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第四章 皇帝と魔塔
12 闇の勢力
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「ふむ。では殿下は、この御仁にご説明はまだ……ということにございまするかな」
「ああ」殿下はうなずいた。「救い出した当初は、あまりの虐待のためにシディも体調が芳しくなくてな。すぐにそんな話をしても怖がらせるだけかと案じたのだ」
「なるほど、なるほど」老人は満足げにうなずいた。「それは当然の対処にござりまするな」
「え……」
びっくりして隣を見上げると、インテス様はいつも通りの優しい笑みをうかべて頷き返してくださった。
……そうだったのか。自分の体調を心配して、いきなり難しい話をすることは避けてくださったのだ、この方は。
「実際、《救国の半身》に課せられた使命は重い。この世の命運を左右するほどの重責だからな。自分のことで精一杯だったシディに、いきなりそんな話はできぬよ。当然だろう?」
「インテス様……」
胸がじいんと熱くなる。
「でも、それじゃあ……。やっぱり《救国の半身》っていうのは、大変なお仕事があるわけですね?」
「左様、そうなのじゃわ」
セネクス翁がひくひくと鼻先を蠢かすと、ふわふわと生えたヒゲがゆるやかに動く。やっぱり仕草がかわいい。とてもご老人とは思えない可愛さだ。全体にほわほわした柔らかそうな毛に覆われていらっしゃるし、シディでなくてもちょっと撫でさせてくださいとお願いしたくなるほどだ。
「すでにお聞き及びかも知れませぬが、この世は数百年に一度、大きな禍に見舞われまする」
「わ、わざわい……?」
「左様。巨大な地震、大嵐に、火山の大噴火、そして大津波。さらには大々的な流行病。中には空から巨大な隕石が大量に降り落ちてくるなどということもあったやに聞いておりまする」
「ええっ……」
「そのたびに、この大地は削ぎ落とされ、形を変えてき申した。かつてこの地はもっともっと、人が住める地面が多かったと言われております。それがどんどん削られて、今ではほんの少しになり申した。もちろん、禍の起こるときには大勢の人々が命を落としもいたしました。一度はすべての人々がいなくなり、滅びる危機もあったという記録もございまする」
「そんな──」
それは初耳だ。シディはもうびっくりし通しだった。
殿下の離宮でさまざまなことを教師のシュールスから教えてもらってきたつもりだったけれど、ここまでのことは知らなかった。それはもちろん、「読み書きから」とインテス様から命じられて制限されていたのだろうけれど。
「皇帝陛下のご意向もあり、一般の人々には、無闇に恐れを抱かせぬよう、あまり詳しい歴史は開示されておらぬのですじゃ。人々は集団で恐れに取りつかれると、思わぬ自殺行為に走ることが多々ございまするでな」
「な、なるほど……」
「暴動を起こし、王侯貴族を次々に殺傷するといった事件も実際、過去に起こったという記録がございまする。いまある皇家は、それを命からがら逃げ延びた方々のご子孫ということになりまするな」
「そうなんですか……」
「もちろん、この皇家が最初からずっと頂点にいたわけではないがな。その時の為政者がすべて潰えたあと、実力のあった者がその後を襲うなんていうのは、多々ある話だっただろうから」
インテス様の物言いはごく淡々としたものだった。
「我らは勝手に《闇の勢力》などとは申しておりまするがの。要するに、この世には我ら人間界の勢力と、それを薙ぎ払って全世界を滅びへと導こうとする勢力とが存在するということです」
「……ええと。精霊さんたちは、人間界の味方ということですか? オレを隠してくれたっていうことは──」
「うむ。そこは難しいところにございましてのう」
そこで老人は、こくりと自分の茶を飲んだ。
「各種の精霊たちは、この世を形成する《素》を成す者たちにござりまする。かれらには善も悪もない。『ただ在るゆえに在る』といった存在にございます」
「…………」
よくわからない。
変な顔になっていたら、セネクス翁とインテス様はちょっと目を見かわして頷きあった。
「ここが肝要にござりましてなあ。『善きもの』やら『悪しきもの』やら申すのは、飽くまでも人間側の都合による部分が大きゅうございましょう?」
「…………」
「この世界には、基本的に善も悪もない。在るのはただ、『ある』と『ない』ぐらいのことにござりまする。光に悪意があるか、水に善意があるか。……そういうことはない。それらはただ『ある』だけにござりまする。水の精霊も、火の精霊もそこにただ『ある』ばかり。そこに人のような意識や意図が介在することはほとんどございませぬ。……あなた様を海の精霊がお救いしたのも、単純にあなた様の母御の祈りに応えたのみ。そこに悪意も善意もなかったやに思いまする」
「……む、むずかしいです……」
