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第二章 囚われの王子
8 手のひら
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《……どの。玻璃どの……》
遠くで、可愛いあの人の声がしている。
全身を苛んでいた傷の痛みが薄らいでいることに気付いて、玻璃はうっすらと目を開けた。この《筒》の中で、随分と長く眠っていたようだ。
と、《筒》の壁面と中の液体を通して、はっきりと彼の声がした。
《玻璃どのっ! お目覚めですか? 玻璃どの……!》
(な……。まさか)
そのまさかだった。透明な壁面の向こう側に、懐かしくも優しい面影が浮かんでいた。やや癖のある茶色の髪。《天井》のさらに上にある空の色をした瞳。
「ユーリ……? いや、しかし」
そう言ったつもりだったが、声は届かないようだった。外にいる人は、ひたすら悲しそうな目でこちらを見ている。液体が邪魔をするのか、こちらからはうまく声が通らないらしい。
(だが……)
どうして彼が、こんな所に。この巨大な宇宙船は、確か火星のあたりにとどまっていたはずだ。自分が意識を失っている間に、いったい何があったというのか。
と、玻璃はぎゅっと目を剥いた。外にいるユーリが、自分の耳の後ろあたりを指さして必死に何かを訴えている様子だ。だが、驚いたのはそのことではない。彼の首に、ひどく無粋な輪が嵌められていたからである。それには明らかに金属でできたロープのようなものがつながっている。
(首輪だと……!? あの男、一体なにを……!)
思わず黒いものがこみ上げる。
だが、ユーリが懸命に指さしている鰓のあたりを見て、少し気持ちを落ち着かせた。
《まさか……。ユーリ、そなたもそこに着けているのか? 通信装置を》
ぱっとユーリの顔が明るくなった。
《はいっ! あの、出かける寸前に瑠璃殿がお渡しくださいまして》
《瑠璃が……?》
《はい》
あの美貌の弟の面影が、ほんの一瞬目裏を掠めすぎる。
《『兄上もきっと、鰓にこれを潜ませておいでだろう』とおっしゃって。何かあれば、これで内々に連絡がとれるから、と──。まことに有難きことです》
《……そうか》
なかなか、気の利くことをしてくれる弟だ。だが、だとするとあの利かん気の強い弟も、少しはこの人への悪感情に折り合いをつけられたということなのだろうか。そうであってくれたら嬉しい。この二人は、もしもきちんと理解し合いさえすれば、きっと仲良くできる二人だと思うからだ。ある程度王宮内での立場も似ていることだし、励まし合える友にさえなれる可能性があるのだから。
あの弟がそれに気づいてくれたならと、玻璃はずっと願ってもいた。できればあの弟にも、自分の感情だけに振り回されず、人をただ一面的に見て簡単に評価するような、底の浅い人物のままでいて欲しくなかったからだ。
自分に対する特別な感情のことがあって、ユーリに対しては特に目が濁っていたように思われただけに。
《だが、なぜそなたがここに?》
《は……い》
ユーリからここまでの経緯を聞いて、玻璃は次第に眉間に皺を立てていたらしい。が、それと気づいたのは、彼が話すごとにどんどん申し訳なさそうな顔になって体を小さく縮めていったからだった。
《あの、すみません……。勝手なことを》
《いや。こちらこそまことに済まぬ。我が父と臣下どもが、随分と勝手を申したようだな。そなたにこのような無理を強いて、まことに申し訳もなきことを──》
《いえ》
ユーリはきっぱりと答えて顔を上げた。この人にしては珍しい表情だった。
《お父上や臣下の皆様のことは、関係ないのです。私は自分で、自分の意思でここへ来ました。誰かのせいでなどではありません。……ですから、後悔もしておりません》
《……そうなのか》
はい、と答えるユーリの顔は、むしろ晴ればれとして美しかった。
(そうだ。この人は、うつくしいのだ)
あらためて玻璃は思った。
見た目の美しさは、すぐに人の目と心を奪う。だが、そのぶんすぐに衰えやすいものでもあるのだ。
この人のうつくしさは、そういうものとはまるで違う。
……だから、そこが愛おしいのだ。
玻璃はゆっくりと手をあげると、《筒》の内側に手をあてた。ユーリがすぐに、自然にその外側に手を当ててくれる。
《玻璃どの……。お逢いしたかった、です》
《うん。俺もだ》
《玻璃どの……っ》
「生きていてくださってよかった」と囁くユーリの思念が涙に滲んだ。瞳もそれを裏切らない。
そんなことがあるはずもないのに、壁面に触れた手のひらから、じんわりと彼の体温が伝わってきた。
遠くで、可愛いあの人の声がしている。
全身を苛んでいた傷の痛みが薄らいでいることに気付いて、玻璃はうっすらと目を開けた。この《筒》の中で、随分と長く眠っていたようだ。
と、《筒》の壁面と中の液体を通して、はっきりと彼の声がした。
《玻璃どのっ! お目覚めですか? 玻璃どの……!》
(な……。まさか)
そのまさかだった。透明な壁面の向こう側に、懐かしくも優しい面影が浮かんでいた。やや癖のある茶色の髪。《天井》のさらに上にある空の色をした瞳。
「ユーリ……? いや、しかし」
そう言ったつもりだったが、声は届かないようだった。外にいる人は、ひたすら悲しそうな目でこちらを見ている。液体が邪魔をするのか、こちらからはうまく声が通らないらしい。
(だが……)
どうして彼が、こんな所に。この巨大な宇宙船は、確か火星のあたりにとどまっていたはずだ。自分が意識を失っている間に、いったい何があったというのか。
と、玻璃はぎゅっと目を剥いた。外にいるユーリが、自分の耳の後ろあたりを指さして必死に何かを訴えている様子だ。だが、驚いたのはそのことではない。彼の首に、ひどく無粋な輪が嵌められていたからである。それには明らかに金属でできたロープのようなものがつながっている。
(首輪だと……!? あの男、一体なにを……!)
思わず黒いものがこみ上げる。
だが、ユーリが懸命に指さしている鰓のあたりを見て、少し気持ちを落ち着かせた。
《まさか……。ユーリ、そなたもそこに着けているのか? 通信装置を》
ぱっとユーリの顔が明るくなった。
《はいっ! あの、出かける寸前に瑠璃殿がお渡しくださいまして》
《瑠璃が……?》
《はい》
あの美貌の弟の面影が、ほんの一瞬目裏を掠めすぎる。
《『兄上もきっと、鰓にこれを潜ませておいでだろう』とおっしゃって。何かあれば、これで内々に連絡がとれるから、と──。まことに有難きことです》
《……そうか》
なかなか、気の利くことをしてくれる弟だ。だが、だとするとあの利かん気の強い弟も、少しはこの人への悪感情に折り合いをつけられたということなのだろうか。そうであってくれたら嬉しい。この二人は、もしもきちんと理解し合いさえすれば、きっと仲良くできる二人だと思うからだ。ある程度王宮内での立場も似ていることだし、励まし合える友にさえなれる可能性があるのだから。
あの弟がそれに気づいてくれたならと、玻璃はずっと願ってもいた。できればあの弟にも、自分の感情だけに振り回されず、人をただ一面的に見て簡単に評価するような、底の浅い人物のままでいて欲しくなかったからだ。
自分に対する特別な感情のことがあって、ユーリに対しては特に目が濁っていたように思われただけに。
《だが、なぜそなたがここに?》
《は……い》
ユーリからここまでの経緯を聞いて、玻璃は次第に眉間に皺を立てていたらしい。が、それと気づいたのは、彼が話すごとにどんどん申し訳なさそうな顔になって体を小さく縮めていったからだった。
《あの、すみません……。勝手なことを》
《いや。こちらこそまことに済まぬ。我が父と臣下どもが、随分と勝手を申したようだな。そなたにこのような無理を強いて、まことに申し訳もなきことを──》
《いえ》
ユーリはきっぱりと答えて顔を上げた。この人にしては珍しい表情だった。
《お父上や臣下の皆様のことは、関係ないのです。私は自分で、自分の意思でここへ来ました。誰かのせいでなどではありません。……ですから、後悔もしておりません》
《……そうなのか》
はい、と答えるユーリの顔は、むしろ晴ればれとして美しかった。
(そうだ。この人は、うつくしいのだ)
あらためて玻璃は思った。
見た目の美しさは、すぐに人の目と心を奪う。だが、そのぶんすぐに衰えやすいものでもあるのだ。
この人のうつくしさは、そういうものとはまるで違う。
……だから、そこが愛おしいのだ。
玻璃はゆっくりと手をあげると、《筒》の内側に手をあてた。ユーリがすぐに、自然にその外側に手を当ててくれる。
《玻璃どの……。お逢いしたかった、です》
《うん。俺もだ》
《玻璃どの……っ》
「生きていてくださってよかった」と囁くユーリの思念が涙に滲んだ。瞳もそれを裏切らない。
そんなことがあるはずもないのに、壁面に触れた手のひらから、じんわりと彼の体温が伝わってきた。
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