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第五章 駆け引き
3 フランの悩み
しおりを挟む「……最近ね。ちょっとパパ、おかしいんだ」
「おかしい? って、どんな風に?」
フランが言うには、こうだった。
生まれてこのかた、少年はずっとアジュールと同じ寝床で眠ってきた。彼が作業その他で忙しい時にはユーリが添い寝してあげることもあったけれども。入浴や着替えも、ユーリが手伝う場面はあったが、基本的にはアジュールが面倒を見ていた。
それなのに、近頃あの男はこの少年に関わることをなんとなく忌避している感じがするのだという。
「パパ……パパね。『お前ももう、そろそろひとりで寝られるようにならなくちゃな』って言うの。『風呂ももうひとりで入れ』って」
「あ……うん。それはまあ、そうかもしれないけど」
「えっ。そうなの?」
少年はびっくりしたように目を上げた。その拍子に、持っていた収穫用のかごからトマトがぽろぽろ零れ落ちた。ユーリはそれを拾い上げて少年に渡してやりながら、できるだけ優しく微笑んで見せた。
「ええっとね。そりゃ、お国柄にもよるけれど。基本的に、大きくなった子はあんまり大人と一緒には眠らないもんだから。お風呂もそうだね」
「ええっ?」
「というか、もう赤ちゃんの頃からそうする所も多いよ。僕の故国ならそうだからね」
「そっ、そうなの?」
「僕は王族だったから、そもそも身の回りの世話なんかは乳母や侍女が担当していたし。赤ん坊のころから子供部屋が与えられていて、夜に寝るときには側付きの者が控えているだけで、親と一緒に寝ることはなかったはずだよ」
「そ、そんなあ……」
少年は寂しそうに肩を落とした。明らかにがっかりしている。
「ぼ、僕……。パパと寝るの好きなのに。ひとりで寝るなんてやだよ。怖いもん。また怖い夢を見たらイヤだもん……」
「うん。それはそうだよね」
言ってユーリは彼の手からかごを受け取り、棚に置いてから、彼の肩を抱きよせた。そのまま抱きしめ、頭をそっと撫でてやる。少年は、待っていたようにぎゅっとユーリにしがみついてきた。
いくら見た目が十歳以上でも、この子は生まれてからまだほんの数か月なのだ。本当なら、まだ母親の乳を吸って泣くしかできない赤ん坊でもおかしくない。
「この宇宙船は大きいのに、人はたった4人しかいないものね。寂しいと思うのは当たり前だよ。君がアジュールパパを大好きなのも当たり前だし」
「うん……」
「パパは、どうして『ひとりで寝なさい』って言うのか教えてくれたの?」
少年はユーリの胸のところで首を横に振った。
「そう。どうしてだろうね……?」
あんなにも、この少年を溺愛しているくせに。
あの男はどうして急に、そんなことを言い出したものだろう。
「じゃ、今度僕からも訊いてみてあげるよ」
「えっ。ほんと? ユーリパパ」
少年が、ぱっと顔を上げて嬉しそうに目を輝かせた。
「うん。理由がちゃんとわかれば、君だって言うことを聞きやすいだろうしね。多分それでも、一緒に寝てくれるようになるとは思えないけど……。それでもいいなら」
「そ……そうかあ」
一転、またしゅんと眉尻を下げてしまう。
ユーリは思わず、少年の頭をぽすぽす叩いた。
「まあ、そんなに落ち込まないで? アジュールが君のことを大事に思ってるのは本当なんだから。そこは心配しなくていいから」
途端、少年がくしゃっと泣きそうな顔になった。
「ほんと……?」
「本当だよ。決まってるだろう? なんだったら、しばらく僕のところで寝てもいいよ。アジュールが許してくれるなら、だけど。玻璃殿のあの部屋で、寝具を並べて寝ればいいでしょ」
「う、うん……」
「さあ、じゃ、朝ご飯にしよう? 僕、さっきからお腹が鳴りっぱなしだよ。ね? フラン」
「うん!」
完全に納得した風ではなかったが、少年の表情はそれで、かなり和らいだように見えた。
◆
ユーリが少年との約束を果たしたのは、そこから数日後のことだった。
なにしろ、上手くタイミングを見計らわねばならない。できるだけ男を刺激したくなかったし、穏便に話を進めたかった。場所も、危なくなれば仲裁に入ってもらうことを大いに期待して、玻璃がいる《水槽》の部屋を選んだ。当然、フランがもう寝入っている夜の時間帯にした。
ユーリはなるべく男の機嫌がよさそうな時を狙って、ごくさりげなく男に訊いてみた。
「アジュール。君、最近フランと一緒に寝ないようにしてるんだって? どうして?」と。
だが。
男はあからさまに表情を硬くした。
「なんだ。あの子がお前に泣きついたのか」
途端に殺気のこもった目で睨まれて、ユーリは背筋が寒くなった。
「ええっと……。そうじゃなくて。あんまりがっかりして寂しそうだし、悲しそうにしてたもんだから。僕が無理に聞き出したんだよ。ごめん……」
男はむっつりと黙り込んだ。相変わらず殺しそうな目でユーリを睨んでいる。
《水槽》の中の玻璃は、どっしりと胡坐をかいて座り込んでいる。黙ってはいるが、やや心配そうな目でユーリと男を代わるがわる見比べるようにしていた。
ユーリは相手の様子を注意深く窺いながら、恐るおそる言葉を重ねた。
「えっと。この宇宙船はとても広いでしょ? だからひとりでいると寂しいし、怖いんだって言ってたよ。あの子、君と寝るのが大好きなんだって。ひとりで寝るのが本当にイヤみたい。『アジュールパパ』が大好きなんだよ。……なんとかしてあげられないかな?」
「それは無理だな」
男はぴしゃりと言い放った。
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