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第五章 駆け引き
16 光の翼
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「えっ……!?」
光り輝くアジュールの体の背中のあたりから、ぶわっと大きな光の塊が生まれたのだ。
それは見るみる大きくなると、やがて見覚えのある形をとった。
それは真っ白で、どこにも染みひとつない鳥の翼だった。それも、非常に巨大なものだ。
以前、空を飛べるという話を聞いたが、要するに彼らはこれで大空を飛ぶのだろう。色目のせいでつい白鳥を連想するが、形としては鷲や鷹といった猛禽類のそれに近いようだ。いかにも雄々しくて勇壮である。昔、彼らから生まれた人々が彼らを神聖視し、神のように崇め奉ったという話だったが、さもありなんと思った。
翼はゆったりと広がると、それ自体もきらきらと光って周囲に光の粒をまき散らした。
(な……なんだ? これは──)
ユーリはもう、まともに目を開けていることも難しい。それは背後に立っているフランも同じのようだった。ユーリの手は、すでにアジュールの腕から解放されている。二人で手を取り合い、ほとんど抱き合うようにして、目の前で起こっていることをじっと見つめているしかなかった。
アジュールの体から生まれてくる光は、無尽蔵に見えた。それが今やもう光の奔流になってどんどん玻璃に注がれている。それは恐らく、命の源のようなものなのだろうと思われた。
アジュールの異形の姿に目を奪われていたユーリは、そこで玻璃を見てハッとした。
玻璃の姿に、明らかに変化があった。
かさかさになっていた肌にうるおいと、もとの若々しい張りが戻っている。枯草のようになっていた髪にも艶がもどり、健康的なうねりと輝きを取り戻していた。
「玻璃……。玻璃どのおっ!」
ユーリは思わず二人に駆け寄った。フランもあとに続く。
アジュールが玻璃の背から手を離すと、周囲を照らしていた光が次第に薄れて消えていった。それと同時に、彼の翼もぱあっと光の粒にほどけて霧散し、空気に溶けていく。
終わってみれば、いつもどおりの面倒臭そうな顔をした冷たい瞳の男が立っているばかりだ。今起こったことが、まるきり嘘のようだった。
恐るおそる顔を覗きこんでみると、玻璃は先ほどとは打って変わって、ごく安らかな表情で眠っていた。すやすやと穏やかな寝息をたてている。胸に耳を当ててみれば、規則的な鼓動がきちんともどっているのがわかった。
「あ……。ああ……」
ユーリは玻璃の体を抱えたまま、その場にへたりこんだ。まだ体じゅうが震えている。滄海では「狐につままれたような」という譬えがあるが、まさにそんな気分だった。妖怪や物の怪にばかされたような気分である。
「だ、大丈夫……? 玻璃……ほんと?」
子供のように片言で訊く。アジュールは嫌味ったらしく口の端をひん曲げて見せた。
「そのうち目を覚ます。心配するな」
「ほんとうに……?」
「信用できないなら、好きなだけ《サム》に検査させるがいい」
「パパ……!」
その途端、フランがアジュールの首に飛びついた。
「うわっ!」
「パパ、パパ……! ありがとう! やっぱりパパだ、ありがとう……!」
アジュールはさらに渋面になってそっぽを向いた。こんな風に手放しで喜ばれ、正面きって礼を言われるといたたまれないのだろう。
ユーリもやっと顔を上げると、おずおずと言った。
「あ、その……。ありがとう、アジュール。その、さっきは──」
あまりに暴言を吐いて、ひどいことを言ってしまった。今更のように後悔が押し寄せる。だが、男は特に気にする風もなく、首のところにフランをひっかけたままの状態でくいと顎を上げた。
「ふん。いいからさっさと帰り支度でも始めろよ。……ああ、それから」
言って片手をこちらに伸ばしてきたので、思わず「ひゃっ!」と首を竦める。
しゅるしゅるっとその指先がまた変形して、するりとユーリの項のあたりを撫でた。それは過たずユーリの鰓の中をさぐって、小さなカプセルを素早く抜き取っていた。あっという間のことだった。
「あ……」
ユーリは青ざめて自分の首筋をおさえた。
「ん? なあに? それ」
フランが妙な顔になっている。
男はにやりと笑みを深くすると、指先でぷちんとカプセルを擂り潰した。蟲でも潰すようだった。
「もう必要ないからな。そうだろう?」
「え、あの──」
(まさか……)
この男、最初からこれの存在を知っていたのか。
ユーリの内心を正確に読み取った顔で、男は薄笑いを浮かべたまま、性格の悪そうな半眼になった。
「知らなかったと思うのか? 《サム》の解析能力をバカにするなよ」
「うう……」
もはや一言もない。完全に肩を落としたユーリを後目に、アジュールは今度こそきっぱりと踵を返した。嬉しさを全身にみなぎらせて、フランが軽い足取りでその後に続く。
彼らの姿を見送って、ユーリは改めて腕の中のひとを見下ろした。
穏やかな寝顔をした、愛する人。
「玻璃どの……」
今度はまた違う意味をもつ雫が、男らしい彼の頬にぽつりと落ちる。
それからそうっとそうっと、彼の唇に自分のそれを押し当てた。
(今度は『眠り姫』ですね……? 玻璃どの)
さあ、帰ろう。
あなたと一緒に。
みんながあなたを待っている。
