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第五章 輝く世界
2 朝餉
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寝室での食事のあいだ、シディは冷たい布でずっと目もとを冷やし続けた。長く冷たさを保持するような魔法を掛けられた布は、ひんやりとして気持ちがいい。
実は目もとだけではなく、ついでに額や頬や耳のところも冷やす必要があった。なぜなら目の前にいる人に、食事の間じゅうじっと見つめられているものだから。
「あ……あのあの」
「うん? なんだ」
「そ、そんな……見ないで、ください」
「えっ。そんなに見つめていたか?」
「……はい」
え、自覚がないのかこの人は。
こっちはこんな嬉しそうな目でじーっと見られつづけて、食事の味もろくにわからないというのに!
さらにこの人は「美味いか、シディ。こちらの葡萄もなかなか美味いぞ。ほら」なんて言って、薄緑色の綺麗なブドウの実をこっちの口に放り込んでくるのだ。いちいち体がかあっと熱くなって困る。困りすぎる。
「あ、あの。自分で……食べられますから」
「それはわかってる。でも、私がそうしたいんだ。ダメだろうか」
いや、そう言われたら「イヤです」なんて言えない。
シディは肩を落として、もうそれ以上なにか言うのを諦めた。
食事は離宮で出されるものよりずっと質素な感じではあったけれど、その素朴な感じがむしろシディの口に合うようだった。使われているのはわずかな塩と胡椒ぐらいだ。
香辛料はどこの国でも非常に高価なものとされている。島国だらけのこの世界では、土地は非常に貴重な資源だ。農地にできる土地は限られているし、作るのであれば人が口にする穀物や野菜などをまず作らねばならない。香辛料や嗜好品にあたるものの栽培はどうしても二の次になるので、産出量は非常に少なくなる。そして高価になってしまうのだ。
……と教えてくれたのは離宮の教師、リスのシュールスだが。
そんなことを考えながらもぐもぐ口を動かしているうちに、やっと食事は終わった。インテス様はシディに身づくろいをさせ、ご自分も少し公式の場に出るときの衣服になってシディを外に連れ出した。
前室から殿下護衛数名とティガリエが現れて、二人に朝の挨拶をし、影のようにあとに従って歩いてくる。みな足音も立てないのはさすがだ。外ではセネクスが待っていて、黙ってみなを先導して歩き始めた。ということはきっと、昨夜のうちから約束されていた行動なのだろう。
(……あれっ?)
なにか違和感を覚えて、シディは目を瞬いた。
昨日も通った回廊なのに、妙に綺麗に見えるのだ。昨日だって十分清掃された場所だったと思うのだけれど、不思議にきらきらと輝いて見える。離宮のように百花が咲き乱れる庭園というわけでもないのに、中庭の植え込みの緑や庭石がやけにまぶしく感じられる。
そればかりではない。高い天井を支える円柱も、インテス様とすれ違いながら頭を下げていく魔導士たちも、奇妙に美しく見えるのだった。
不思議だ。
昨日と今日で、いったい何が変わったというのだろう。
首をかしげているうちに、みなは昨日もお会いした魔塔の最高位魔導士、セネクス翁の執務室に到着していた。
「いらっしゃいましたな。ささ、こちらへ。殿下」
相変わらず年齢不詳のかわいらしいイタチの顔をした魔導士は、丁寧な仕草でふたりを応接用のクッションのところに案内した。セネクスがこくりと目配せをしただけで、側付きらしい文官の魔導士たちが音もなく退室していく。インテス様が自分の護衛とティガリエも退室させた。
「昨夜はよくお休みになれましたかな。オブシディアン殿」
「え、……あ、は、はい……」
大嘘だ。それはまだ腫れぼったいこの目を見れば一目瞭然だっただろう。でもこの場合、たぶんこう答えるしかない。老人も全部見通したような澄んだ黒い目をにこりと細めて「それはよろしゅうございました」と言っただけだった。
その目がインテス様に向かうと、なぜかインテス様がバツの悪そうな顔になって視線をそらした。
(……ん?)
よくわからない。
が、なんとなくこのお二人の間では無言のやりとりがあったようだった。
「さて。あらためまして、昨日はできなかったお話しの続きをいたしましょうかの」
「えっ」
まだ続きがあったのか。
いや、当然か。本当なら夕食の席で、もっと話をするつもりだったのかもしれない。それをブチ壊したのはほかならぬ自分だ。
「うわ……あのっ。す、すみませんっ……!」
「なにを謝罪なさる必要がおありか。よろしいのですよ。まだ、さほど事態は切迫したものにはござりませぬゆえ」
「せ、せっぱく……」
「まだそんなに急を要する事態ではない、ということだ」
隣からインテス様が助け船を出してくださる。
「とは申せ、どの島も少しずつ《闇》による浸食が進んできているのは事実にござりまする。オブシディアン殿のご両親が襲われたことも、その事態のひとつにござりましょう」
両親の話が出て、シディはきゅっと鳩尾のあたりが苦しくなるのを覚えた。隣から殿下の腕が優しく肩にかかるのを感じる。それだけでほっと心が軽くなるのは否定できない。
「この子には、まだ詳しい話はしていないんだ。よければそなたから説明してやってくれないか」
「もちろんにござりまする」
軽く頭を下げ、老人は話を始めた。
実は目もとだけではなく、ついでに額や頬や耳のところも冷やす必要があった。なぜなら目の前にいる人に、食事の間じゅうじっと見つめられているものだから。
「あ……あのあの」
「うん? なんだ」
「そ、そんな……見ないで、ください」
「えっ。そんなに見つめていたか?」
「……はい」
え、自覚がないのかこの人は。
こっちはこんな嬉しそうな目でじーっと見られつづけて、食事の味もろくにわからないというのに!
さらにこの人は「美味いか、シディ。こちらの葡萄もなかなか美味いぞ。ほら」なんて言って、薄緑色の綺麗なブドウの実をこっちの口に放り込んでくるのだ。いちいち体がかあっと熱くなって困る。困りすぎる。
「あ、あの。自分で……食べられますから」
「それはわかってる。でも、私がそうしたいんだ。ダメだろうか」
いや、そう言われたら「イヤです」なんて言えない。
シディは肩を落として、もうそれ以上なにか言うのを諦めた。
食事は離宮で出されるものよりずっと質素な感じではあったけれど、その素朴な感じがむしろシディの口に合うようだった。使われているのはわずかな塩と胡椒ぐらいだ。
香辛料はどこの国でも非常に高価なものとされている。島国だらけのこの世界では、土地は非常に貴重な資源だ。農地にできる土地は限られているし、作るのであれば人が口にする穀物や野菜などをまず作らねばならない。香辛料や嗜好品にあたるものの栽培はどうしても二の次になるので、産出量は非常に少なくなる。そして高価になってしまうのだ。
……と教えてくれたのは離宮の教師、リスのシュールスだが。
そんなことを考えながらもぐもぐ口を動かしているうちに、やっと食事は終わった。インテス様はシディに身づくろいをさせ、ご自分も少し公式の場に出るときの衣服になってシディを外に連れ出した。
前室から殿下護衛数名とティガリエが現れて、二人に朝の挨拶をし、影のようにあとに従って歩いてくる。みな足音も立てないのはさすがだ。外ではセネクスが待っていて、黙ってみなを先導して歩き始めた。ということはきっと、昨夜のうちから約束されていた行動なのだろう。
(……あれっ?)
なにか違和感を覚えて、シディは目を瞬いた。
昨日も通った回廊なのに、妙に綺麗に見えるのだ。昨日だって十分清掃された場所だったと思うのだけれど、不思議にきらきらと輝いて見える。離宮のように百花が咲き乱れる庭園というわけでもないのに、中庭の植え込みの緑や庭石がやけにまぶしく感じられる。
そればかりではない。高い天井を支える円柱も、インテス様とすれ違いながら頭を下げていく魔導士たちも、奇妙に美しく見えるのだった。
不思議だ。
昨日と今日で、いったい何が変わったというのだろう。
首をかしげているうちに、みなは昨日もお会いした魔塔の最高位魔導士、セネクス翁の執務室に到着していた。
「いらっしゃいましたな。ささ、こちらへ。殿下」
相変わらず年齢不詳のかわいらしいイタチの顔をした魔導士は、丁寧な仕草でふたりを応接用のクッションのところに案内した。セネクスがこくりと目配せをしただけで、側付きらしい文官の魔導士たちが音もなく退室していく。インテス様が自分の護衛とティガリエも退室させた。
「昨夜はよくお休みになれましたかな。オブシディアン殿」
「え、……あ、は、はい……」
大嘘だ。それはまだ腫れぼったいこの目を見れば一目瞭然だっただろう。でもこの場合、たぶんこう答えるしかない。老人も全部見通したような澄んだ黒い目をにこりと細めて「それはよろしゅうございました」と言っただけだった。
その目がインテス様に向かうと、なぜかインテス様がバツの悪そうな顔になって視線をそらした。
(……ん?)
よくわからない。
が、なんとなくこのお二人の間では無言のやりとりがあったようだった。
「さて。あらためまして、昨日はできなかったお話しの続きをいたしましょうかの」
「えっ」
まだ続きがあったのか。
いや、当然か。本当なら夕食の席で、もっと話をするつもりだったのかもしれない。それをブチ壊したのはほかならぬ自分だ。
「うわ……あのっ。す、すみませんっ……!」
「なにを謝罪なさる必要がおありか。よろしいのですよ。まだ、さほど事態は切迫したものにはござりませぬゆえ」
「せ、せっぱく……」
「まだそんなに急を要する事態ではない、ということだ」
隣からインテス様が助け船を出してくださる。
「とは申せ、どの島も少しずつ《闇》による浸食が進んできているのは事実にござりまする。オブシディアン殿のご両親が襲われたことも、その事態のひとつにござりましょう」
両親の話が出て、シディはきゅっと鳩尾のあたりが苦しくなるのを覚えた。隣から殿下の腕が優しく肩にかかるのを感じる。それだけでほっと心が軽くなるのは否定できない。
「この子には、まだ詳しい話はしていないんだ。よければそなたから説明してやってくれないか」
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軽く頭を下げ、老人は話を始めた。
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