ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第三章 宇宙の涯(はて)で

12 巫女(シャーマン)

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 それから。
 フランは、およそ大人の「人形ドール」としての理性に類するものをほとんど放棄してしまった。もともと穏やかな性格だったため、変に暴力的にこそならなかったのは不幸中の幸いだった。だが、それでも困ることに変わりはなかった。
 フランは宇宙船の奥の部屋に引きこもり、日がな一日寝具の掛け布を丸めたものを赤子のように抱いたまま、毎日をぼんやりと過ごすだけになった。掛け布はちょうど、アジュールが惨殺した赤子ぐらいの大きさだった。

 フランが毎日することといったら、たまにその「赤子」に向かって低い声で優しい子守唄を歌うことぐらいだ。穏やかで優しい表情であるにも関わらず、目の焦点は定まらず、幼児が使う程度の単語しか話さない。こちらが言うこともあまり理解できていない様子だった。
 アジュールが見るに見かねて「赤子」を取り上げようなどとすれば、フランは凄まじい悲鳴をあげて泣きわめいた。小さな子供がするようにしてアジュールの足に取りすがり、ただ「返して、返して」を繰り返す。アジュールもしまいには根負けして、その布の塊を返してやるよりほかはなかった。
 フランは自分の身の回りのこともほとんどできず、放っておくとまともに食事もしない。アジュールは暗澹たる気持ちになりながら、気の狂った弟の世話をするしかなかった。

 取り残された沢山の女性たちや小さな少年少女たちは、人間に対して恐るべき残虐性を露わにしたアジュールに自然と寄り付かなくなっていった。
 「事件」以降、アジュールは集落と宇宙船との交流をほとんど断った。人間たちは基本的に集落で暮らし、アジュールとフランは宇宙船の中で暮らす。そうして分断されたまま、いつしか長い年月が流れていった。

 それほどの時が過ぎてもあまり容姿に変化のないアジュールたちとは違って、外の世界ではしっかりと人間たちの時間が過ぎていた。
 岩だらけの土地を開墾し、畑を広げ、少しずつ作物の種類を増やしていく。水を引き、溜め池をつくり、住居を増やす。それに伴って村が少しずつ大きくなる。幼かった子供たちが成長し、成人してまた子供を生む。第一世代だった女性たちは年を取り、だんだんと老年の域に入っていった。
 本来であればアジュールとフランがもっともっと助力してやるべきところだったが、助けのほとんどを失って、かれらは相当な苦労を強いられたはずだった。

 そうこうするうち、人口が百名あまりになった村には、ある種の文化らしいものが芽生え始めた。
 なにかどうしても話さなくてはならないこと、頼みごとがあるような場合だけ、最年長である女性が皆を代表して宇宙船に入る。そうして奥の部屋にいるアジュールに「面会」にくるのだ。彼女はいつの間にか、この小さな小さな人間によるコミュニティの中でのリーダー格になっていた。
 頼み事は多岐にわたった。多かったのは、ひどい病気や難産や怪我をした村民を救ってほしいというもの。農作物の生育がひどく悪いとか、病気が発生したがどうしたらいいかといった相談。しばらく雨が降らず困っているが、遠い水源から水を引く手伝いをしてもらえないか、といった嘆願。また、子供が生まれるのたびに清潔な衣服を船内の備蓄品から下賜して欲しいという願いもあった。

 その頃にはもう、村人たちにとってのアジュールは「天から舞い降り、自分たちの祖先を生み出した神のような存在」と思われていたらしい。宇宙船内の科学的・体系的な教育プログラムから切り離されてしまったことで、彼らの文化程度も現実に対する認識の仕方も、著しい後退を見た。
 そうすると不思議なことに、人類が古代に歩んだ進歩の道筋をなぞるようにして文化が再生し始めたのだ。大地や空気、水や緑のそれぞれに霊や神が宿るのだというアニミズム信仰的な精神世界が復活した。
 彼らは大地の実りを願って大地の精霊に祈りをささげ、雨を願って水の精霊に祈祷する。そうして、あらゆる神や精霊の頂点にいるのはアジュールであるらしかった。
 最年長の女性は、唯一アジュールと言葉を交わすことを許された特権者となり、その「ご神託」を受け、アジュールの助力や恵みを祈願する「巫女シャーマン」のような存在になっていた。
 寿命がきて彼女が死ぬと、次はまた最も年長の女性がその仕事を引き継いだ。

 彼らは決してアジュールには逆らわなかった。
 かつて、何十年も昔に起こった恐るべき「血の事件」についても、地球で言う伝承のような形で次の世代に語り伝えていたようである。
 普段人間たちに顔を見せないアジュールは、新しい世代になればなるほど奇妙な形で神格化され、「あおき父神」として崇められる対象になっていった。当然、フランは「あかき母神」と呼ばれていた。


「だが。俺にはすべてがどうでも良かった。フランさえ無事でいるなら、いずれやつら人間を置いてあの惑星を離れるつもりでもいた」
 そう語るアジュールは、もはや何もない空中をじっと見ながら親指の爪をかちかちと噛んでいた。
「でも、離れなかったんだね」
 ユーリが静かに訊くと、ふっと意外そうな目がこちらを向いた。まるでそこに人がいたことを忘れていたような顔だった。
「みんながまだ、自分たちだけではちゃんと生活していけないと思ったからじゃない? フランさんだってそれを望んでいただろうし。……違うのかな」
 男はそれには答えなかった。

(……結局、この人も優しいんだな)

 ユーリは思った。
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