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第四章 宇宙のゆりかご
4 夜の訪問
しおりを挟む「ぼく、《サム》きらいだよ! ぼくの聞きたいこと、すぐにジャマするんだもん!」
ユーリと手をつないで自分の寝室に戻りながら、フランがぷんぷん怒っている。
正確なことを言えば、《サム》に対して「フランにそれを知らせるな」と命じているのはアジュールだ。だから憎まれるべきはアジュールなのだろう。けれど、ユーリ自身ももうそれを望もうとは思えなくなっている。
あの男がこの少年を溺愛しているのは間違いない。双子の弟だったフランを亡くしたことが今回の事件の発端だった。それを思えば、このフランからの愛を失った時、あの男がどんな暴発をするかなんて知れたものではないからだ。
それ以外にも理由はある。ユーリの心にはもう、どうしたって彼を「気の毒だ」と思う感情が芽生えてしまっているからだ。
(どうしたらいいんだろう、私は)
正直、もうどうしていいのかわからない。
望むと望まざるとに関わらず、この少年の親になってしまったユーリは、この少年を大切に、愛してしまうことを止められなかった。そしてもう一人の親であるアジュールのことも、ついつい親身に考えずにはいられなくなってきている。あんなにも恐ろしい、人外の冷酷な殺戮者であるにもかかわらず。
(でもそれは……地球のみんなに対する裏切り、でもあるのでは?)
このところのユーリの悩みは深い。
ここしばらく、少年フランの世話にかかずらっていて、アジュールは地球への攻撃には出ていないようである。滄海側の宇宙艦隊も、こちらに玻璃とユーリという人質がいる以上は明確な手出しを避けているらしい。つまり、ここしばらくは地球と火星近辺の宙域との間でずっと膠着状態が続いているということだ。
玻璃は先日、自分の命を引き替えにしても地球の人々の助命をと、あの男に願い出た。ユーリもすでに彼と運命を共にする決意をしている。
(でも……。でも、できれば)
この少年が悲しみの涙に沈むところは見たくなかった。自分が玻璃とともにアジュールに惨殺されることになれば、生まれたばかりのこの幼い少年の心はどうなってしまうのだろう。
そういうことを、大事なことを、あの男は考えているのだろうか……?
最終的にそうなることが不可避なのだとしても、できればこの少年にその現実を見せないでやって欲しかった。嘘はいいことではないけれど、「あの二人は地球に帰ったんだ」とかなんとか、適当なことを言ってでもいいから、彼の心を守ってやって欲しいと思った。
ふと気づくと、少年が心配そうにユーリの顔を下から見上げていた。
「パパ、どうしたの? おなか痛いの?」
「あ、……ううん。大丈夫だよ。ありがとう」
そうだ。この子に要らぬ心配を掛けてはいけない。ユーリは気を取り直して、ゆったりとした微笑みを浮かべて見せた。少年はじっとユーリの表情を窺う様子だったけれど、そのうちほっとしたような顔になってにっこり笑った。
(……優しい子だよね)
そう思うと、ユーリは余計に胸に鋭い痛みを覚えた。
少年の寝室に着き、就寝前の身づくろいなどを手伝ってやってから、ユーリは寝床に入った彼にお話しをひとつして、子守唄をひとつ歌った。アルネリオに古くから伝わっている、優しい旋律の子守唄だ。小さいころから歌ってやっている歌なので、少年はこれを歌うと、すぐにすとんと寝入ってしまう。
フランがすっかり眠ったことを確認してから、ユーリは足音を忍ばせて外へ出た。
「《サム》。アジュールはどこにいるの」
《中央制御室にいらっしゃいます》
「そう」
教えられたまま、広い空間にぺたぺたと裸足の音を響かせてユーリはそちらに向かった。
できれば二人きりでは会いたくないし、玻璃に見えない所も避けたかったのだが、今回は仕方なかった。
目的の部屋に着くと、アジュールは半球形の広々とした空間に、緑や青に光る四角い画面をいっぱいに広げて、中央の椅子に腰かけていた。すでに《サム》による先触れがされているのだろう。アジュールはちらりとこちらに目線を投げると、すぐに画面に目を戻した。ユーリはそのそばに近づいた。
「珍しいな。なんの用だ」
もともとこの船の艦長かリーダーが座るらしい席に座り込み、ひじ掛けに肘をついて、男は言った。非常にリラックスした姿勢だ。もちろんユーリなどこの男の敵ではないが、なんとなく理由はそれだけでもなさそうに見えた。
そんな心の交流があっていいわけはないのに──だって自分は、全部玻璃どののものなのだから──あの少年フランの存在を介して、この男との間にも奇妙なつながりが生まれてしまっている。男の態度の変化は、明らかに少年フランが生まれてきて以降に生じたものだった。
「急にすみません。ちょっと、お聞きしたいことがあって」
「だから。そういう言葉遣いはやめろと言っただろう」
男は面倒臭げな一瞥をこちらに投げたが、それ以上は何も咎めなかった。
「フランは寝たのか」
「うん。よく眠ってる」
「そうか」
「よく眠るいい子だね。そうやってよく眠るごとに、ぐんと成長するみたい」
「そうだな」
ユーリは一度大きく息を吸うと、一歩、男に近づいた。
「あの。僕と玻璃殿を、これからどうするつもりなの」
「……さあな」
男はすっと目を細めた。視線はそのまま、画面に固定されている。画面の上では、火星と地球を含む宇宙図やその周辺に展開している滄海の宇宙艦隊の位置が示されているようだった。
「あと、フランは? あの子のことを、どうするの」
「…………」
男は無言だったが、わずかに眉間に皺を立て、片眉をあげた。少し苛立っている時のこの男の癖である。
「君自身は……? どうするの」
男の瞳にとうとう明らかな殺意が宿った。
氷のような視線が、まともにユーリを貫いた。
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