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第二章 囚われの王子
4 触手 ※
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「貴様、その面で『眠り姫』でも気取るつもりか。いい加減にしないと適当に切り刻むぞ」
「うひゃっ……!」
それで本当に目が覚めた。
カプセルの中でゆっくりと身を起こすと、眠る前と変わらぬ船室の中に、あのとき映像で見たままの銀の短髪をした青年が冷ややかな目をして立っていた。映像ははっきりしたものではなかったけれど、身にまとう雰囲気といい声といい、まったくあのままなのである。
美しい男だ。だが、とても恐ろしい。その目の底に、一抹の憐憫も温かみも備えてはいないからだ。
おずおずと周囲を見回す。予想していたことだが、他にはだれもいなかった。
ユーリはそろそろとカプセルから這いおりると、アルネリオ式に片膝をつき、男に向かって礼をした。
「ええと……あの。お初にお目にかかります。ユーリ、です。ユーリ・エラストヴィチ・アレクセイエフ。今はその後ろに『ワダツミ』が付きますが」
「知っている」
「仰せの通りに、ただ一人にて罷り越しました」
「そのようだな」
男は閉じていた目を薄く開き、片側の頬をひん曲げた。笑ったらしい。
(ん……? そう言えば)
そこでユーリははたと気づいた。今まで何も考えずに会話していたが、男は明らかにアルネリオの言語で流暢に話をしている。
最初に通信してきたときは別の言語で話していたはずだから、あれからアルネリオ語を学んだということなのだろうか。その上この男、すでに滄海の言葉だって完璧に熟知しているらしい。
恐らくこちらの船にも、あの《スピード・ラーニング》のような機能があるのだろう。だが、それにしたって恐るべき優秀さだ。そう考えると、背筋がぞくりと寒くなった。
「あの。は、玻璃どのは……?」
男はそれには答えなかった。というか、先ほどからなぜかずっと目をつぶってユーリの言葉を聞いている風である。なんだか妙な按配だった。この男、初対面の相手の顔をちゃんと見ないことにしているのだろうか。
「あのっ。玻璃どのは──」
男がぱちりと片目を開けた。
「きゃんきゃんうるさい。同じことを何度も言うな。お前、一応は成人した男子なんだろう。そこらの小娘みたいに騒ぎたてるな、鬱陶しい」
「で、でも」
「あの男になら、すぐに会わせてやる。が、その前に身体検査だ」
「ええっ? うわ!」
突然、男の両腕がぐにゃりと変形したので、ユーリは叫び声をあげてしまった。それが海の軟体動物か何かのような触手になって、するするとこちらへ伸びてくる。
ユーリは思わず飛びのいた。が、そんなのはまるきり無駄なことだった。「触手」は勝手にユーリの体に巻き付くと、軽々と持ち上げて体じゅうをうねうねと這いまわった。
(わ、わわわ……!)
太腿の内側や脇腹。それに、脇の下に首筋。どこもかしこもくすぐったい。服の下にまで這いこんでごそごそやられた日には、もうとても耐えられなかった。
「ひいいっ!」
首筋の留め具を器用に外して入り込んできた触手は、ユーリの胸元までもぐりこんで動き回っている。下着の上から乳首を擦られ、腰のベルトも外されて、腰や尻まで撫でまわされた。くすぐったくてたまらない。
幸いにもと言うべきか、いわゆる軟体動物のそれのように表面がべたついているわけではないし、冷たくもない。人間の手と同じ、適度な体温らしいものがある。けれども、そもそもユーリはこういう「こそばしっこ」が苦手なのだ。
「や、やめて……!」
間違いなく怖いのだけれど、どうしてもくすぐったいほうが勝ってしまう。ユーリはついに涙を流して「ぎゃはははは」と変な大声を上げてしまった。これはもう、悲鳴ですらない。笑いが半分つまった、叫びみたいなものである。
太腿の内側や脇腹。それに、脇の下に首筋。どこもかしこもくすぐったい。服の下にまで這いこんでごそごそやられた日には、もうとても耐えられなかった。
「うっひゃ、やだ、ふはあっはははは!」
ユーリはそのまま空中でじたばたあがいて、四肢を振り回して暴れ続けた。
男は半眼になっている。
「……うるさいな、お前」
「だ、だって……あは、やだっ、く、くすぐった……ひゃははは!」
「そんなに暢気なことでいいのか? このまま四肢をぶった斬られるとは思わんのか」
「いや、だって……あっひゃひゃひゃ!」
遂に男は、ユーリをぽいと床の上に放り出した。背中からまともに床に落とされて、一瞬息が止まった。腰をさすりながら起き上がる。
「いいっ……たたた」
「まあ、武器は持っていないようだな。褒めてやる」
男は完全に呆れた声だ。
「そ、そりゃあ……そういうご要望だったのですし?」
「ふん」
片眉を跳ね上げてユーリを一度見下ろすと、男はすぐに踵を返した。
「来い。この船から降りるぞ」
「あ、はい……」
まだ痛む腰をさすりつつ、片足をひょこひょことひきずりながら、ユーリはおとなしく男に続いた。
降りてみると、輸送船はもっとずっと大きな宇宙船の腹の中にある格納庫に飲み込まれているのが分かった。輸送船よりもはるかに大きな機体なのだろう。そこらの戦艦よりもよほど大きいのかも知れなかった。
他に宇宙艇などが停めてある様子はなかったが、他にもこうした格納庫があるのかも知れない。それほどの大きさのある機体なのだ。
きょろきょろしていてハッと気づいたら、足の速い男はもうずっと先の通路を歩いている。
男が不意に振り向いて、あからさまにうんざりした目になった。
「とろとろするな。首に縄をつけて引かれたいのか」
