61 / 209
閑話
閑話(3)
しおりを挟む今までの失敗を繰り返さないため、まずは帝都の入り口を封鎖した。夜のことだったので、さほどの手間はかからなかった。普段であっても、一般民による日没後の帝都への出入りは禁じられているからだ。もちろん皇族や貴族はその限りではない。
フルーメン川を下っていく商人たちの船にも移動禁止令を敷き、まず武官たちで帝都の防壁のすぐ内側に大きな輪をつくらせた。それを少しずつ狭めていきながら彼を探すためである。ちょうど、獣や魚を捕まえるときのような方法だ。
狭めた円の範囲の中に彼の匂いがするかどうか。自分は慎重に匂いをたどり、少しずつ少しずつその輪を縮めていった。
実際、それには何日もかかった。縁の外になり、対象外になった人々については移動の自由を許し、最後に残ったのがあの下町の市場だったのだ。市場の中で起こっていることについては、部下たちを投入して細かい聞き込みをさせ、事前の調査も怠りなく行わせた。
そこで身動きの取れない状態になっている者など限られている。
遂にその夜、その市場に足を踏み入れたとき、インテスの胸は高鳴った。
(いる……。ここに!)
ここまで来ると、もはやこの役立たずな人間の鼻でも見誤りようのないほどのかぐわしい《半身》の香りが、あたりに立ちこめていた。うっかりするとその芳香に神経をやられて、気を失いそうになるほどの強い香りだった。
「てめえ! いま、唸りやがったな!?」
少し酒に酔ったような、下卑た怒鳴り声が響いたのはその時だった。
つづいて、地面を打つ鞭の音。
「客の前で粗相をするんじゃねえといつも言ってるだろうが! 貴様はいつになったらその小せえ頭に俺の教えをきざみこむんだ? ええ?」
「きゃうん……」
(ああ……!)
その時の思いを、なんと表現したらいいものか。
もちろん、まずは喜びと達成感だった。何よりも「やっと会えた」という歓喜に似た感情。ここまで接近すれば、さすがに人間のインテスにでもはっきりとわかった。いまそこで怯えて蹲っている小さな獣人の少年が、その人であるということが。
しかし。
次の瞬間やってきたのは、凄まじい怒りだった。
売春宿の親方らしい男に、首につけられた鎖で引きずり出されている少年。全身が黒いその人は、それはひどいありさまだった。
伸び放題の髪も毛皮もぼさぼさで艶がなく、埃と垢だらけだ。しっぽにも耳にも、途中で無惨に切り刻まれたような痕がある。皮膚もあちこち傷と痣だらけなうえ、歯をすべて抜かれているようにも見えた。
(なんということを──)
私の大事な半身に。
目の前に、とつぜん赤黒い幕が下りたようだった。
世の中に、こうした下衆な人間がたくさんいることは知っていた。下々の暮らしは皇族や貴族のようなわけにはいかぬ。この国には貧しい者が大勢いて、それぞれ自分にできる仕事をしなければ今日の食い物すら得られない。
机上で学んだそんな知識は、現実のほんの断片ですらなかった。
強い者が奪い、弱い者は虐げられる。
その争いに負ければただ死ぬだけだ。またはこうして、この少年のように貪られ、利用され、骨の髄までしゃぶりつくされる。
(……醜い)
まことに醜い。目を背けたくなる。
だがそれもまた、人間の真実の姿だとも言えるのだろう。
そして、これまで何度も脳裏をよぎったとある疑問がまた頭の奥をかすめていった。
──このような人間たちに、まことに「救い」が必要なのか……?
それは根源的な疑問だった。
庶民たちばかりではない。母と弟妹の赤子を殺し、自分を幾度も殺そうとしてきた者たち。母を道具として扱った皇帝。そのほかの貴族たちだって、利己的な陰謀に散々に手を染めている。
かれらに救う価値などあるだろうか……?
それはインテスが他人の敵意をはっきりと認識したときからずっと心の底に持ちつづけてきた疑問だった。
が、次の瞬間にはハッとした。目の前では今にも大切な少年が、男に鞭打たれようとしていたからだ。
インテスは即座に武官らに命じ、彼を男の手から救い出した。
この手でその男に、少年にやったのと同様の仕打ちを与えてやりたいのは山々だった。だがまずは少年自身を救い、傷を癒すことが先決だった。少年は、自分が「その者こそは我が半身」と宣言したとき、大きな黒い目を見開いてぽかんと口をあけていた。だが次の瞬間には、すうっと気を失ってしまったから。
少年が頭を地面に激突させる寸前で、自分は彼を抱きとめた。
半身としての強い香りとともに、長年ろくに体を洗えず、不潔な場所で生活させられてきた人の臭気がした。だがそんなものは構わなかった。
(見つけた。見つけた。見つけたぞ……!)
インテスはやっとのことで見出した自分の《半身》を、思う存分だきしめた。
2
お気に入りに追加
185
あなたにおすすめの小説

狂わせたのは君なのに
白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。
完結保証
番外編あり

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。


田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる