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第四章 宇宙のゆりかご
10 詭弁
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女官に導かれてやってきたアルネリオの少年は、皇族に見えるにふさわしい正装に身を包んでいたが、明らかにやつれていた。
以前はちらりと見ただけだったが、美少年とまではいかずとも、生き生きとした紅顔の少年従者だったはず。それが見る影もなく痩せて顔色も悪く、彼のために誂えられているはずのアルネリオ式の衣装はだぶついて、あちこちが余って見えた。
そばにはいつものように、影のごとくに黒鳶が控えている。
瑠璃のほうは、少年に会うからといってわざわざ衣服を整えるでもなく、長椅子に座ったままで彼らを迎えた。訪問者たちは離れた場所で床に膝をつき、滄海式の拝礼をする。
「瑠璃殿下。このたびは、私ごときにお目通りをお許しいただきまして、まことにありがとうございます」
「ん」
瑠璃は長椅子のひじ掛けに頬杖をついたまま、軽く小首をかしげて見せた。彼を見慣れていない者なら、男女を問わずそれだけでさっと赤面するほどの顔だ。瑠璃自身もそうとわかって自分の体を御している。
目の前の少年もご多分に漏れず、思わず顔を紅潮させたようだった。
「で? 用件はなんだ」
「……は、はい」
ロマンはひどく硬くなっていたけれども、こくりと喉を鳴らして一度だけ、斜め後ろに控える黒鳶に視線をやった。男がわずかに目だけで頷くのを確認してから、瑠璃を見上げる。
「此度は、殿下にお願いがあって罷り越しました。大変、重要なお願いです」
少年の声はわずかに震えているようだ。
「願い? なんだ」
すっと目を細めて訊ねると、少年は唇をきゅっと噛み、丹田に力をこめたように見えた。
「帝都にお戻り願えませぬか。……いえ、ぜひともお戻りいただきたいのです」
「……なんだと?」
瑠璃は思わず、何度か目を瞬いた。
「帝都にお戻りいただき、兄君殿下のなさっていた職務をご代行くださいませ。群青陛下はもちろんのこと、藍鼠閣下、青鈍閣下もそのようにお望みと聞いております」
「そんな話、だれから聞いた。……いや、そもそもお前は、誰の意向でこうしてここへ来ているんだ」
声がどうしてもぎすぎすと尖ってしまう。そうしてすぐにもやもやと、腹の底で様々な疑心暗鬼が渦巻きはじめた。
この少年はユーリ王子の側近だ。ということは玻璃皇子の側であり、それは取りも直さず、左大臣派の人間だということであろう。
瑠璃はもちろん、右大臣派の面々からは何度も似たような請願を受けて来た。それはもう何十回も懇々と、うんざりするほど。けれども、まさか左大臣側からそんな話がやってこようとは思わなかった。
まさかとは思うがこの少年、右大臣派に丸め込まれたのか?
いやいや、それは考えにくい。
「断る。第一、そんなことを兄上が望んでおられるとは思えぬ」
「左様にございましょうか」
「なに?」
できるだけ怖い目で睨みつけたつもりだったが、少年に一歩も引く様子はなかった。
「現在、帝都の政は例の宇宙からの敵への対応のこともあって滞り始めていると聞いております。畏れ多いことながら、群青陛下はたいへんご高齢であり、日々の政務を間断なく行われるにはご無理があるとのこと」
「その通りだな」
それゆえ、ここ数年はずっとあの兄が皇太子の身分ながらも父の仕事を代行していたのだ。事実上、もはや兄は海皇そのものだったと言ってもいい。
「玻璃殿下の御差配は見事だったとも聞いております。それゆえ、それだけに今は皆様、さまざまにご心配され、仕事にも支障をきたしておられるとも」
「まあ、そうだろうな」
(それは、兄上だからこそだ)
あの兄上だからこそ、仲のよくない左大臣派と右大臣派の意見や権益をめぐる衝突をうまく中和し、それぞれにある程度譲歩できるような道を示し、遺恨をのこさぬ決定もできていたのだ。
「そこへ私のような者が行ったところで、混乱させるばかりだとは思わんのか? 古の滄海の言葉にもあるぞ。『船頭多くして船山に上る』。第一、私には兄上のような卓越した才はない。人徳のほうも、相当見劣りがするはずだ」
「そのようなこと──」
「はっ!」
瑠璃は長椅子からぱっと立ち上がると、中庭に面した濡れ縁のほうへ大股に歩み出た。長い薄絹の上着の裾が、風にあおられてひらひらと、長い髪とともに空気を揺らす。
「藍鼠や青鈍に訊いてみたのか? 私なんぞがしゃしゃり出れば、奴らに目の上の瘤扱いをされるまで。左様なこと、私にわからぬと思うてか」
しばしの重苦しい沈黙があった。少年の視線は、じっと瑠璃の背中にあてられたままである。やがて少年は、意を決したようにまた口を開いた。
「……いえ。実は、此度のお話を私に託してくださったのは、ほかならぬ左大臣さまなのです」
「なんだと? 藍鼠が?」
瑠璃は驚いて振り向いた。
あの藍鼠が、自分を政治の場へ引き出そうと?
ここへ閉じ込めておこうと思いこそすれ、そんなことがあるのだろうか。
「私は兄上のようにはとてもなれぬぞ。そのようなこと、左大臣も青鈍も重々存じておろう。一体どのような詭弁なのだ。ハッ! これは愉快だな」
ふははは、と瑠璃の喉から乾いた笑声が飛び出ていく。
「私が知らぬと思うてか。政治向きの知識乏しく、人徳卑しく、『ただ顔だけの皇子よ』と散々陰口ばかりきいておいて。昔から……私がまだ子供の時分からのことだぞ。そうやって散々に侮り見ておきながら、いざ困ったら『さあ助けよ』だと? 今更なにを申すやら!」
振り返ってぎろりと睨みつけてやったら、少年は青ざめた顔のまま、それでも必死にこちらの視線を受け止めていた。
以前はちらりと見ただけだったが、美少年とまではいかずとも、生き生きとした紅顔の少年従者だったはず。それが見る影もなく痩せて顔色も悪く、彼のために誂えられているはずのアルネリオ式の衣装はだぶついて、あちこちが余って見えた。
そばにはいつものように、影のごとくに黒鳶が控えている。
瑠璃のほうは、少年に会うからといってわざわざ衣服を整えるでもなく、長椅子に座ったままで彼らを迎えた。訪問者たちは離れた場所で床に膝をつき、滄海式の拝礼をする。
「瑠璃殿下。このたびは、私ごときにお目通りをお許しいただきまして、まことにありがとうございます」
「ん」
瑠璃は長椅子のひじ掛けに頬杖をついたまま、軽く小首をかしげて見せた。彼を見慣れていない者なら、男女を問わずそれだけでさっと赤面するほどの顔だ。瑠璃自身もそうとわかって自分の体を御している。
目の前の少年もご多分に漏れず、思わず顔を紅潮させたようだった。
「で? 用件はなんだ」
「……は、はい」
ロマンはひどく硬くなっていたけれども、こくりと喉を鳴らして一度だけ、斜め後ろに控える黒鳶に視線をやった。男がわずかに目だけで頷くのを確認してから、瑠璃を見上げる。
「此度は、殿下にお願いがあって罷り越しました。大変、重要なお願いです」
少年の声はわずかに震えているようだ。
「願い? なんだ」
すっと目を細めて訊ねると、少年は唇をきゅっと噛み、丹田に力をこめたように見えた。
「帝都にお戻り願えませぬか。……いえ、ぜひともお戻りいただきたいのです」
「……なんだと?」
瑠璃は思わず、何度か目を瞬いた。
「帝都にお戻りいただき、兄君殿下のなさっていた職務をご代行くださいませ。群青陛下はもちろんのこと、藍鼠閣下、青鈍閣下もそのようにお望みと聞いております」
「そんな話、だれから聞いた。……いや、そもそもお前は、誰の意向でこうしてここへ来ているんだ」
声がどうしてもぎすぎすと尖ってしまう。そうしてすぐにもやもやと、腹の底で様々な疑心暗鬼が渦巻きはじめた。
この少年はユーリ王子の側近だ。ということは玻璃皇子の側であり、それは取りも直さず、左大臣派の人間だということであろう。
瑠璃はもちろん、右大臣派の面々からは何度も似たような請願を受けて来た。それはもう何十回も懇々と、うんざりするほど。けれども、まさか左大臣側からそんな話がやってこようとは思わなかった。
まさかとは思うがこの少年、右大臣派に丸め込まれたのか?
