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第六章 帰還
9 方舟(はこぶね)
しおりを挟む《つまり。フランの弟か妹のことを》
《あ……》
知らず、体の奥がぽっと火照った。
昨夜もやっぱり、彼に十分に愛し抜かれた場所である。
《そなたが望むなら、すぐにも『遺伝情報管理局』へ話をつける。ともに二人で出向こうぞ。必ず生まれると決まったものでもないから、なるべくなら早いに越したことはない。長ければ、数年も待たされる場合もあるしな》
《そうなのですか》
《まあ、無粋な小手先の技術を使えば、思うような子を得られないこともない。だが、現在の滄海ではそういう不自然なことはなるべく推奨していない。俺もそういうことはあまりしたくないしな》
《…………》
《子は、いつの世も天からの賜りものだ。我らはそれを慎んでお預かりし、愛し、慈しみ、大切に育てるだけのこと》
いつかはまた、あの《ニライカナイ》に戻ってゆく、その日まで。
いつの世も、我ら自身がそうであるように。
《玻璃どの……》
そこで、玻璃は少し押し黙った。
その瞳は《天井》を見上げ、さらにその先にある青い空、そして真っ黒な宇宙の果てを見つめるかのように見えた。
《俺はな、ユーリ。いつかこの惑星から皆を逃がしたいと思っている》
《えっ?》
ユーリは驚いて顔を上げた。
《そなたももう知っての通り、この惑星もいつかは滅ぶ。あの太陽の寿命が尽きる少し前に、膨張した太陽に飲み込まれて消えて行く。それは確定した未来であり、運命だ》
《は、はい……》
《人間や地球上の生き物が、それまでどれほど生き延びるものかはわからぬ。だが、俺はその時生き残っているものはひとつ残らず、『方舟』に乗せて逃がしてやりたいと思っているのだ》
《方舟……ですか》
──「ノアの方舟」。
陸の帝国、アルネリオには、古くからある宗教の経典にそうしたものの存在が記されている。
かつて、地球上の生き物が大きな洪水のために全滅しかかった時。
とある人物が大きな大きな船を造って、あらゆる生き物と自分の家族である人間たちを救ったという、壮大な伝説である。
《まだまだ、何年、いや何十年も先の話になるやも知れぬ。俺は、かつてこの惑星と貧しい人々を捨てて行った者どものようではなしに、生き残った者らを逃がしたい。つまり、誰のことも見捨ててはゆかぬ。そのためには、まず地球上の人々が平和的に協力する関係がなくてはならぬ》
《…………》
《そなたは、その礎だ。両国の友好関係の、最初の気高い一歩であり、黎明であり、貴重な敷石なのだ》
《玻璃どの……》
《まずは、アルネリオと滄海がしっかりと手を組まねばならぬ。そうして人々を教育し、大量の宇宙船を建造するために働いてもらわねば。これは地道で、壮大な計画だ。道は決して平坦ではない。恐らく多くの失敗もあろう。だが、必ず成し遂げねばならぬ仕事。大きな使命だ》
《はい……》
ユーリはこくりと頷いた。
驚くべき告白だった。
この人がそんなことを考えていたとは、ユーリ自身も今の今まで知らなかった。
だが玻璃の真摯な瞳には、一片の嘘もごまかしもなかった。
(玻璃どのは……)
この人は、ずっとこのようなことを考えていたのか。
きっとあの宇宙船の中で囚われていた間にも考え続けていたのに違いない。自分自身の命さえどうなるかもわからない、厳しい状況下にあってさえ。
恐らく皇族、王族というものは、そういう者であらねばならぬのだろう。
《玻璃ど……いえ、玻璃》
ユーリはまっすぐに玻璃を見た。
彼の両腕に自分の両腕をつなぎ合わせて。
《どうか、お手伝いをさせてください。どうかこの私にも。……及ばずながら、あなた様のお仕事を。壮大なその未来絵図の、ほんの片隅でいいのです。私を居させて欲しい。その大切なお仕事を、私にも手伝わせて欲しいのです》
玻璃がにこっと、白い犬歯を見せて笑った。
《うむ。もちろんだ。よろしく頼むぞ、配殿下》
くをん、くをんと、遠くで鯨の声がする。
耳の装置は、人の耳には届かぬはずの音をときおり拾って再現する。
微かに届くそれを聞きながら、二人はそっと抱きしめ合い、どちらからともなく唇を重ねあった。
《愛している……ユーリ》
《僕も、愛してる……玻璃》
くをん、くをんと。
海の生命が未来を希求む声がする。
(玻璃……)
わたしだけの、海の皇子。
……愛してる。
この人を、心から。
いつかは滅びゆくこの惑星から、皆で逃れでなくてはならないとしても。
自分はいつも、この人の隣にいよう。
今は宇宙の彼方に去った、あの子の弟や妹を得て。
そうして、温かな家庭を築くのだ。
あの子が戻って来た時に、みんなで包み込むようにして迎える、その日のために。
鯨の母子の呼びあう声が、波の向こうにふつりと消えた。
玻璃の唇がそっと近づく。ユーリは黙って目を閉じた。
ふたりの姿はひとつに重なり、翡翠の波間にとけてゆく。
ゆくりなくさし込んできた一条の陽光。
温い光の泡のゆらぎ。
穏やかな水面。
──愛してる。
私の、海の皇子さま。
この身の持てる、すべてをかけて。
さらさらと鳴る玉響の潮騒の下。
ふたりの人魚は寄りそったまま、静かに臣下に見守られ、
いつまでも波間に揺蕩っていた。
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