ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第五章 駆け引き

15 変貌

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 すっかり動かなくなった玻璃の体にとりついて、声も枯れよと泣いているユーリを、フラン少年もまたぼとぼとと涙を落としながら見つめていた。
 ユーリは、枯れきって艶をすっかりうしなった玻璃の髪を優しくなで続けている。それはつややかな銀色から、すっかり風化したような白髪へと変貌していた。あんなに優しかった瞳も指先も、完全に命をなくして干からびている。
 ユーリの胸に、どす黒いなにかがじわじわと広がっていくのがわかった。

(……まってて、玻璃。あなたを、こんな所でひとりで行かせたりしないから)

 そろそろと自分のえらに手を伸ばす。
 そこには、彼の弟である瑠璃殿下から渡された通信装置のカプセルが埋め込まれている。それは通信装置であると同時に、ユーリが自分の命を左右する決定権をもつことの象徴でもあった。
 瑠璃はそこに、猛毒を仕込んでくれているのだ。それを口に含んで咀嚼すれば、さほどの痛みも苦しみもなく、ユーリは自分の命を手放すことができる。

 瑠璃は許してくれたのだ。
 最終最後、玻璃も救えず、自分の命運ももうどうにもならぬと悟ったあかつき
 その時は、ユーリは瑠璃に謝罪をしに戻るという責務から解かれる。そうすることを、みずから選んでよいのだと。
 つまり。

 その毒を含んで、自死を選んで構わない──と。

(玻璃どの──)

 目をつぶり、鰓にぐっと爪を立てる。ぴりっと鋭い痛みが走った。
 指先に、その奥に隠されていたカプセルが触れる。
 その時だった。

「そこまでだ」
 変形して鞭のようになったアジュールの腕がするするっと巻き付いてきて、ユーリの手の動きを阻害した。
「……放して」
 喉の奥で低く言って、ユーリは男を睨んだ。
 精一杯、持てる憎悪の限りをこめて。

 嘘つき。
 こんな人外の、情のかけらもないお前を信じていた自分が腹立たしい。あの時の甘っちょろい自分を、思い切り殴りつけてやりたかった。どんなに恨みつらみがあったとしても、今はフランという可愛い子供を得て、この男だって少しは人間らしい気持ちや情愛を学んでくれているものと思っていた。そんなもの、すべて幻想だったのに。

「お前なんか、大嫌いだ。玻璃を……玻璃を、返してよ」

 零れる声がどうしようもなく歪む。
 彼の名を口にするだけで、また新たな涙が溢れた。
 フランは男の隣で口元を覆って立ちすくんでいる。真っ赤な目をしてぼろぼろと涙を落としていた。
 ユーリはふらふらと頭を揺らしながら、ぼんやりと男と少年の方を見た。

「もういいだろう。十分だろう? 人の命を玩具おもちゃにするな。これ以上は許さない。そりゃあ、お前も散々、人間に玩具にされたんだろうけど。それは気の毒だと思ってたよ。申し訳ないともね」
 男がじろりとこちらを睨んだ。
「でも、それと今の僕らとはなにも関係ない。千年も前の、他の人間たちがやったことだ。まして、この玻璃どのにはなんの責任もないことだった。僕らで憂さ晴らしをするのはやめてくれ。……僕の命をやるから、もうそれで満足しろよ」
「パパ……」

 フランが悲痛な声をあげた。
 だが、口調や言う内容になど、もう構っていられなかった。
 いつのまにか近づいて来ていた男は、冷ややかな目で玻璃の体にとりついたままのユーリを見下ろしている。
 ユーリは負けずにその瞳を睨み返した。

「お前にはその子がいるじゃないか。だからいいだろう? ……僕は、玻璃のところへ行く。行かせてよ」
「だめだ」
「どうしてだよっ!」

 どんなに大きな声で叫んでも挑発しても、男は小動こゆるぎもしなかった。今までのことが嘘のように、静かで冷たい瞳をしてユーリと玻璃を観察する風である。これだけ挑発すれば、うまくすればひと思いにこの首を飛ばしてくれるのではないかと期待したのに。

「お前が死ねば、この子が悲しむ」
「知るもんかっ!」
 言ってはならないことだとわかっていたが、ユーリには自分の口を止められなかった。
「玻璃どのが、もういない。……いやだ。もういやだ。玻璃どののいない世界に、もう一秒だって生きていたくない。お前には関係ないことだろう。もう、放っておいてよ!」

 必死で振り払おうとするのに、ユーリの手はそこから、ほんの1ミリも動かすことができなかった。まるで万力に締め付けられたように、ピクリとも動かせない。

「いいから、お前は黙って見てろ」

 男はそのまま、無造作にユーリの体を玻璃の体からひっぺがすようにして押しのけた。相変わらず、ぐにゃりと伸びて変形した手でユーリの腕を戒めたままである。《水槽》の台から転げ落ちかかったユーリの体を、慌てて後ろからフランが受け止めた。
 男はかちこちに固まって変色している玻璃の体を見下ろすと、もう片方の手をその背中に当てた。

「なっ……なにを──」

 まさか、玻璃の亡骸をこれ以上辱めるつもりなのか。言いようのない戦慄を覚えて身を竦めたら、背後からフランにぎゅっと抱きつかれた。

「大丈夫、ユーリパパ。きっと大丈夫だから、見ていて」

 アジュールに聞こえないようにだろう、それはかなり低い声だった。
 改めて前を見ると、すでにそれは始まっていた。

(え……?)

 玻璃の背中にあてたアジュールの手が、ぼんやりと光っているような感じがする。いや、次第にそれは光を増して、はっきりと輝き始めた。よく見ると、アジュールの体の中から細かい光の粒が生まれて、手のひらを介して玻璃の体へ注ぎ込まれている。
 光はどんどん増していき、すぐにまぶしいほどになった。冷たかった周囲の空気も、それに伴って温かくなってくる。やがてアジュールの全身に光が行きわたった、と見えた次の瞬間、異変が起こった。

「えっ……!?」

 光り輝くアジュールの体の背中のあたりから、ぶわっと大きな光の塊が生まれたのだ。
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