ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第六章 帰還

1 水の惑星(ほし)

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(ああ……もうすぐだ)

 青い水を湛えた美しい惑星が次第に近づいてくるのを、ユーリは宇宙艇のコクピットでじっと見つめている。
 火星の軌道上から地球までの距離を、すでに半分ほど進んできたが、滄海の宇宙艦隊が干渉してくることはいっさいなかった。あの男の船のAIが協力してくれたことで、この宇宙艇にも滄海の厳しい監視網をくぐりぬけることのできるステルス性能が付加されたのだ。
 恐るべき技術力だった。これがあるからこそ、あの時あの男はなんの障害もなく、玻璃を帝都から攫うことができたのだ。

 別れ際、フラン少年は必死で笑顔を保とうとして、結局失敗していた。さすがに幼児のときのように大声で泣きこそしなかったけれど、力いっぱいユーリに抱きついて、しばらく離れてくれなかった。

『きっときっと、約束だよ、ユーリパパ。また絶対、絶対に会えるよね?』
『もちろんだよ。いつでも訪ねてきて。玻璃どのだって、きっと君を歓迎してくれるからね』

 その間じゅう、人外の男はずっと冷ややかな目をして腕組みをし、ほとんどそっぽを向いていた。
 きっと気恥ずかしいのだろう。この男が素直な好意や謝意をあらわすことなんて、もともと期待もしていない。だからユーリはにっこり笑って、最後に彼に言ったのだ。

『じゃあね、アジュール。ちゃんとこの子と幸せになるんだよ』と。
『やかましい。大きなお世話だ』

 男は吐き出すようにそう言って、忌々しげに鼻を鳴らしただけだった。
 構わず男に近づくと、ユーリは最後にぎゅっと男の体を抱きしめた。
 男はさすがに面食らった様子だったが、特に抵抗はしなかった。だが、もちろん抱き返してもこなかった。隣でフランが潤んだ目をしたままにこにことそれを見つめていた。

 色々と大変なことが多かったし、地球であの男に殺された人々のことを思えば、皇族につらなる者として簡単に許していいとは思わない。だが、ユーリにはどうしてもあの男を心から憎むことができなかった。玻璃をあんな目に遭わされた時ですら、殺してやりたいとまでは思わなかった。
 直接関係がないとは言っても、やっぱり自分だって人間だ。そして人間は、あまりにも身勝手な自分たちの要求のために、あの男と双子のフランを造り出した。それに、かの男が言うことが本当ならば、「アジュールとフラン」という名の『人形ドール』はこの宇宙に、何百、何千組も放出されているらしい。そのすべての罪を数えたら、いったいどれほどの重さになると言うのだろう。

(幸せになって。……幸せになるんだよ、フラン)

 最初のうちこそ、自分の意思とは関係なく生まれて来た子だったけれど。
 それでも、あの子の幸せを願わずにはいられなかった。
 心に深い傷を負い、唯一無二の相手として愛していた兄弟を喪ったあの男は、恋愛対象とするにはとても難しい相手だろう。あの男とは、そう簡単に幸せな未来を築いていけるだろうとは思えない。さすがのユーリでも、そこまで楽観的にはなれなかった。
 だから、地球に戻ったらユーリには仕事がたくさんある。
 いつかあの少年が自分を頼って地球に戻って来ることがあったら、彼が不安を覚えずにあそこにいられるような場所づくりをきちんとしておいてあげねばならない。そのためには、滄海の人々と帝国アルネリオの人々との協力関係をより深く、強くしておくことも必要だろう。
 だが、きっとうまくいく。
 玻璃の強い後押しがあれば、きっと。
 たとえそれがなかったとしても、自分は石にかじりついてでもそれを成し遂げなくてはならない。

(あとは……あなただけどね)

 今はコクピットの後方に設置されている、ユーリが使っていた人間用の保護カプセルをそっと振り返る。
 そこには今、健康な体を取り戻した愛する人が昏々と眠っている。
 あれ以来、玻璃は目を覚まさない。
 「眠り姫」とは言ったけれど、一応「王子」の自分のキスでは彼は目覚めてくれなかった。無理もないことだった。あれほどの強いストレスがかかったのだ。
 アジュールによれば、「時間はかかるかもしれないが必ず目を覚ます。安心しろ」という話だったので、ユーリもさほど心配はしていない。
 ただその時間がどのぐらいの長さになるのかは、やっぱり「本人の体力と運次第だな」というのがアジュールの意見だった。


 青い惑星が近づいてくる。
 そろそろ、月の軌道上を抜ける頃だった。

「帰ってきたよ。……ねえ、玻璃」

 そっと後ろを振り返って、ユーリはふと涙ぐんだ。

「君と一緒に、見たかったな……」

 小さな声がコクピットの壁に吸い込まれて消えていく。
 やがて宇宙艇のAIの機械的な声が、大気圏突入シークエンスに入ることを静かに告げた。
 ユーリはシートに自分の体を固定させると、最後にもう一度眼前の惑星に目をあてて背もたれに体を預け、ゆっくりと目を閉じた。

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