10 / 209
第二章 新たな生活
3 インテス
しおりを挟む
(おいしい、おいしい、おいしい……!)
どれもこれも、頬と舌がとろけてしまいそうに美味い。
こんな美味いものを食べたのは初めてだった。
そんな少年を、青年はずっと微笑ましさいっぱいの目で静かに見守っている。
「ほらほら。慌てなくても大丈夫だ。汚れてるぞ」と、時おりとても優しい手つきで汚れた口許をぬぐってくれさえした。
(う……っ)
なぜか体がぽっと熱くなった感じがする。思わず目をそらし、余計にがつがつと食事に向かってしまった。いまは食べることに集中だ。
やっと腹がくちくなって「ごちそうさまでした」という代わりに頭をさげ、人心地がついてきたところで、そろそろ少年にも青年に聞いてみたいことが湧いてきた。いや、はっきりいって聞きたいことだらけだ。
「くうん……きゅうん?」
「ん? なんだ」
一番はもちろん、相手の名前である。
身振り手振りで「あなたの名前は?」と何度も訊ねてみて、青年はやっと「ああ、私の名か?」と、こちらの意図を理解してくれたらしかった。
「私はインテグリータス・アチーピタ。長ったらしいばかりで、ムダに偉そうな名前だろう?」
少年は「わあ、やっぱりカッコいい名前だな」なんて思ったぐらいなのに、「いや本当にムダなのだがな」と自嘲するように言っている。
「面倒なので、皆には『インテス』と呼ばせている。そなたもそう呼んでくれ」
なるほど、インテス様か。
で、どこの何者なのだろう。
あのとき、屈強な警備隊の男たちを当然のように引き連れていたところからして、かなり身分の高い人ではないかと思うのだけれど。身分が高くても決してムダに偉そうにはしないところはなかなかいい。……いや、口には出せないが。
もうひとつ大きな疑問もある。あの時、この男は「この者は自分のハンシンだ」とか言っていた。その「ハンシン」とはどういう意味だ。さっぱりわからないことだらけである。
と、今度はそれを訊いてみようと口を開きかけた時だった。部屋の外から控えめな声がかかり、インテス青年が許可の声を発すると、すぐにぞろぞろと人々が入室してきた。医師や召し使いらしき人々である。寝台のそばまできて空いた食器をとり片付け、そのまま少年の診察が始まってしまう。
診察に携わる者はみな、独特な白い衣を身にまとっていた。この館の医師団なのだろうか。中でも最も中心的な立場らしい医師は、鹿の形質をもつ誠実そうな目をした中年の男だった。
目の片方にだけ、透明なまるいものをつけている。それが「片メガネ」というものだと少年が知るのは、ここから少し先の話になるけれども。
「少しじっとしていてください。どうやら熱は下がったようですね」
「舌を長く出してみて。そのまま『べー』と言ってみてください。……そうそう」
「手首に少し触りますね。脈をとります」
「胸の音を聞かせてもらってよろしいですか」
鹿医師はてきぱきと診察を終え、最後にインテスに向き直って少年の状態の説明を始めた。幸い熱も下がり、体力的にもだいぶ改善しているらしい。自分では気づいていなかったが、あの夜の段階ですでに発熱していたらしいのだ。
どうやらあのときの少年は、ある種の酩酊状態でもあったらしい。恐らくそれはインテス青年の香りにあてられてのことだったろう。
それにしても、あれは鼻のいい自分だからああなってしまっただけなのだろうか。みなはこの青年のこの素晴らしい香りに当てられて酔ってしまったりしないのだろうか? 今でさえ、目が回りそうなほどのいい匂いで部屋全体が満たされているというのに。
診察の間、インテス青年は少し下がって少年の様子を見守っていた。
「体調には問題がないようですし、耳などの治癒はすぐにでも始められそうですが。いかがなさいますか、殿下」
「うん、すぐに始めよう。キュレイトーを呼んでくれ」
「はい。少々お待ちくださいませ」
(ん? いまこの人『デンカ』って言った?)