「無理もございませぬ。ゆっくりご理解くだされば結構にございまするゆえ」
言って老人はやわらかく笑った。
「ああ」殿下はうなずいた。「救い出した当初は、あまりの虐待のためにシディも体調が芳しくなくてな。すぐにそんな話をしても怖がらせるだけかと案じたのだ」
「なるほど、なるほど」老人は満足げにうなずいた。「それは当然の対処にござりまするな」
「え……」
びっくりして隣を見上げると、インテス様はいつも通りの優しい笑みをうかべて頷き返してくださった。
……そうだったのか。自分の体調を心配して、いきなり難しい話をすることは避けてくださったのだ、この方は。
「実際、《救国の半身》に課せられた使命は重い。この世の命運を左右するほどの重責だからな。自分のことで精一杯だったシディに、いきなりそんな話はできぬよ。当然だろう?」
「インテス様……」
胸がじいんと熱くなる。
「でも、それじゃあ……。やっぱり《救国の半身》っていうのは、大変なお仕事があるわけですね?」
「左様、そうなのじゃわ」
セネクス翁がひくひくと鼻先を蠢かすと、ふわふわと生えたヒゲがゆるやかに動く。やっぱり仕草がかわいい。とてもご老人とは思えない可愛さだ。全体にほわほわした柔らかそうな毛に覆われていらっしゃるし、シディでなくてもちょっと撫でさせてくださいとお願いしたくなるほどだ。
「すでにお聞き及びかも知れませぬが、この世は数百年に一度、大きな禍に見舞われまする」
「わ、わざわい……?」
「左様。巨大な地震、大嵐に、火山の大噴火、そして大津波。さらには大々的な流行病。中には空から巨大な隕石が大量に降り落ちてくるなどということもあったやに聞いておりまする」
「ええっ……」
「そのたびに、この大地は削ぎ落とされ、形を変えてき申した。かつてこの地はもっともっと、人が住める地面が多かったと言われております。それがどんどん削られて、今ではほんの少しになり申した。もちろん、禍の起こるときには大勢の人々が命を落としもいたしました。一度はすべての人々がいなくなり、滅びる危機もあったという記録もございまする」
「そんな──」
それは初耳だ。シディはもうびっくりし通しだった。
殿下の離宮でさまざまなことを教師のシュールスから教えてもらってきたつもりだったけれど、ここまでのことは知らなかった。それはもちろん、「読み書きから」とインテス様から命じられて制限されていたのだろうけれど。
「皇帝陛下のご意向もあり、一般の人々には、無闇に恐れを抱かせぬよう、あまり詳しい歴史は開示されておらぬのですじゃ。人々は集団で恐れに取りつかれると、思わぬ自殺行為に走ることが多々ございまするでな」
「な、なるほど……」
「暴動を起こし、王侯貴族を次々に殺傷するといった事件も実際、過去に起こったという記録がございまする。いまある皇家は、それを命からがら逃げ延びた方々のご子孫ということになりまするな」
「そうなんですか……」
「もちろん、この皇家が最初からずっと頂点にいたわけではないがな。その時の為政者がすべて潰えたあと、実力のあった者がその後を襲うなんていうのは、多々ある話だっただろうから」
インテス様の物言いはごく淡々としたものだった。
「我らは勝手に《闇の勢力》などとは申しておりまするがの。要するに、この世には我ら人間界の勢力と、それを薙ぎ払って全世界を滅びへと導こうとする勢力とが存在するということです」
「……ええと。精霊さんたちは、人間界の味方ということですか? オレを隠してくれたっていうことは──」
「うむ。そこは難しいところにございましてのう」
そこで老人は、こくりと自分の茶を飲んだ。
「各種の精霊たちは、この世を形成する《素》を成す者たちにござりまする。かれらには善も悪もない。『ただ在るゆえに在る』といった存在にございます」
「…………」
よくわからない。
変な顔になっていたら、セネクス翁とインテス様はちょっと目を見かわして頷きあった。
「ここが肝要にござりましてなあ。『善きもの』やら『悪しきもの』やら申すのは、飽くまでも人間側の都合による部分が大きゅうございましょう?」
「…………」
「この世界には、基本的に善も悪もない。在るのはただ、『ある』と『ない』ぐらいのことにござりまする。光に悪意があるか、水に善意があるか。……そういうことはない。それらはただ『ある』だけにござりまする。水の精霊も、火の精霊もそこにただ『ある』ばかり。そこに人のような意識や意図が介在することはほとんどございませぬ。……あなた様を海の精霊がお救いしたのも、単純にあなた様の母御の祈りに応えたのみ。そこに悪意も善意もなかったやに思いまする」
「……む、むずかしいです……」
「無理もございませぬ。ゆっくりご理解くだされば結構にございまするゆえ」
言って老人はやわらかく笑った。
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