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第五章 駆け引き
8 多数決
しおりを挟む「いやだよ! そんなの、イヤに決まってるでしょ」
途端、止まっていたフランの涙がまたどっと溢れだした。
「ユーリパパと会えなくなるなんてイヤだ。いやだっ! いやだけど……しょうがない、でしょ……」
言葉の最後はもう、嗚咽にまぎれて聞こえなくなる。
ユーリは力いっぱい少年の体を抱きしめた。ユーリの目からも涙が溢れた。
少年は泣きながら言い募った。
「でも……ユーリパパが悲しい顔をしているのは、もっと、もっといやなんだ。パパたちには幸せに笑っていて欲しい。どっちのパパにも」
呆然と突っ立っていた男があちらでわずかにぴくりと動いた。はっきりと目の端に入ったが、ユーリは敢えて気づかないふりをした。
「ユーリパパが幸せじゃないなんていやだ。それはきっと、玻璃どのと一緒でないとダメなんだ。……そうでしょう?」
「フラン……」
(でも、僕だって)
僕だって、君が寂しがったり悲しんだりしながら生きているのは嫌なんだ。
だとしたら、どうすればいい?
どうすれば君とアジュールと、自分と玻璃殿がうまく折り合いをつけることができるのか。
と、玻璃の思念の声が部屋に響いた。
《そこで、アジュール殿。ものは相談なのだが》
「む」
アジュールが暗くなった瞳を上げる。男はすっかり覇気を無くして、うらぶれた雰囲気を放散している。なんだかそこいらの野良犬のようだ。
《フランは図らずも我が配偶者、ユーリの血を受け継いだ。彼も大切なユーリの子である。ほかの者が親子の縁を勝手に断ち切ることほど罪深い話はない》
アジュールは無言で《水槽》の中を睨みつけている。
《で、いかがだろうか。そちらには、こちらの技術を上回るステルス機能があるのだろう? それなら、時々フランだけでもこちらに顔を見せに来るというのは》
「え、ええっ?」
これにはユーリも仰天した。
腕の中にいるフランも、目をぱちくりさせて玻璃を見上げている。
「そ、そんなことが許されるの? だって玻璃どの……」
言いかけたら、玻璃が目だけで優しくユーリを制した。相変わらず泰然とした巨躯を緑の液体に沈めて、堂々たる威厳を失わないのはさすがなものだ。
《もちろん、『お忍びで』ということにはなろうし、地球の王族や皇族としての身分もやれぬだろうが。フランがアジュールの子だなどと知れた日には、彼が手に掛けた者らの遺族が黙ってはおるまいし》
「そ、それはそうだね」
《それゆえ、事前に是非とも連絡だけはしてほしい。ユーリの腕輪を《サム》に解析させるとよかろう。事前にそこに連絡をくれれば、だれにも邪魔されぬ相応しい場所を、責任をもって用意させよう。そこで二人がいつでも会えるようにする。もちろん、すべて内密にな。……これはそういう提案だ》
話を聞いているうちに、次第に男の顔に苦々しいものが甦ってくるのが分かった。皮肉げな微笑を口の端にのぼせ、にやりと玻璃を見返っている。
「貴様。その筒のなかでずっと、そんなことを画策していたわけか」
《画策するというほどのことはなし。二人の幸せと行く末を思えばこそだ》
玻璃は少し目を細め、しれっと答えた。
《無論、我らが約束をたがえたその暁には、その時こそそちらの好きにしてくれてよい。俺の首ごときでいいならば、いつでもそちらに差し上げるゆえ》
「えっ。いや、玻璃殿……!」
「ふん、片腹痛い」
慌てるユーリを後目に、男は面倒臭そうに首の後ろを掻いた。
「そんなちょっとばかりの有機物、何ほどの役に立つというんだ」
「で、でも! もしもそれで、ユーリパパに会えるんだったら嬉しいよ、僕!」
少年が明るい瞳を取り戻して叫んだ。涙にぬれた頬はそのままに、微かに見えはじめた光明を感じ取って、少年は明らかに本来の生命力を取り戻したように見えた。
「それにそれに! ユーリパパと玻璃どのの間にできた子供たちは、僕の妹か弟になるんだよね? そしたら、その子たちにも会えるんだもんねっ!」
「え、ええ……?」
「腕輪で連絡すればいいんだよね? うわあ、楽しみだなあ。嬉しいなあ! ね、そうしようよ、ユーリパパ!」
「や、あの……」
自分をおいてきぼりにして、話がどんどん進んでいく。ユーリは目を白黒させた。
子供? この子はいま、ユーリと玻璃の子供がどうとか言ったのか?
身内がかあっと熱くなったのを覚えたが、ユーリはそれを悟られぬよう必死に誤魔化そうとしたが、顔がひくひくとひきつるのはどうしようもなかった。
「で、でも。本当にそれ、アジュールは許してくれるの?」
皆の視線が、また一人の男に集まった。
当の男はやや不貞腐れたような顔で口をひん曲げ、今度は思わせぶりに腕組みなどしている。
「貴様ら。みんなして同じ目をするな、気色の悪い」
「ね、いいでしょ? アジュールパパ、お願いだよ。それなら僕、寂しくない。毎日ユーリパパに会えなくなっても我慢する。アジュールパパがいてくれるなら大丈夫だし。僕はアジュールパパのそばにいたいんだもん」
「む……」
アジュールが珍しく言葉に詰まった。
「そうだね。アジュールと何か喧嘩なんかしても、こっちに戻ってこられるならフランだって安心だろうし、助かるよね」
《そうだな。『夫婦喧嘩をして実家に帰る』というのは、定番中の定番でもあることだし》
玻璃は暢気にぽりぽりと顎など掻いている。
「おいこら、貴様ら。なにを勝手に──」
「け、ケンカって……? いや僕、パパとケンカなんて」
が、 ユーリはきっぱりと首を横に振った。
「いや、するする。そのうち絶対に大げんかするんだから、君たちは」
そうだ。近いうち、その日は必ず来るだろう。ユーリにはそういう予感があった。
もしもフランが自分が単なる「フラン」ではなく、自分の前にいた存在に気付いた日には。その時、必ずひと悶着起こるはずだからだ。
《ともかく。いずれにしろ、そういう『保険』はつけておいた方がよかろう。宇宙空間に二人きりというのは、いかに仲が良くともかなりのリスクを伴うものだからな》
「僕もそう思うよ。フラン」
「玻璃どの……。ユーリパパ」
二人の顔を代わる代わる見て、少年は顔をごしごし擦った。その後はもう、くっきりとした可愛らしい笑顔を見せた。玻璃とユーリも同じ表情で彼を見返した。
だがここにたった一人、不満げに歯をむき出している男がいる。
「だから。俺を差し置いて、勝手に話を進めるなというのに!」
「でも。じゃあ他にどうするのがいいと思うの? アジュールは」
ユーリが静かに問い返すと、男はまたむっつりと口を閉ざした。
「ね? 決まり。三対一だ。これが『民主的な多数決』ってやつだよ、フラン」
「わーい!」
ユーリがにっこり笑いかけたのと、フランが飛び上がったのは同時だった。
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