「いっ、いえ。すみません……!」
ユーリは慌てて駆け出すと、男にやっと追いついた。
「うひゃっ……!」
それで本当に目が覚めた。
カプセルの中でゆっくりと身を起こすと、眠る前と変わらぬ船室の中に、あのとき映像で見たままの銀の短髪をした青年が冷ややかな目をして立っていた。映像ははっきりしたものではなかったけれど、身にまとう雰囲気といい声といい、まったくあのままなのである。
美しい男だ。だが、とても恐ろしい。その目の底に、一抹の憐憫も温かみも備えてはいないからだ。
おずおずと周囲を見回す。予想していたことだが、他にはだれもいなかった。
ユーリはそろそろとカプセルから這いおりると、アルネリオ式に片膝をつき、男に向かって礼をした。
「ええと……あの。お初にお目にかかります。ユーリ、です。ユーリ・エラストヴィチ・アレクセイエフ。今はその後ろに『ワダツミ』が付きますが」
「知っている」
「仰せの通りに、ただ一人にて罷り越しました」
「そのようだな」
男は閉じていた目を薄く開き、片側の頬をひん曲げた。笑ったらしい。
(ん……? そう言えば)
そこでユーリははたと気づいた。今まで何も考えずに会話していたが、男は明らかにアルネリオの言語で流暢に話をしている。
最初に通信してきたときは別の言語で話していたはずだから、あれからアルネリオ語を学んだということなのだろうか。その上この男、すでに滄海の言葉だって完璧に熟知しているらしい。
恐らくこちらの船にも、あの《スピード・ラーニング》のような機能があるのだろう。だが、それにしたって恐るべき優秀さだ。そう考えると、背筋がぞくりと寒くなった。
「あの。は、玻璃どのは……?」
男はそれには答えなかった。というか、先ほどからなぜかずっと目をつぶってユーリの言葉を聞いている風である。なんだか妙な按配だった。この男、初対面の相手の顔をちゃんと見ないことにしているのだろうか。
「あのっ。玻璃どのは──」
男がぱちりと片目を開けた。
「きゃんきゃんうるさい。同じことを何度も言うな。お前、一応は成人した男子なんだろう。そこらの小娘みたいに騒ぎたてるな、鬱陶しい」
「で、でも」
「あの男になら、すぐに会わせてやる。が、その前に身体検査だ」
「ええっ? うわ!」
突然、男の両腕がぐにゃりと変形したので、ユーリは叫び声をあげてしまった。それが海の軟体動物か何かのような触手になって、するするとこちらへ伸びてくる。
ユーリは思わず飛びのいた。が、そんなのはまるきり無駄なことだった。「触手」は勝手にユーリの体に巻き付くと、軽々と持ち上げて体じゅうをうねうねと這いまわった。
(わ、わわわ……!)
太腿の内側や脇腹。それに、脇の下に首筋。どこもかしこもくすぐったい。服の下にまで這いこんでごそごそやられた日には、もうとても耐えられなかった。
「ひいいっ!」
首筋の留め具を器用に外して入り込んできた触手は、ユーリの胸元までもぐりこんで動き回っている。下着の上から乳首を擦られ、腰のベルトも外されて、腰や尻まで撫でまわされた。くすぐったくてたまらない。
幸いにもと言うべきか、いわゆる軟体動物のそれのように表面がべたついているわけではないし、冷たくもない。人間の手と同じ、適度な体温らしいものがある。けれども、そもそもユーリはこういう「こそばしっこ」が苦手なのだ。
「や、やめて……!」
間違いなく怖いのだけれど、どうしてもくすぐったいほうが勝ってしまう。ユーリはついに涙を流して「ぎゃはははは」と変な大声を上げてしまった。これはもう、悲鳴ですらない。笑いが半分つまった、叫びみたいなものである。
太腿の内側や脇腹。それに、脇の下に首筋。どこもかしこもくすぐったい。服の下にまで這いこんでごそごそやられた日には、もうとても耐えられなかった。
「うっひゃ、やだ、ふはあっはははは!」
ユーリはそのまま空中でじたばたあがいて、四肢を振り回して暴れ続けた。
男は半眼になっている。
「……うるさいな、お前」
「だ、だって……あは、やだっ、く、くすぐった……ひゃははは!」
「そんなに暢気なことでいいのか? このまま四肢をぶった斬られるとは思わんのか」
「いや、だって……あっひゃひゃひゃ!」
遂に男は、ユーリをぽいと床の上に放り出した。背中からまともに床に落とされて、一瞬息が止まった。腰をさすりながら起き上がる。
「いいっ……たたた」
「まあ、武器は持っていないようだな。褒めてやる」
男は完全に呆れた声だ。
「そ、そりゃあ……そういうご要望だったのですし?」
「ふん」
片眉を跳ね上げてユーリを一度見下ろすと、男はすぐに踵を返した。
「来い。この船から降りるぞ」
「あ、はい……」
まだ痛む腰をさすりつつ、片足をひょこひょことひきずりながら、ユーリはおとなしく男に続いた。
降りてみると、輸送船はもっとずっと大きな宇宙船の腹の中にある格納庫に飲み込まれているのが分かった。輸送船よりもはるかに大きな機体なのだろう。そこらの戦艦よりもよほど大きいのかも知れなかった。
他に宇宙艇などが停めてある様子はなかったが、他にもこうした格納庫があるのかも知れない。それほどの大きさのある機体なのだ。
きょろきょろしていてハッと気づいたら、足の速い男はもうずっと先の通路を歩いている。
男が不意に振り向いて、あからさまにうんざりした目になった。
「とろとろするな。首に縄をつけて引かれたいのか」
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ユーリは慌てて駆け出すと、男にやっと追いついた。
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