いやいや、それは考えにくい。
「断る。第一、そんなことを兄上が望んでおられるとは思えぬ」
「左様にございましょうか」
「なに?」
できるだけ怖い目で睨みつけたつもりだったが、少年に一歩も引く様子はなかった。
「現在、帝都の政は例の宇宙からの敵への対応のこともあって滞り始めていると聞いております。畏れ多いことながら、群青陛下はたいへんご高齢であり、日々の政務を間断なく行われるにはご無理があるとのこと」
「その通りだな」
それゆえ、ここ数年はずっとあの兄が皇太子の身分ながらも父の仕事を代行していたのだ。事実上、もはや兄は海皇そのものだったと言ってもいい。
「玻璃殿下の御差配は見事だったとも聞いております。それゆえ、それだけに今は皆様、さまざまにご心配され、仕事にも支障をきたしておられるとも」
「まあ、そうだろうな」
(それは、兄上だからこそだ)
あの兄上だからこそ、仲のよくない左大臣派と右大臣派の意見や権益をめぐる衝突をうまく中和し、それぞれにある程度譲歩できるような道を示し、遺恨をのこさぬ決定もできていたのだ。
「そこへ私のような者が行ったところで、混乱させるばかりだとは思わんのか? 古の滄海の言葉にもあるぞ。『船頭多くして船山に上る』。第一、私には兄上のような卓越した才はない。人徳のほうも、相当見劣りがするはずだ」
「そのようなこと──」
「はっ!」
瑠璃は長椅子からぱっと立ち上がると、中庭に面した濡れ縁のほうへ大股に歩み出た。長い薄絹の上着の裾が、風にあおられてひらひらと、長い髪とともに空気を揺らす。
「藍鼠や青鈍に訊いてみたのか? 私なんぞがしゃしゃり出れば、奴らに目の上の瘤扱いをされるまで。左様なこと、私にわからぬと思うてか」
しばしの重苦しい沈黙があった。少年の視線は、じっと瑠璃の背中にあてられたままである。やがて少年は、意を決したようにまた口を開いた。
「……いえ。実は、此度のお話を私に託してくださったのは、ほかならぬ左大臣さまなのです」
「なんだと? 藍鼠が?」
瑠璃は驚いて振り向いた。
あの藍鼠が、自分を政治の場へ引き出そうと?
ここへ閉じ込めておこうと思いこそすれ、そんなことがあるのだろうか。
「私は兄上のようにはとてもなれぬぞ。そのようなこと、左大臣も青鈍も重々存じておろう。一体どのような詭弁なのだ。ハッ! これは愉快だな」
ふははは、と瑠璃の喉から乾いた笑声が飛び出ていく。
「私が知らぬと思うてか。政治向きの知識乏しく、人徳卑しく、『ただ顔だけの皇子よ』と散々陰口ばかりきいておいて。昔から……私がまだ子供の時分からのことだぞ。そうやって散々に侮り見ておきながら、いざ困ったら『さあ助けよ』だと? 今更なにを申すやら!」
振り返ってぎろりと睨みつけてやったら、少年は青ざめた顔のまま、それでも必死にこちらの視線を受け止めていた。
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