白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第二章 新たな生活

8 しっぽ

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 だが、青年の反応は予想とは正反対だった。

「そうなのか? それは素晴らしい!」と非常に嬉しそうな笑顔になり、ますます少年の頭をなでくり回したのである。
「なにごとも、自らって立つことが大切だものな。自分の能力を高めるための向上心があるというのは、何によらず大切なことだ。なにより、生きるために。誰に言われたのでもなく、自らそう思えることがなにより素晴らしい」
「え……い、いえ──」

 そんな難しいことは考えていないけれど。真っ赤になって俯いてしまった少年を、インテスはやっぱりにこにこして見つめている。青年がそばにいると、あの目もくらみそうになるいい香りがさらに強まって、またくらくらしそうになる。

「いやいや。思っていた以上だよ。シディは素晴らしい。さすがは私の探していた人だ」

 言って青年はシディの手を取り、軽くその甲に唇を触れさせた。
 ちゅ、とささやかな音がする。

「ぴゃうっ!?」
「あっ。すまない……」

 びっくりして飛び上がった少年を見て、インテスはしゅんとなった。

「驚かせるつもりはなかったんだ。つい……」
 申し訳なさそうに後頭部を掻いている。
「いかんな、どうも私は……。どうしても、そなたを見ていると舞い上がってしまうようで」
「……?」

 顔の下半分を隠して目をそらしたインテスを、少年はしばらくぽかんと見つめた。
 もしかして恥ずかしがっているのだろうか、この人。

「その……シディ」
「はい……?」

 ちろっと横目でこちらの様子を窺うのも、とても貴人が奴隷少年にやることとは思えない。

「イヤだったら、すぐに言うんだぞ。決して我慢してはいけないぞ」
「……はいい?」

 まったく話が見えない。
 「だから」と言うのと同時に、インテス青年は大きくため息をついた。

「私がそなたに触れることを……まるで自分の義務かのように受け入れて欲しくないんだ。当然のようにな。そなたがイヤだと思うことは、率直に伝えてほしい。言っている意味がわかるかい?」
「…………」

 いや正直わからない。変な顔になって首をひねっていたら、インテスはまた頭を抱えて深くため息を吐き出した。

「だから。そなたはもう『奴隷の少年』などではないのだ。何度も言っているが私の《半身》、つまり私と対等な存在だと言っているんだ」
「たい……とう?」
 とは何だろう。そんな単語は初めて聞いた。
「つまりな」少年の腕をとったまま、インテス青年がぐぐっと顔を近づけてくる。思わず少し身を引いてしまった。青年は人差し指をまず少年の、そして自分の胸に交互に向けながら言った。
「そなたと私は、同じ価値をもつ者だ。どちらかが偉くて、どちらかが偉くないということはない。小指の先ほどの差もない。あってはならない。厳密にまったく同じ重さ、同じ意味をもつ存在だということだ」
「…………」

 なにを言ってるんだ、この人は。
 高貴な「デンカ」が自分みたいな犬っころの少年と「同じもの」でなんて、あるわけがないのに。
 あれから使用人の人たちにあれこれ聞いて、少年だって少しずつわかってきている。「デンカ」とは「殿下」のこと。すなわちこの人はシンチェリターテ帝国の皇族のお一人だということを。
 そんな高貴なお方と自分が同じだって? 冗談か?
 きっとふざけているんだな。きっとそうだ。

「だから、そなたの意思は絶対だ。いやだと思うことを無理にやる必要はないし、やりたいと思うことは自由にやればよい。……まあ、ある程度の法的な規制はあるとはいえ──」

 少年はたぶん、ますます変な顔になったのだろう。インテス青年は困り果てたような目になった。この人はどうも、使う言葉が難しすぎるようだ。まあ少年の能力が低いのがいけないのだろうが。

「……つまりだ。イヤなことは『イヤだ』と言っていいんだ。いつでも、どこでもだ。例えば私が今のように、そなたに触れようとするときでも」
「ふれる……」
 少年は、いまだに彼に握られたままの自分の手を見た。
「そうだ。もしもイヤなら、すぐに『イヤだ』と言っていい。『やめろ』と言って構わない」
「で、でも──」

 この人は自分の恩人ではないか。あのひどい環境から救い出してくれた、一番にお礼をしなくてはならない人で──
 しかし、青年は全部見透かしたような目をして苦笑した。

「そら。そなたはすでに、私に変な恩義まで感じている。……そんなもの、感じる必要はない。《救国の半身》は自分の《半身》を見出したいと本能的に願うものだ。私がそなたを探し出し、あの場から救い出したのは私が勝手にしたことよ。なにも恩義に思う必要はない」
 そんなバカな。
「そなたには、これから私とともに《救国の半身》として働くという大きな仕事が待っている。そのこと以外に、そなたが義務を感じる必要はなにもない。たとえ──」
 言って青年は少年の手を両手でそっと握ってきた。

「私が心からそなたを欲しいと思っているとしても。……それでも、そなたの心が動かぬ以上は決して、どんなことも受け入れる必要はない」

 少年はもう、完全に「ぽかーん」だ。
 彼に握られた手が熱い。熱はそのまま、少年の全身に広がっていく。
 なんだろう。いったいこれはなんなんだ。
 こんな感覚は初めてだ。
 青年のいい匂いがさらに強くなる。今にも気を失いそうだ。

「あっ……あのう」
「ん? なんだ」
「その……は、はなして……ください」
「あっ! すまない!」

 青年はびっくりしてパッと手を放すと、飛びのいた。というかこの人、ほとんど無意識にこうしていたらしい。

「そら。放っておくと私はどんどん、そなたに触れたくてたまらなくなる……。一応覚悟していたつもりだったんだが、自分でもここまで制御できないとは思わなかった。そなたには迷惑ばかりかけてしまうな」
「いっ、いえ──」

 気を失いそうにはなるけれど、別にそれが不快なわけではない。むしろ──
 ほんとうに申し訳なさそうな顔をして頭を抱えている青年を見ているうちに、少年の体の奥底から、なにかがふつふつと沸き立つような感覚が生まれている。
 なんだろう。
 こんな気持ち、こんな感覚。
 本当にうまれて初めてだ──。


──ぼふ。


「……ん?」

 ぽふ。
 ぽふぽふ、ぽっふ、ぽっふ。

(……あれ?)

 顔を覆った指の間から、青年が不思議そうな目をして自分を見ている。それも、自分のすこし後ろを。
 ぱた、ぱたぱた、ぱたん。

(うわっ……!)

 ちょっと後ろを見て、途端にぼぼっと赤面してしまう。

 少年の尻からはえた、真っ黒でふさふさの大きなしっぽ。
 それが今や、少年の本心を全部表現するように、ばふばふと左右に振られていた。
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