白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第三章 離宮にて

4 地図と魔法

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 少し字が読めるようになってくると、シュールス老人は古今東西の地理や歴史を面白いエピソードをまじえながら巧みに少年に教えてくれるようになった。
 それはもう、目が開かれるような思いだった。毎回の授業はいつも、驚きと興奮に満ちていた。
 対する老人は、この黒い少年がこの世のことをほとんど知らないままでいたことを知ってたいそう驚いたらしかった。そうして、いますぐ手に入るあらゆる資料を持ちこんでは、せっせと少年の頭に様々な知識を詰めこんでいった。

「さてさて。本日は少しばかり、こちらをご覧いただきましょうぞ」
「ん?」

 勉強用の広い机の上に広げられた大きな羊皮紙を見つめて、少年は変な顔になっている。紙面の上には、ぐにゃぐにゃした奇妙な形をしたものがばらまかれるように描かれている。それはいくつもあって、不規則に点在していた。
 ちょっと粘度の高い泥を高い所からべちゃべちゃと落としたら、ちょうどこんな形になるかもしれない。こんなへんてこりんなものを見たのははじめてだ。

「あのう……。これはなんですか」
「地図というものですじゃ。ご存知ですかのう」
「……い、いいえ」

 身を縮めてそう言うと、先生はぱっと両手をひろげてぱたぱたさせた。

「ちょうど、このようにですな」

 地図とやらいうものの上で右へ、左へと体を傾けてみせる。大きなしっぽが、船の舵のようにバランスを取っている。
 何を始めたのかと、少年はぽかんと口を開けて眺めるだけだ。

「このように鳥になりましてな。こう、上からこの世界を眺めたようなものと思えばよろしかろ」
「えええ?」

 鳥だって?
 鳥が空から地上を見たら、こんな風に見えるというのだろうか。「左様、その通り」とリスの老人は満足げにうなずく。

「こちらにありますのが、我らがおります神聖シンチェリターテ帝国じゃわの。この中では一番大きく見えますじゃろ?」
「はあ……はい」

 小柄なリスの老人は、手が届かないので少し長い棒を持っている。その先が指し示しているひし形に似たような形の島が神聖帝国シンチェリターテであるらしい。

「これら大海に散らばるように存在する島々のうち、もっとも大きな土地をべる国が、わがシンチェリターテにござります。ここのみならず、周辺に浮かぶ多くの島々をも傘下に入れておりますじゃが」
「ふうん……」
「こちらと、こちら。ここからここまでの島は、現在シンチェリターテの一部となっておりまする」

 よく見れば、地図のなかには細かい字であちこち何かが書きこまれている。地名とか山や川の名前なのだそうだ。山や川の絵も描きこまれている。「ここが今、我らがおります帝都ですじゃ」と先生が指さす先には、お城の絵が描かれていた。
 それにしても、海の面積が広い。地図全体を十とするなら、九までは海の部分になってしまいそうだ。土地はいかにも少ししかない。

「すごーく、海が多いんですね」
 素直にそう言ったら「左様。よい点にお気づきになられた」とリス先生は満足げにうなずいた。そうしておほん、とわざとらしく咳をすると、さらに説明を続けた。





「そうか。今日は地理を多く学んだのだな」

 その夜。
 いつものように夕餉をともにしながら、インテス殿下は少年の話を楽しそうに聞いてくれた。

「まだ帝国のサンカに入ってないところには、魔獣が増えてきているとも聞きましたけど……。本当ですか? 危なくないんですか」
「ああ、うん。危険だが、今のところはどうにかなっている」

 水を向けると、青年はやや難しい顔になった。食後の果物として出されている瑞々しいブドウを口に運びながら、さらに説明をしてくれる。

「すでにシュールスから聞いているかもしれんが、魔力を持った人々というのはこの世界にひと握りしかいない」
「あ、はい」

 どうやらそうらしい。というか、少年が魔法というものを見たこと自体、この離宮にやってきてからのことだ。ひどい傷を治してくれた治癒師キュレイトーの治癒の技も魔法のひとつである。

「それら魔力をもった才能ある者は、早いうちに皇室による管理下に入る。ふさわしい教え手がいなければ、魔力を暴走させて周囲の人々を傷つける恐れがあるからだ」
「そうなんですか……」
「中には大きくなるまで魔力が発現しない者もいるが、大抵は赤子のうちにわかる。赤子は自分の欲求に素直だからな」
「えっ。どういうことですか」
「つまりだな」

 言って青年は、つまんだブドウの実をひとつ、シディの口に放り込んだ。爽やかな甘みが口に広がる。

「普通の赤子なら泣いて親を呼ぶところを、魔力をもった子は自分でどうにかしてしまうことが多いんだ。水が飲みたければ水差しを引き寄せ、退屈すれば玩具を引き寄せる。それも手を使わずに」
「へええ……」
「攻撃力のある魔法の場合、非常に危険だ。機嫌をそこねると周囲の者にケガをさせる場合もある。ゆえに、皇室が管理している魔塔へ送って魔導士や魔術師たちの保護と訓練を受けさせる必要があるんだ」
「……あの。それって親から引き離されるってことですか?」
「まあ……そういうことになるがな。非常に幼い場合は親がひとりついてくることもできるぞ。その方が精神的に安定するからな。だが、いつまでもというわけには行かない」
「そうなんですか……」

 少年はちょっと沈黙した。
 インテス殿下にずっと訊いてみたいことがあったけれど、今がちょうどいいチャンスのような気がする。殿下もリラックスしているようだし、あれからだいぶ打ち解けてきたように思うし。

(よ、よしっ……。きいてみよう)

 ──そう。
 「救国の半身」とは、いったいなんなのかを。
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