17 / 209
第三章 離宮にて
2 インテス様との日々(2)
しおりを挟む「い……一緒に寝るだと? シディ」
そう言ったきり、インテス様は非常に複雑な顔になって黙りこんでしまった。
(ハッ。しまった……!)
この人を困らせたり、嫌われたりするのはイヤなのに! 絶対に絶対にイヤなのに。どうして自分はこう、すぐにぽろっとわがままなことを言ってしまうんだろう。
少年は慌てて首をぶんぶん左右に振った。
「すっ、すみません! ごめんなさいっ……! ダメならいいんです。勝手なこと言って、ごめんなさ──」
「いや、ちがうんだ! そうじゃない!」
インテスもまた、なぜか急に慌て始めた。両手をぱたぱたさせて、やっぱり顔を横に振っている。そしてその顔がなぜかちょっと赤くなっているのだった。
「……そうじゃないんだ。誤解しないでほしい」
「は……はい?」
(そりゃそうだ。なに言ってるんだよ、オレは)
自分はただの薄汚い性奴隷、男娼だった者ではないか。だれかれ構わず金をもらって男に抱かれて、かれらの精液まみれになっていくつもの夜を過ごしてきた、そんな穢れた存在なのだ。まちがってもこんな、きらきらの皇子さまと一緒の寝室で眠ったりできるはずがないではないか。
……わかっていたのに。
ついつい、この幸せな日々が汚らわしい自分を忘れさせてしまうから──。
しょぼんと耳としっぽを垂れてしまった少年を見て、青年はますます困った顔になって慌てたようだった。
「ち、ちがうっ。ちがうぞ、シディ! なにか誤解してるだろう。そんなに気落ちしないでくれ、悪いのは私なのだから」
でも少年はふるふる首をふった。
「……インテス様が悪いなんて」
そんなはずはない。
彼自身がイヤではなくても、周りの人たちはそう思わないのだろう。清らかなこの国の皇族──そうだ、この人は事実、紛れもない皇子だった。
その後、使用人のみなさんから聞いて知ったのだ。
彼はこの神聖帝国シンチェリターテの皇帝の子。つまり皇子だ。とはいえ、皇帝には正妃以外にも多くの側女がいるらしく、子どもは何十人もいる。皇子だって八人ほどもいて、この人はその五番目なのだそうだ。
まあ、何番目であろうが高貴で穢れなき皇族さまであることにはちがいない。
「寝台の……ほんの、足元のところで眠りたいって……ちょっと思っただけなんです。でも……ダメですよね、そんなの。本当にごめんなさい」
「ちっ、ちがうんだって!」
座っていた場所からがばっと立ちあがり、インテスはつかつかと少年に近づいてきた。
「ぴゃっ!?」
びっくりして飛びさがったが、青年の足は止まらない。そのままあっという間に壁ぎわまで追い詰められてしまう。
(……!)
少年はぎょっとなって身を固くした。本能的に背中を丸め、両腕を上げてしゃがみこみ、頭を庇うような姿勢になる。
この青年が自分を殴るはずがない。そんなことは分かっているのに、この体はどうしても日々鞭をうけていたあの経験を忘れることがないのだ。
青年は、あっ、と言って立ち止まった。少年の異様な様子にすぐに気づいたらしい。
「す、すまない。怖がらせるつもりはなかった」
「……い、いいえ」
「だが、その……本当に誤解しないでほしいんだ。悪いのは私なんだ」
「…………」
「つまりその……『修行が足らぬ』、とでも言うか──」
おそるおそる目を上げてみると、彼はやっぱり困ったような、申し訳ないような顔になっていた。しきりに片手で口許を隠している。そのまま、少年と目線を合わせるように彼もその場に片膝をつく。
次にやって来たのは、少年が予想だにしなかった言葉だった。
「……そ、そなたと同じ寝室を使うなど……とても自信がない」
「は?」
自信? って、なんの自信なのだろうか。
さっぱりわけがわからない。
よほど変な顔になっていたのだろう。青年は何度か瞬きをしてから、ぷふっと吹き出した。
(えっ……?)
笑われた? いったいなんで笑ってるんだ、この人は。
「す……すまぬ。いや、本当に私が悪いから」
「…………」
「が、そなただっていけないのだぞ?」
「えっ」
ぴくっと身を竦めたら「いやいや、そうではなく」と青年が優しく頭をなでてくれた。いつものように。
「……そなたがそんなに、可愛いすぎるのがいけない」
「……は?」
「そなたの可愛さが罪なのだっ。……いや、悪くはない。むしろ素晴らしい。だから決して悪くはないのだがっ……!」
「…………」
完全に意味不明だった。
その夜はそれまでのことで、インテス様は「ではおやすみ」とシディの手の甲に軽く口づけを落としただけで、さっさと自分の寝室に行ってしまった。
なにがなんだかわからないまま、自室にぽつんと残されてしばし呆然としたものだ。いまだにわけがわからない。
(でも)
──『可愛い』だって。
(ほんとかな……?)
それを考えるとドキドキしてきて、勉強が手につかなくなる。つい羽ペンを放り出して鏡の前に行き、体を回して自分の姿を見直してしまう。
ここへ来てから入浴もさせてもらえてずいぶん清潔になったし、毛艶もすごくよくなった。だがそれでも、自分はやっぱりどこもかしこも真っ黒な、やせ細った犬の少年だ。これのどこがどう「可愛い」のだかさっぱりわからない。
……でも、嬉しい。
青年が言ってくれたあの言葉を反芻するたび、体じゅうの細胞がものすごく嬉しそうに脈打つのがわかる。
あの人がそう言ってくれるのならいい。
こんなみすぼらしい、黒い犬っころの自分でも。
(インテス様……)
あの人のことを考えると、それだけで胸の中がほこほこする。
……しあわせだ。
たぶんこれが、「しあわせ」ってことなんだな。
1
お気に入りに追加
185
あなたにおすすめの小説

狂わせたのは君なのに
白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。
完結保証
番外編あり
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。


田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる