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第六章
1 火の玉
しおりを挟む胸の奥がぽかぽかする。
今まで何もなかった空洞に、いまみっしりと温かななにかが満たされている。
シディはその感覚をじっと全身に染み込ませていきながら、精神を集中させている。胸の前に構えた両手の中に、望むものを出現させようと心を研ぎ澄ませる。
円い形の魔法訓練場の真ん中で、ひとりじっと立つ。
もちろん少し離れたところには師匠である最高魔導士セネクス翁がおられるし、護衛のティガリエも控えているのだけれど、そのことは敢えて心の外に追い出す。
いまは自分の技に集中せねばならない。
(不思議だ)
今まで何もなかったということすら認識していなかった心の中の空洞が、今はあたたかな何かに満たされているということが。
インテス様との幸せな夜から数日。
そこがしっかりと質量のある何かで満たされたことで、自分の中にある魔力の核とそこから流れ出る魔力の道筋が次第に見えるようになってきた。
核はシディの胸の中心にあって、頭とも連動している。そこから木々が枝を伸ばすようにして、全身に魔力が巡っている。前はまったくわからなかったその感じが、今のシディには明瞭にわかるのだ。
と、しずかなセネクス翁の声が耳に届いた。
「己が魔力をはっきりと感じたならば、次はそれを誘導してゆく。傾きをつけ、水を下へと流してゆくようにじゃ。慌てずともよいゆえ、ゆっくりと念じてみよ」
言われるとおりに頭のなかで、水がとある道筋を通って流れていく感じを思い描く。それは固い岩盤の上に刻まれた溝を通って静かに流れていく。今度はそれら一本一本の水の筋が次第に指先に集まって、構えた手のひらの間に集中していくように。水が流れ、寄り集まる最後の場所は、ちょうど水がめのような入れ物を想定してある。
慣れてくればこれを一瞬でやらなくてはならない。実際、実戦でそんな悠長に思い描いている暇などないからだ。
でも、「今はとにかく丁寧に少しずつ思い描け」と師匠は言う。とにかく最初が肝心なのだと。だからその言葉に忠実にやっていく。
すべて、本当に目の前に見えるかのように頭の中で思い描けるかどうか。それがとても大切らしい。
魔力を集められたなら、つぎは何を出現させるかを具体的に考える。
──熱。炎。燃える……もえあがる。
と、手のひらに、今まで感じたことのない熱を感じた。しゅるしゅると周囲の空気を揺らす波動。自分のまわりにある色々な「火のもと」になるものをより合わせ、「炎」の形に作り上げる力が魔力だ。火でも水でも、風でも土でも、あらゆるものはこの世に存在するものを織り上げて作られている。
だから魔導士は、それら「もとになるもの」を選び出し、撚り合わせる媒体のようなものなのだ。そのために自分の中の魔力を使う。
──燃える……もえあがる。火。火の玉──。
最初はぽつんと小さな火のかけらが出現した。
それは見るみる大きく育ち、シディの頭ほどの大きさになる。
「よいぞ。魔力を流し込むのはそこまでじゃ」
師に言われた通りに、魔力の「水」を流し込むのは止める。めらめらと燃え上がる火の玉が、いまやシディの両手に包まれた状態で空中に浮かんでいた。
シディ自身、なんだか信じられないものを見る思いだ。しかし、ここで心を揺らしてはならない。まだ初心者のシディは、少し精神的に不安定になるだけでも魔力の流れがおかしくなってしまうからだ。
事前に習っていたとおり、火の玉をすくいあげるように手を下に移動させ、ゆっくりと持ち上げる。腕がのびきる直前に、さっと素早く上げると、ぐうん、と火の玉が真っすぐ上へと飛び上がった。
セネクス翁が人差し指をひゅっと持ち上げると、そこからひとすじの水流が生まれる。水がシディの火の玉に絡まり合ったかと思うと、じゅうっと音をたてて水蒸気に変わり、火の玉もろとも消えさった。
広場の隅に立つティガリエが、驚きに目を瞠って立ち尽くしている。
「……ようやった。上出来じゃ」
セネクス翁が満足げに微笑んだ。
「あっ……ありがとうございます!」
「うむ。この調子で他の精霊たちの魔法も身につけてゆくとよい。少しずつ、出力の調整も覚えてゆかねばな。ともあれ本日はここまでとしよう。殿下にご報告に行って参るがよいぞ」
「はいっ!」
実は師匠に言われるまでもなかった。シディの敏感な五感はとうの昔に、訓練場の柱の陰からそっとこの一連の出来事を見守っていた人の存在を感じ取っていたからだ。
まっしぐらにその人のもとに駆け寄って、ぴょんと抱きつく。
「うわっ!」
「インテス様っ! オレ、オレ……できましたっ」
「ああ、見ていた。凄いぞ、シディ。おめでとう」
「ありがとうございます!」
殿下は我がことのように嬉しそうに笑っておられる。
「やっぱりセネクス翁の申す通り、素晴らしい才能の持ち主だったな、そなたは」
「い、いいえ……。インテス様のおかげなので」
「ははは。ご謙遜だな」
いやいや、本当にそうなのだ。師匠が以前言っていたのは本当だった。インテス様との関係が安定するに従って、シディの魔法修行はどんどんうまくいくようになったのだ。
抱きしめられて頭をぐりぐり撫でられると、天にも昇る心地になる。
「それにしても。そなたの目から隠れるのは、もはや不可能のようだなあ」
「それは……。だって、《半身》の香りは特別ですから」
「うん。それはわかっているのだが」
せっかくこっそり覗いておいて驚かせようと思ったのに、とインテス様はちょっぴり残念そうだった。
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