あなたと私を育み、出逢わせてくれた、
あの青い海に彩られた、清かな私たちの惑星に。
光り輝くアジュールの体の背中のあたりから、ぶわっと大きな光の塊が生まれたのだ。
それは見るみる大きくなると、やがて見覚えのある形をとった。
それは真っ白で、どこにも染みひとつない鳥の翼だった。それも、非常に巨大なものだ。
以前、空を飛べるという話を聞いたが、要するに彼らはこれで大空を飛ぶのだろう。色目のせいでつい白鳥を連想するが、形としては鷲や鷹といった猛禽類のそれに近いようだ。いかにも雄々しくて勇壮である。昔、彼らから生まれた人々が彼らを神聖視し、神のように崇め奉ったという話だったが、さもありなんと思った。
翼はゆったりと広がると、それ自体もきらきらと光って周囲に光の粒をまき散らした。
(な……なんだ? これは──)
ユーリはもう、まともに目を開けていることも難しい。それは背後に立っているフランも同じのようだった。ユーリの手は、すでにアジュールの腕から解放されている。二人で手を取り合い、ほとんど抱き合うようにして、目の前で起こっていることをじっと見つめているしかなかった。
アジュールの体から生まれてくる光は、無尽蔵に見えた。それが今やもう光の奔流になってどんどん玻璃に注がれている。それは恐らく、命の源のようなものなのだろうと思われた。
アジュールの異形の姿に目を奪われていたユーリは、そこで玻璃を見てハッとした。
玻璃の姿に、明らかに変化があった。
かさかさになっていた肌にうるおいと、もとの若々しい張りが戻っている。枯草のようになっていた髪にも艶がもどり、健康的なうねりと輝きを取り戻していた。
「玻璃……。玻璃どのおっ!」
ユーリは思わず二人に駆け寄った。フランもあとに続く。
アジュールが玻璃の背から手を離すと、周囲を照らしていた光が次第に薄れて消えていった。それと同時に、彼の翼もぱあっと光の粒にほどけて霧散し、空気に溶けていく。
終わってみれば、いつもどおりの面倒臭そうな顔をした冷たい瞳の男が立っているばかりだ。今起こったことが、まるきり嘘のようだった。
恐るおそる顔を覗きこんでみると、玻璃は先ほどとは打って変わって、ごく安らかな表情で眠っていた。すやすやと穏やかな寝息をたてている。胸に耳を当ててみれば、規則的な鼓動がきちんともどっているのがわかった。
「あ……。ああ……」
ユーリは玻璃の体を抱えたまま、その場にへたりこんだ。まだ体じゅうが震えている。滄海では「狐につままれたような」という譬えがあるが、まさにそんな気分だった。妖怪や物の怪にばかされたような気分である。
「だ、大丈夫……? 玻璃……ほんと?」
子供のように片言で訊く。アジュールは嫌味ったらしく口の端をひん曲げて見せた。
「そのうち目を覚ます。心配するな」
「ほんとうに……?」
「信用できないなら、好きなだけ《サム》に検査させるがいい」
「パパ……!」
その途端、フランがアジュールの首に飛びついた。
「うわっ!」
「パパ、パパ……! ありがとう! やっぱりパパだ、ありがとう……!」
アジュールはさらに渋面になってそっぽを向いた。こんな風に手放しで喜ばれ、正面きって礼を言われるといたたまれないのだろう。
ユーリもやっと顔を上げると、おずおずと言った。
「あ、その……。ありがとう、アジュール。その、さっきは──」
あまりに暴言を吐いて、ひどいことを言ってしまった。今更のように後悔が押し寄せる。だが、男は特に気にする風もなく、首のところにフランをひっかけたままの状態でくいと顎を上げた。
「ふん。いいからさっさと帰り支度でも始めろよ。……ああ、それから」
言って片手をこちらに伸ばしてきたので、思わず「ひゃっ!」と首を竦める。
しゅるしゅるっとその指先がまた変形して、するりとユーリの項のあたりを撫でた。それは過たずユーリの鰓の中をさぐって、小さなカプセルを素早く抜き取っていた。あっという間のことだった。
「あ……」
ユーリは青ざめて自分の首筋をおさえた。
「ん? なあに? それ」
フランが妙な顔になっている。
男はにやりと笑みを深くすると、指先でぷちんとカプセルを擂り潰した。蟲でも潰すようだった。
「もう必要ないからな。そうだろう?」
「え、あの──」
(まさか……)
この男、最初からこれの存在を知っていたのか。
ユーリの内心を正確に読み取った顔で、男は薄笑いを浮かべたまま、性格の悪そうな半眼になった。
「知らなかったと思うのか? 《サム》の解析能力をバカにするなよ」
「うう……」
もはや一言もない。完全に肩を落としたユーリを後目に、アジュールは今度こそきっぱりと踵を返した。嬉しさを全身にみなぎらせて、フランが軽い足取りでその後に続く。
彼らの姿を見送って、ユーリは改めて腕の中のひとを見下ろした。
穏やかな寝顔をした、愛する人。
「玻璃どの……」
今度はまた違う意味をもつ雫が、男らしい彼の頬にぽつりと落ちる。
それからそうっとそうっと、彼の唇に自分のそれを押し当てた。
(今度は『眠り姫』ですね……? 玻璃どの)
さあ、帰ろう。
あなたと一緒に。
みんながあなたを待っている。
あなたと私を育み、出逢わせてくれた、
あの青い海に彩られた、清かな私たちの惑星に。
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