ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第四章 宇宙のゆりかご

7 心痛

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「ロマン殿。少しは食事をなさらねば」

 黒鳶が、今日もまた心配そうに声を掛けてくる。
 滄海の帝都、青碧せいへき主人あるじのいなくなった東宮の使用人のための部屋で、ロマンはこのところ、じっと文机ふづくえの前に座り込んだまま過ごすことが多くなっている。その間、黒鳶は青白い顔をしたロマンの様子を心配して、ずっとそばに控えてくれていた。
 主人であるユーリと、その配偶者でこの国の皇太子である玻璃が、宇宙からきた謎の男に連れ去られて、そろそろ五十日あまり。滄海の堂々たる宇宙艦隊ですら、玻璃を人質にとられて手も足も出ない状態が続いていた。

 一度は滄海の技術を駆使した「ステルス機能」とやらを使った決死の救出作戦が立案・実行されたのだったが、敵の男にあっさりと見破られて撃破され、からくも生き残った者らは追い返されたらしい。
 う這うのていで逃げ戻って来た士官らは「次にやったら人質の体の一部を進呈するぞ」という、身の毛もよだつような脅迫を持ち帰った。

 アルネリオからやってきたユーリ殿下の兄君、イラリオン殿下も、時々ロマンの顔を見に来てくださる。ユーリ殿下が敵の元へ行かれて以降、ずっとこの王宮に滞在しておられるのだ。
 こんな下々の者のところへわざわざおいでになるなんて、まことに勿体なく、申し訳ない限りである。しかもこんな、塞ぎ込んでろくに仕事もせずに無駄飯を食らっているような者のために。ロマンは必死で固辞するのだけれども、殿下はお耳に入れて下さる様子もない。

 しかしながら、いつもは底抜けに明るいあの殿下ですら、このところはさすがにお顔が曇ることが多くなっている。こちらを責めるような態度や言葉はおくびにもお出しにならないが、ロマンにとって大した慰めにはならなかった。
 先日など、ロマンがとうとう「ユーリ殿下がご無事にお戻りにならなければ、どうぞ私を殺してください」と床に額をこすりつけて懇願までしてしまったものだから、イラリオン殿下は困り果てたご様子だった。
 その後、一度も訪問はない。すっかり呆れられてしまったのだろう。

(やっぱり、殺されようとなんだろうと殿下のお傍にいればよかった。どうせ死ぬなら、殿下のおそばに居たかった。最後の最後まで、殿下のおそばに──)

 同じ後悔が何度も何度も頭の中で荒れ狂い、攻め寄せて、とてもではないが食欲なんて湧いてこなかった。あまりに薄汚い格好をしていれば、アルネリオ王室の恥さらしにもなりかねない。だから最低限の身づくろいだけはしていたけれども、本当はそれすらも億劫でたまらなかった。できることなら、ずっと寝床に潜りこんでいたかった。
 放っておいたら一日中でもこの薄暗い部屋に閉じこもっている。今が昼か夜かもわからない。そんな自堕落な生活を続けていることを心配して、あの寡黙な黒鳶があれやこれやとロマンの世話を焼き、口を出してくるのだった。

『お気持ちはわかりますが。無事に戻っていらしたときにロマン殿の元気なお顔が待っていなければ、ユーリ殿下はさぞやお悲しみになるでしょう。あなた様をそのような姿にしたのは自分だと、ご自身をお責めにもなりましょう。まずはそのことをお考えなさいませ』
『さあ、お食事を。一口でも結構です。お召し上がりください』
『よくお眠りになれるように、薬湯を準備させましょう。ともかく横になって目をお閉じくださいませ』

 最初のうち、「いいんです。私のことになんて構わないでください」と力なくも固辞していたロマンだったが、いつもならもっとさらりと引き下がる黒鳶が、ことこれに関してだけは異様にしつこかった。彼の普段の様子からすれば、ほとんど尋常ではない。
 消化がよく、喉を通りやすそうな粥や果物。慰めになりそうな甘い冷菓などをあれこれと準備して、日々甲斐がいしくこの部屋へ運んでくる。ロマンがどんなに頑なに拒んでも、彼は引き下がらなかった。
 最後は床に額をこすりつけるようにして「どうかどうか。この黒鳶の命に免じて」とまで言われ、とうとうロマンも白旗を上げざるを得なかったのだ。
 ロマンがふた口、三口と食事を口に運ぶ様をじっと見つめて、部屋の隅に控えた黒鳶は明らかに安堵しているようだった。

(私なんかが……こんな所でぬくぬくと食事など)

 そう思ったら、きりきりと臓腑が痛んで、吐き気をもよおしてしまう。とっくに枯れたかと思っていた熱いものが、また両目から溢れてしまう。食事の味など、ほとんどわかりはしなかった。
 人質として求められ、敵の懐へ飛び込んでいかれたユーリ殿下。いまごろ、どんなつらい目に遭っておいでだろうか。そう考えるだけでもう、ロマンの喉は何も通さなくなってしまう。実際、せっかく食べたものを何度も戻し、一度はついに意識を失って倒れ、発熱してしばらく寝込んだ。

 黒鳶はそんなロマンのそばにずっと付き添い、何くれとなく細やかに看病し、世話をしてくれている。宮仕えの女官たちの手を煩わせることはいっさいせず、すべて彼ひとりでおこなってくれていた。なんとなく、誰かほかの者の手がロマンの体に触れるのを拒んでいるようにも見えた。まあ、医者にだけは仕方なく許していたけれども。

 ほんのふた口ほどすくっただけですっかり冷めてしまった粥の器の隣に、ことんと匙をおろす。部屋の隅を見ると、黒ずくめのいつもの姿で、男はそこに空気のように控えていた。

「……どうして」

 やっとこぼれ出した声は掠れていて、ほんの小さなものだった。常人であれば聞き取れないほどのものだったが、そこはさすがの黒鳶だった。さっと顔を上げ、こちらを見る。
 顔の下半分は黒布に覆われているので表情がよく分からない。黒くまっすぐな瞳が、じっと言葉の先を待つ様子でこちらを見つめてくる。

「どうして、私のそばになんか居るのです」

 黒鳶が瞬きをひとつした。

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