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第三章 離宮にて
6 首飾り
しおりを挟む少し考え込み、目をあげたら、ものすごく綺麗な紫色の瞳にじっと見つめられていた。ひっ、と身を固くしてしまう。
急にどくどくと胸の音がうるさくなった。
「そなたは心優しい人だ。ここしばらく見ていただけで、私にですら十分わかる」
「え……」
「私だけではないぞ。治癒師キュレイトー、護衛官のティガリエ。それに家庭教師のシュールス。そのほかの使用人。そなたの普段の行動を見てきた者がみな、口をそろえてそなたを褒めている」
「え、ええっ?」
びっくりして固まってしまう。
いつのまにこの人は、みんなにそんなことを聞いていたんだろう。
「みな申しておるぞ。そなたはとても謙虚で心優しい御仁だ、とな。身分の上下に係わらず、相手を見下すことも無駄に媚びへつらうこともない。動植物を可愛がり、か弱い者を思いやる気持ちもあると。……その心の力があるならば、きっと多くの人を救えよう」
「……そ、そうでしょうか」
「そうだとも。どうか自信を持ってほしい」
「は、はい……」
なんだかイタズラ者の精霊にばかされたみたいな気分だ。
自分にこんなことが起こっていること自体が、まだ夢みたいな気分なのに。
それでぼんやりしすぎていて、ついうっかりと大事なことを忘れていたことに気がついた。
「あっ。インテス様、あの……」
「ん? なんだ」
「こ、これ……なんですけど」
おずおずと体の後ろからとあるものを取り出す。
手紙として使われる大きさの羊皮紙だった。
「あの……まだまだ上手くないんですけど……。やっと、このぐらい書けるようになったから。その……」
言いかけて、急に恥ずかしくなる。出しかけた便箋をまた体の後ろに戻し、もじもじといじくり回す。
やっぱりやめておこうか。一生懸命練習したつもりだけれど、まだまだ人に見せられるような状態ではないかもしれないし──
「なんだ? もったいぶらないで見せてくれよ」
「あっ!」
さっと手をのばされて、あっという間に取り上げられてしまった。
羊皮紙に目を走らせて、インテスはハッと目を見開く。それからシディを見つめ、ひどく嬉しそうに微笑んだ。
「これは……素晴らしいな」
「いっ、いえ……。やっとシュールス先生から合格をいただけたので……」
だから真っ先にこの人に見せたいと思ったのだ。でも、いまさら恥ずかしくなってしまうのはどうしようもない。
紙の上にはミミズがのたくったような拙い文字が並んでいる。それでもどうにか読める程度に「インテグリータス・アチーピタ」と書いた……つもりだった。
ここまで書くのに、本当に七転八倒した。リス先生に何度も直されて、何度も何度も書き直して、今日やっと及第点がもらえた。その最初のものなのだ。
インテス殿下はひどく嬉しそうに目を細めて文字を見つめている。
「よく頑張ったのだな。なかなか難しい綴りなのに」
「……い、いえ」
「私も子どものころに手習いをしてな。自分の名前だというのに、なかなか苦戦したものさ」
「えっ。殿下も……?」
「もちろんだ。私にだって子どものころぐらいあったのだからな」
くはは、と笑って青年はさも大事そうに羊皮紙をくるくると丸めた。自分の髪を縛っていた飾り紐をほどき、羊皮紙をそっと縛る。そのまま自分の懐に大切に納めた。ほどかれた金色の髪が、整った横顔にはらりと落ちかかる様まで、まるで一幅の美しい絵のようだ。
こんなにきれいな人に、自分はそんな無様なものを見せてしまったのか──
「あっ、あの、殿下」
「ん?」
「か、返して……ください」
「なぜだ? 私にくれたのではないのかい」
「あのっ。やっぱりまだすごく下手だし──は、はずかしいのでっ」
「イヤだ」
インテスは大事そうに胸元をおさえ、ぷいと向こうを向いてしまう。
「で、殿下あ……」
「私の大切なシディが、ほかならぬ私の名を書いてくれたのだ。一生大事にする。もう宝物だ。宝物庫に入れなければ」
「そっ、そそそんな!」
何を言ってるんだ、この人は。
「それより、ちょうどよかった」
「は?」
「私からも、そなたに渡したいものがあったのさ」
言って青年は、背後にあるいくつかのクッションの後ろから小さな箱を取り出した。
ちょんと手の上に乗せられたそれは、ちょうど手のひらぐらいの大きさだ。ただの木箱とは違って、周りにぐるりと金の刺繍いりの布が張られたものだ。
「開けてみてくれ」
「え、は、はい……」
言われるまま、おそるおそる箱にかかった飾り紐をほどき、蓋を開く。
「わ……」
なんだろう、このキレイなものは。
それは真ん中に大きな薄紫色の宝石をはめこんだ首飾りだった。石の周囲は見事な金の細工が施され、鎖の部分も金でできている。綺麗に削り出された複雑な面が、角度によって灯火の光をはねかえしてキラキラ光った。
「そなたを見つけた時から渡したいと思っていたんだが、気にいった石がなかなか手に入らなくてな」
言いながらインテスは首飾りを手にとり、みずからシディの首に掛けてくれた。
「そなたには、金色や紫が似合うなとずっと思っていた。もちろん他の色だって似合うけれどな。……どうだ?」
「……う。き、きれいです。で、でもっ……」
こんなもの、自分が受け取れるわけがない。いったいいくらするのだろう。きっと目が飛び出るぐらいに高価なものに違いない。
だけど、どきどきする。
金色と、紫色。
それはまるで、そのまま目の前のこの人の色ではないか──
慌てて断ろうとするシディの口を、殿下はとん、と人差し指を乗せて塞いだ。
「断らないでくれ、シディ。こんなもの、そなたから貰った贈り物には到底及ばぬ。ほんの些細なものなのだから」
「…………」
そんなわけはない、と思うけれど、それ以上なにも言えなくなった。
黙りこんでうつむいてしまったシディの手を殿下の手がそっと取る。そのままいつものように甲にくちづけを落とされるのを、少年はただぼんやりと眺めるだけだった。
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