149 / 195
第三章 宇宙の涯(はて)で
12 巫女(シャーマン)
しおりを挟むそれから。
フランは、およそ大人の「人形」としての理性に類するものをほとんど放棄してしまった。もともと穏やかな性格だったため、変に暴力的にこそならなかったのは不幸中の幸いだった。だが、それでも困ることに変わりはなかった。
フランは宇宙船の奥の部屋に引きこもり、日がな一日寝具の掛け布を丸めたものを赤子のように抱いたまま、毎日をぼんやりと過ごすだけになった。掛け布はちょうど、アジュールが惨殺した赤子ぐらいの大きさだった。
フランが毎日することといったら、たまにその「赤子」に向かって低い声で優しい子守唄を歌うことぐらいだ。穏やかで優しい表情であるにも関わらず、目の焦点は定まらず、幼児が使う程度の単語しか話さない。こちらが言うこともあまり理解できていない様子だった。
アジュールが見るに見かねて「赤子」を取り上げようなどとすれば、フランは凄まじい悲鳴をあげて泣きわめいた。小さな子供がするようにしてアジュールの足に取りすがり、ただ「返して、返して」を繰り返す。アジュールもしまいには根負けして、その布の塊を返してやるよりほかはなかった。
フランは自分の身の回りのこともほとんどできず、放っておくとまともに食事もしない。アジュールは暗澹たる気持ちになりながら、気の狂った弟の世話をするしかなかった。
取り残された沢山の女性たちや小さな少年少女たちは、人間に対して恐るべき残虐性を露わにしたアジュールに自然と寄り付かなくなっていった。
「事件」以降、アジュールは集落と宇宙船との交流をほとんど断った。人間たちは基本的に集落で暮らし、アジュールとフランは宇宙船の中で暮らす。そうして分断されたまま、いつしか長い年月が流れていった。
それほどの時が過ぎてもあまり容姿に変化のないアジュールたちとは違って、外の世界ではしっかりと人間たちの時間が過ぎていた。
岩だらけの土地を開墾し、畑を広げ、少しずつ作物の種類を増やしていく。水を引き、溜め池をつくり、住居を増やす。それに伴って村が少しずつ大きくなる。幼かった子供たちが成長し、成人してまた子供を生む。第一世代だった女性たちは年を取り、だんだんと老年の域に入っていった。
本来であればアジュールとフランがもっともっと助力してやるべきところだったが、助けのほとんどを失って、かれらは相当な苦労を強いられたはずだった。
そうこうするうち、人口が百名あまりになった村には、ある種の文化らしいものが芽生え始めた。
なにかどうしても話さなくてはならないこと、頼みごとがあるような場合だけ、最年長である女性が皆を代表して宇宙船に入る。そうして奥の部屋にいるアジュールに「面会」にくるのだ。彼女はいつの間にか、この小さな小さな人間によるコミュニティの中でのリーダー格になっていた。
頼み事は多岐にわたった。多かったのは、ひどい病気や難産や怪我をした村民を救ってほしいというもの。農作物の生育がひどく悪いとか、病気が発生したがどうしたらいいかといった相談。しばらく雨が降らず困っているが、遠い水源から水を引く手伝いをしてもらえないか、といった嘆願。また、子供が生まれるのたびに清潔な衣服を船内の備蓄品から下賜して欲しいという願いもあった。
その頃にはもう、村人たちにとってのアジュールは「天から舞い降り、自分たちの祖先を生み出した神のような存在」と思われていたらしい。宇宙船内の科学的・体系的な教育プログラムから切り離されてしまったことで、彼らの文化程度も現実に対する認識の仕方も、著しい後退を見た。
そうすると不思議なことに、人類が古代に歩んだ進歩の道筋をなぞるようにして文化が再生し始めたのだ。大地や空気、水や緑のそれぞれに霊や神が宿るのだというアニミズム信仰的な精神世界が復活した。
彼らは大地の実りを願って大地の精霊に祈りをささげ、雨を願って水の精霊に祈祷する。そうして、あらゆる神や精霊の頂点にいるのはアジュールであるらしかった。
最年長の女性は、唯一アジュールと言葉を交わすことを許された特権者となり、その「ご神託」を受け、アジュールの助力や恵みを祈願する「巫女」のような存在になっていた。
寿命がきて彼女が死ぬと、次はまた最も年長の女性がその仕事を引き継いだ。
彼らは決してアジュールには逆らわなかった。
かつて、何十年も昔に起こった恐るべき「血の事件」についても、地球で言う伝承のような形で次の世代に語り伝えていたようである。
普段人間たちに顔を見せないアジュールは、新しい世代になればなるほど奇妙な形で神格化され、「蒼き父神」として崇められる対象になっていった。当然、フランは「紅き母神」と呼ばれていた。
「だが。俺にはすべてがどうでも良かった。フランさえ無事でいるなら、いずれやつら人間を置いてあの惑星を離れるつもりでもいた」
そう語るアジュールは、もはや何もない空中をじっと見ながら親指の爪をかちかちと噛んでいた。
「でも、離れなかったんだね」
ユーリが静かに訊くと、ふっと意外そうな目がこちらを向いた。まるでそこに人がいたことを忘れていたような顔だった。
「みんながまだ、自分たちだけではちゃんと生活していけないと思ったからじゃない? フランさんだってそれを望んでいただろうし。……違うのかな」
男はそれには答えなかった。
(……結局、この人も優しいんだな)
ユーリは思った。
0
お気に入りに追加
104
あなたにおすすめの小説
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....

心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる