ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第五章 駆け引き

7 フランの願い

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 場には重苦しい沈黙がおりた。
 ただ少年の嗚咽だけが、静かな部屋に低く響いた。

「ぼ……僕のことだってそうだ。ユーリパパが、アジュールパパと……なんて、あるはずないんだから。パパが無理やりそうしたんでしょう? 違うの?」

 少年はもう、両目からいっぱい涙を零しながらひたとアジュールを見つめている。

「僕……ほんとうは要らなかった? 別に、欲しくてつくった子じゃなかった……?」

 今度こそ、男は完全に沈黙した。
 もはや少年をまともに見ることもできず、足元に視線を落としたままだ。

「面白がってたの? パパ。僕が生まれてきちゃったら、ユーリパパたちが困るだろうって思ったの?」

 男は何も答えない。強張った顔のまま、やはり視線をこちらへ向けなかった。
 少年は涙を止められないまま、ふるえる声で言い続けている。

「生まれてきた僕のことは、なんにも考えてくれなかった……?」
「やめて、フラン」
 ユーリはとうとう、後ろから少年を抱きしめた。
「フラン。やめて。……お願いだから、やめてあげて」

 男にとって、この少年の断罪の言葉がもっとも刺さるやいばになるはずだった。孤独と憎しみに塗りこめられてきた男の精神状態を考えれば、いま、この少年にこれ以上のことを言わせるべきではないと思った。
 その衝撃が、いつまた恐るべき攻撃衝動に豹変するかわかったものではない。この少年を傷つけさせることだけは、絶対に許してはならなかった。それは恐らく、この男の精神をも破壊することになるだろうから。
 ぎゅっと両腕に力を込めたら、少年はびしょびしょに濡れた頬をこちらに向けた。

「もしかしたら、最初は……本当にほんとの最初だけは、彼だってそんな気持ちだったかも知れないよ。でも、今はそうじゃない。それは僕も保証する」
「ユーリパパ……」
「アジュールは君のことを本当に大事に思ってる。そうでなければ、この冷静な人がこんなに動揺したりしない。今までのこと、思い出してごらん。彼はずっとこまやかに君の面倒を見てきてくれていた。君を思っていなかったら、君のことをあんなに細々こまごまと心配するはずがない。そうでしょう?」
「ほんと……? パパ」
「本当だよ。ほら、パパを見てごらん」

 ユーリとフランが視線を向けた先では、アジュールが呆然とやっぱり床を見つめていた。その指先が遠目にも細かく震えているのがはっきり見えた。
 あれほど恐ろしかった人外の生き物が、今はなんだか吹けば飛びそうなほどに存在感をなくしていた。今にも空気に溶けて霧散し、消えてしまいそうに見える。もはや哀れに思えるほどだった。

「君に嫌われたら、まして去られたら、あのパパはもう生きていられないかも知れない。今の君はそれぐらい、パパにとって大事な大事な、とても大きな存在になってるんだよ」
「ほんと……? ほんとに?」
「間違いない。僕を信じて」

 そこにひとつ大きな問題は残っているが、今のアジュールが少年を溺愛しているのは事実である。たとえそれが、かつて喪った自分の半身と重ねて見ているからだとは言ってもだ。

「君さえいれば、パパはきっと他になんにも要らないはずだ。ほんとうは、僕のことだって本気で必要とはしていない。僕を欲しがるのは、君が僕をパパとして大切に思ってくれているから。……それだけだ」
「そうなの……?」

 そこで少年はひとつ首をかしげて考える風だった。

「でも、じゃあ……だから、玻璃どのとユーリパパは一緒に逃がしてくれないってこと?」
「いや。玻璃殿のことは『逃がしてもいい』って言ってくれた。ただし、僕はダメだって」
「そんなの……!」

 少年はまた、キッとなって男を見つめた。

「だから、可哀想だよっ! どうしてそんな意地悪なこと言うの。ユーリパパと玻璃どのは一緒にいさせてあげなくちゃ。だって『ケッコン』してるんだから。パパが僕を離したくないって思ってるのと同じでしょ? 生きているのに、どうして大好きな人と別れて暮らさなきゃいけないの!」

 少年の表情はもう、小さな子供のそれではなかった。自分の意思をもち、はっきりと嫌悪や怒りを表明できる一人の人間として、きちんと自我をもった人のそれだった。

「僕がいればいいんだったら、もうユーリパパのことは許してあげてよ。玻璃どのといっしょに、もう地球に戻してあげて。お願いだよ、アジュールパパ」
「…………」
「そのまま僕らは、ここを離れるんだ。何もしないで去ろうよ。そのまま、もう地球ここには戻って来なければいい。もう、みんなに迷惑をかけなければ。玻璃どのがそれを許してくれるなら、だけど……」
《無論、許すとも》

 ここで初めて、黙っていた玻璃が口を開いた。とはいえ、思念での会話だけれども。
 アジュールが低い声で《サム》に何かを命じると、部屋の中に玻璃の声が響き始めた。《サム》が仲介したのだろう。

《フラン。海底皇国、滄海を代表して、そなたに礼を言う。できることならそなたの申す通り、ユーリと共に地球に戻して頂ければ大いにありがたく思う》
「玻璃どの……」
 フランは玻璃を見上げて、何度か頷いた。
「うん。僕もそうして欲しい。ここにいるあいだ、ユーリパパはずっと悲しそうだったもん。僕には笑ってくれていたけど、どんどん痩せていたでしょう。それは、玻璃どのや地球のみんなのことが心配で、ろくにご飯も食べられなかったからでしょう?」
「で、でも……フラン」
 ユーリの声はどうしても掠れてしまった。
「それじゃ、もう僕はフランと会えなくなっちゃうんだよ……? それでもいいの?」
「いやだよ! そんなの、イヤに決まってるでしょ」

 途端、なんとか止まっていたフランの涙がまたどっと溢れだした。
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