この人は「インテス」ではなかったのか。一体どういうことなんだ。さっぱりわからない。
まあ、そもそも文字のひとつも読めなければなんの基礎的な知識も教養もない自分だから、仕方がないのかもしれないが。
と思ううちに、医師たちは来た時と同じようにしずしずと下がっていき、入れ替わるようにして草色の長衣を着た老人が入ってきた。
高貴な人々のために治癒をおこなう高位の治癒師なのだろうが、特に風体に飾りけはない。見れば腰は荒縄でしばっていて、そこにあれこれと薬草らしいものが突っ込まれている。むしろ異様な格好に見えた。
「治癒師のキュレイトーだ」
インテスがあらためて紹介してくれる。
見たところウサギの形質を持つ人のようだ。ぼさぼさの灰色の髪の中から灰色の耳がつきでていて、顔の横にしなびたように垂れている。非常な高齢らしく、顔も手も皺だらけだ。彫りが深いため皺に隠れて目がよく見えない。肌は枯れ木のように乾いて見える。
老人はやっぱり枯れ木みたいな細い足をのそのそ動かしてこちらへ近づいてきた。
どれもこれも、頬と舌がとろけてしまいそうに美味い。
こんな美味いものを食べたのは初めてだった。
そんな少年を、青年はずっと微笑ましさいっぱいの目で静かに見守っている。
「ほらほら。慌てなくても大丈夫だ。汚れてるぞ」と、時おりとても優しい手つきで汚れた口許をぬぐってくれさえした。
(う……っ)
なぜか体がぽっと熱くなった感じがする。思わず目をそらし、余計にがつがつと食事に向かってしまった。いまは食べることに集中だ。
やっと腹がくちくなって「ごちそうさまでした」という代わりに頭をさげ、人心地がついてきたところで、そろそろ少年にも青年に聞いてみたいことが湧いてきた。いや、はっきりいって聞きたいことだらけだ。
「くうん……きゅうん?」
「ん? なんだ」
一番はもちろん、相手の名前である。
身振り手振りで「あなたの名前は?」と何度も訊ねてみて、青年はやっと「ああ、私の名か?」と、こちらの意図を理解してくれたらしかった。
「私はインテグリータス・アチーピタ。長ったらしいばかりで、ムダに偉そうな名前だろう?」
少年は「わあ、やっぱりカッコいい名前だな」なんて思ったぐらいなのに、「いや本当にムダなのだがな」と自嘲するように言っている。
「面倒なので、皆には『インテス』と呼ばせている。そなたもそう呼んでくれ」
なるほど、インテス様か。
で、どこの何者なのだろう。
あのとき、屈強な警備隊の男たちを当然のように引き連れていたところからして、かなり身分の高い人ではないかと思うのだけれど。身分が高くても決してムダに偉そうにはしないところはなかなかいい。……いや、口には出せないが。
もうひとつ大きな疑問もある。あの時、この男は「この者は自分のハンシンだ」とか言っていた。その「ハンシン」とはどういう意味だ。さっぱりわからないことだらけである。
と、今度はそれを訊いてみようと口を開きかけた時だった。部屋の外から控えめな声がかかり、インテス青年が許可の声を発すると、すぐにぞろぞろと人々が入室してきた。医師や召し使いらしき人々である。寝台のそばまできて空いた食器をとり片付け、そのまま少年の診察が始まってしまう。
診察に携わる者はみな、独特な白い衣を身にまとっていた。この館の医師団なのだろうか。中でも最も中心的な立場らしい医師は、鹿の形質をもつ誠実そうな目をした中年の男だった。
目の片方にだけ、透明なまるいものをつけている。それが「片メガネ」というものだと少年が知るのは、ここから少し先の話になるけれども。
「少しじっとしていてください。どうやら熱は下がったようですね」
「舌を長く出してみて。そのまま『べー』と言ってみてください。……そうそう」
「手首に少し触りますね。脈をとります」
「胸の音を聞かせてもらってよろしいですか」
鹿医師はてきぱきと診察を終え、最後にインテスに向き直って少年の状態の説明を始めた。幸い熱も下がり、体力的にもだいぶ改善しているらしい。自分では気づいていなかったが、あの夜の段階ですでに発熱していたらしいのだ。
どうやらあのときの少年は、ある種の酩酊状態でもあったらしい。恐らくそれはインテス青年の香りにあてられてのことだったろう。
それにしても、あれは鼻のいい自分だからああなってしまっただけなのだろうか。みなはこの青年のこの素晴らしい香りに当てられて酔ってしまったりしないのだろうか? 今でさえ、目が回りそうなほどのいい匂いで部屋全体が満たされているというのに。
診察の間、インテス青年は少し下がって少年の様子を見守っていた。
「体調には問題がないようですし、耳などの治癒はすぐにでも始められそうですが。いかがなさいますか、殿下」
「うん、すぐに始めよう。キュレイトーを呼んでくれ」
「はい。少々お待ちくださいませ」
(ん? いまこの人『デンカ』って言った?)
この人は「インテス」ではなかったのか。一体どういうことなんだ。さっぱりわからない。
まあ、そもそも文字のひとつも読めなければなんの基礎的な知識も教養もない自分だから、仕方がないのかもしれないが。
と思ううちに、医師たちは来た時と同じようにしずしずと下がっていき、入れ替わるようにして草色の長衣を着た老人が入ってきた。
高貴な人々のために治癒をおこなう高位の治癒師なのだろうが、特に風体に飾りけはない。見れば腰は荒縄でしばっていて、そこにあれこれと薬草らしいものが突っ込まれている。むしろ異様な格好に見えた。
「治癒師のキュレイトーだ」
インテスがあらためて紹介してくれる。
見たところウサギの形質を持つ人のようだ。ぼさぼさの灰色の髪の中から灰色の耳がつきでていて、顔の横にしなびたように垂れている。非常な高齢らしく、顔も手も皺だらけだ。彫りが深いため皺に隠れて目がよく見えない。肌は枯れ木のように乾いて見える。
老人はやっぱり枯れ木みたいな細い足をのそのそ動かしてこちらへ近づいてきた。
1
お気に入りに追加
185
あなたにおすすめの小説

狂わせたのは君なのに
白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。
完結保証
番外編あり
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。


田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる