と同時に、べちゃりと濡れたものが落ちる音。見ればレオの足元に、両断されたなにか黒いものが落ちていた。犬かなにかのようにも見えるが、全身が黒い。そして臭い。両断されたにも関わらず、ぴくぴくと両方の塊が蠢いている。
思わず吐き気をもよおしたが、そんな余裕はなかった。
ほかの武官たちはティガリエはじめみんな殿下には当然敬語を使うのに、彼だけはなぜかひどくざっくばらんな言葉遣いだ。聞いていると、まるで下町の飲み仲間が話しているかのようである。それをまた、インテス様も不快そうにもせず、当然のように聞いているのが不思議だった。
もしかしたら昔馴染みなのかもしれない。シディはちょっぴり羨ましい気持ちになりつつも黙っていた。
レオはティガリエが着ているものよりもずっと質の悪そうな古い革鎧を身につけている。籠手や脛当ても見るからに使い込まれている感じだ。ただ背負っている大きな剣だけは、無骨な造りながらティガリエのものよりも大きいようだ。
ひとしきりインテス殿下と肩をたたきあうなどしてから、男の金色の瞳がひょいとシディに向けられた。
「んで、こっちが例のお前の《半身》ってわけかい?」
「ああ、紹介する。オブシディアンだ。シディ、これはレオ。一応、帝国軍の千騎長をやってくれている」
「おいおい、『一応』はねえだろうがよー。別にこっちは頼んでねえぜ? んなしちめんどくせえ肩書はよ~」
男が苦笑しつつも突っ込んでいる。
なんとなく尻込みして後ろにさがっていたシディの背を、インテスさまの手が押し出してしまった。見事な鬣の大男に見下ろされて、身体全体がきゅっと音をたてて縮んでしまう。
「ほーん。いい瞳をした子だな。それに可愛い。さすがはインテスの半身だぜ」
「そうだろう、そうだろう?」
インテス様は手放しの喜びようである。聞いているこっちが恥ずかしくなるぐらいだ。「いや勘弁してください」と思いながら、シディはぺこんと頭を下げた。
「オ、オオオオブシディアン、です……。よろしくおねっ、おねがい、します……」
「なーにを吃ってんのよー。そんな怖がんないでくれよ。顔はこの通りだが、おニィさんはそんな怖え人じゃねえんだからよー。仲良くしようぜ。なっ。なっっ?」
(いや、『なっ』とか言われても──)
ちょっとそこにしゃがみこみ、斜めに顔を覗き込まれてしまって余計に混乱する。
困って沈黙し目を伏せているシディを、「ありゃ。こりゃ参ったな」と男は苦笑して眺めやりつつ、ばりばりと自分の鬣を掻いて立ち上がった。バツの悪そうな顔になっている。
「で。いまはどんな状況なんだ? レオ」
「ああ、うん」言って男は自分の顎を太い指でちょいと撫でた。「三日前よりまた少し《皿》が大きくなってんなあ。黒い霧みてえなのが染み出してくる量も増えてんぜ」
「そうか」
「時々、中から黒い獣が出てくるんだが、ここんとこ、大きさと数が少しずつ増えてきてやがる。早いとこ閉じちまわねえと、この島もやべえ。住民もいるし、できれば完全に封印してえとこだぁなー」
「わかった。では急ごう。さ、シディはこちらへ」
「あっ、はい」
「この島も」ということは、すでに他にも被害が出ている島がある、ということなのだろう。インテス様によれば、そこには住民がいなかったため、ひとまず先にこの島から封印を始めるという話だった。聞けばあちらの島々では、すでに黒い謎の生き物が島じゅうを跋扈しているのだという。そちらもいずれ討伐せねばならない。
魔力障壁を作り出してくれている魔導士たちの周囲に、レオの配下らしい武官たちと、討伐隊の魔導士たちが配置する。シディはインテス様にうながされてその後ろ側に立った。ティガリエはすぐ前にいて、すでに自分の剣を抜いている。
「魔力障壁を少しずつ緩めて、まずは武官が出てきた魔獣を叩く。インテスとオブシディアンは《皿》だけに集中してくれ。残った魔導士全員も息を合わせて《皿》を攻撃。いいか?」
「はい」
インテス様以外の、その場にいる全員が応じる。
どうやらこの場の指揮官はこのレオさんという人になるようだ。インテス様ですら、この場では彼の采配の下になるらしい。もちろん、普通の皇族はこんなことを許したりしないだろう。インテス様だからこそ、この形が実現するのだろうなと思った。
「みんな、慌てる必要はねえぜ~。いっこいっこ、確実に潰していきゃあいい。んじゃ、始めるぞー」
酒場で賭け事でも始めるような気楽な声だ。たくさんの場数を踏んだ人にだけ出せるような余裕の声と態度。レオはその雰囲気のまま、背中の大剣をぞろりと抜き放った。
「よっし。魔導士隊、障壁解除!」
「はっ」
(うっ?)
その途端、なんともいえない悪臭が周囲に噴き出してきた。鼻のいいシディにとってはほとんど拷問のような臭いだ。生き物の死骸が腐ったような、また焦げ付いたような臭い。ほかにも、毒物から立ち上る独特の臭気がする。鼻が曲がりそうだ。
「ううっ……」
「大丈夫か? シディ」
「は、はい……」
言いつつ、眼球までちりちり痛むほどの臭いに、すでに目をつぶりたくなっている。
「純粋な人間の私にですらわかるほどの悪臭だものな。そなたはさぞやきつかろう」
「い、いえっ。大丈夫です」
「出たぞ! 殲滅!」
レオの命令する声と同時に、彼の剣が一閃する。
「ギョエウギャアアア!」
この世のものとも思えない絶叫が響いた。と同時に、べちゃりと濡れたものが落ちる音。見ればレオの足元に、両断されたなにか黒いものが落ちていた。犬かなにかのようにも見えるが、全身が黒い。そして臭い。両断されたにも関わらず、ぴくぴくと両方の塊が蠢いている。
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