142 / 195
第三章 宇宙の涯(はて)で
5 卵
しおりを挟む数日後。
男はひょっこりと現れた。前回この部屋で自分が何をやったかなんて、綺麗に忘れたような顔をして。
《水槽》の脇で膝を抱えて座り込んでいたユーリは、気配を感じてようやく、ぼんやりと目を上げた。玻璃もその大きな筒の中で不審そうな目をしてアジュールを睨んでいる。
男は二人の冷ややかな視線など毛ほども気にしない様子で、すたすたと近づいて来た。いつもと同じ格好、同じ風貌。涼しげで冷酷な美貌である。
しかし。
今回は、奇妙なことがひとつあった。
男は今回、両腕にひと抱えもありそうな白いボールのようなものを抱えていたのだ。
「やあ、お前ら。相変わらず辛気臭い顔だなあ」
誰のせいでこうなっているかなどすっかり棚に上げて、そんなことを嘯いている。妙に機嫌がよさそうだ。
「せっかく番でいさせてやってるんだ。少しは嬉しそうな顔をしろよ」
《…………》
この言い草には、さすがの玻璃も絶句である。ユーリももはや、どこに突っ込めばいいかもわからない。というか、もうそんな気力も体力も残ってはいなかった。
男が近づいてくるにつれ、ユーリは慌てて寝具をぐるぐるに身にまきつけて、出来るだけ距離を取ろうと後ずさった。
男は目ざとくそれを見つけると、鼻を鳴らして見下ろして来た。
「ああ、警戒しなくていいぞ。今回は、お前に指一本触るつもりはないからな」
「…………」
ユーリは恐らく真っ青なのだろう顔のまま、黙って男を見上げた。そう言われたからと言って、簡単に気を許すわけにはいかなかった。この男の外連の在りようについては、もう重々肝に銘じているからだ。
あらためて傍で見ると、大きなボールのように見えたものはどうやら卵にそっくりであることが分かった。色といい形といい、ちょうど鶏のそれに近い。大きさだけが、その何十倍もあるところを除いては。
奇妙なことに、男はそれをひどく大切そうに抱えていた。まるで本当に自分の卵でも世話するかのように。
まさか、そんなはずはないだろうけれど。
胡散臭そうな二人の視線などものともせずに、男はゆっくりと《水槽》の周りを歩き始めた。ユーリも玻璃も、ずっとその姿を目で追う。
「そろそろかなと、思ったのさ」
「な、……なにが……?」
「中からごそごそ音がするし。こつこつ叩いてるようだしな」
「ええ……?」
男はこちらの質問など完全に無視して目を細め、卵の表面を軽く撫でて悦に入っているようだ。そのままぐるりと一周まわり終えて、ユーリの前に立つ。
「ほら。聞こえないか? 中でなにか言ってるぞ」
「…………」
本格的に背筋が冷えこんで、ユーリは掛け布で体を覆ったまま、ワイヤーが許すぎりぎりまで男から離れようとまた尻を動かした。首輪が首筋に食い込んでぎちぎちと音を立て、皮膚に痛みが走る。
と、その時だった。
──かつ。
(えっ……)
ユーリは目を剥いた。玻璃と一瞬目を見かわす。
なんだろう。音がしている。無機物ではなく、あきらかに生き物がたてるような不規則な音が、こつんこつんと。
……やがて。
──こつん、こつん……ぱきん。
「う、わわあっ……!?」
今度こそ、本当にユーリは飛び上がった。
男が手にしている《卵》の尖った頂点のところに、鶏の卵と寸分違わぬ皹が入っている。ちょうど、王宮で朝食によく出されていた茹で卵の頂点に、フォークで穴を開けたときのように。
それが見るみるうちにめりめりと大きくなっていく。
──と。
「ひゃああっ!」
ユーリは情けない悲鳴をあげた。
ひび割れた卵の殻の間から、ぬっと小さな「手」が現れたのだ。
肉付きの良い、まるっこくて小さな手。やや赤味が強く、ぎゅっと握りしめられた小さな拳。
間違いない。それは、人のものだった。
ユーリは危うく失禁しそうになるのをどうにか堪えながら、もうぴったりと《水槽》に身を寄せて震えている。それでも《卵》から目を離すことだけはできなかった。
そうするうちにも、ぱきぱきと小さな音を立てて《卵》からその存在が現れてくる。
アジュールはこれまで見たこともないような穏やかな目をして、それをじっと見つめていた。驚いたことには、時々、不要になった卵の殻をそっと取りのけてさえやっている。それがぱらぱらと男の足元に落とされていくのを、ユーリは呆然と見つめていた。
「あ、……あ、あう、あっ……」
もう、すっかり腰が抜けていた。体に力が入らない。
(まさか……。まさか、そんなことが)
卵の中から現れたのは、玉のような赤ん坊だった。卵よりひとまわり小さくて、まさに生まれたての人間の赤ん坊そのものだ。目は閉じているものの、うっすらと生えた頭髪は金色に見える。小さな可愛らしい唇をもぐもぐ動かして、「ぐう」とか「あぶう」とか、なにかぶつぶつ言っているようだった。
一般的な赤子のように、生まれたてでも火が付いたように泣いたりはしないらしい。ユーリはなぜかホッとしていた。もしも赤ん坊がうるさく泣きわめいてこの男の逆鱗に触れでもしたら、この子は即座に八つ裂きにされるかもしれない。そう考えずにはいられなかったからだ。
「に……人間、なのですか」
気が付いたら、口が勝手にそう訊ねていた。これは後で気づいたが、つい敬語を外すのを忘れるほどには動転していた。
男はにやりと片頬を歪めると、すっかり殻をとりのけて裸になった赤ん坊を抱いたまま、皮肉めいた目でユーリを見下ろした。
「そうだとも。……まあ、『第一世代』だからな。成長だけはやたら速いが」
「ええっ……?」
一体なにを言っているのか。
男の言葉の半分も理解できないままに、ユーリは呆然とまた玻璃と目を見合わせた。
0
あなたにおすすめの小説
ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる
cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。
「付き合おうって言ったのは凪だよね」
あの流れで本気だとは思わないだろおおお。
凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
「役立たず」と追放された神官を拾ったのは、不眠に悩む最強の騎士団長。彼の唯一の癒やし手になった俺は、その重すぎる独占欲に溺愛される
水凪しおん
BL
聖なる力を持たず、「穢れを祓う」ことしかできない神官ルカ。治癒の奇跡も起こせない彼は、聖域から「役立たず」の烙印を押され、無一文で追放されてしまう。
絶望の淵で倒れていた彼を拾ったのは、「氷の鬼神」と恐れられる最強の竜騎士団長、エヴァン・ライオネルだった。
長年の不眠と悪夢に苦しむエヴァンは、ルカの側にいるだけで不思議な安らぎを得られることに気づく。
「お前は今日から俺専用の癒やし手だ。異論は認めん」
有無を言わさず騎士団に連れ去られたルカの、無能と蔑まれた力。それは、戦場で瘴気に蝕まれる騎士たちにとって、そして孤独な鬼神の心を救う唯一の光となる奇跡だった。
追放された役立たず神官が、最強騎士団長の独占欲と溺愛に包まれ、かけがえのない居場所を見つける異世界BLファンタジー!
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜
キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」
(いえ、ただの生存戦略です!!)
【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】
生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。
ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。
のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。
「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。
「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。
「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」
なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!?
勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。
捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!?
「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」
ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます!
元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる