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第二章 囚われの王子
3 夢 ※※
しおりを挟む不思議な蛍光色をした緑の液体の中で、玻璃は目を覚ました。
意識を失う前、「こいつの名を教えろ」とうるさかった氷の刃のような男の姿は近くに見えない。
自分はどうやら、巨大な筒の中の液体に浮かんで眠っていたようだった。
あの後、男はしばらく玻璃の体を苛んでいた。嘘か真実かはわからぬが「こんな傷はすぐに治せる」と言いながら、変形させた腕で殴りつけ、皮膚を削ぎ落とし、切り刻んだ。
玻璃はそれでもユーリについて、いっさいのことを黙秘した。
あの青年をこの問題に巻き込んではならない。決して、そのようなことは許さない。
(ユーリ……来るな)
来てはならない。
こんな悪鬼の巣へ来てしまったら、お前がどうなるかなど目に見えている。
あの男が──いや、人間ですらないようなので、こう表現するのは恐らくナンセンスなのだろうが──一体、お前の何に興味をひかれたのかはわからない。だが、恐らくはろくでもないことなのだ。
甘い色目の尾鰭をつけて、愛らしい恥じらいを見せていた青年の表情を思い浮かべる。そうすると、どうしても玻璃の胸は痛んだ。
あの笑顔を守りたいのだ。
決して、悲痛に歪むところなど見たくない。
……だから。
「来るな……。ユーリ」
緑の泡になって消えていったその言葉を、
物陰からひっそりと、その「怪物」が聞いていた。
◆
『ほら、ユーリ。もう少し腰を入れて剣を振らねば』
明るくきびきびした少年の声が耳朶をうつ。
あれは、幼い頃のセルゲイ兄だ。小さなころから学問にも武芸にも優れていた兄は、あまり出来のよくない弟にこうしてよく稽古をつけてくれていた。
『そうそう! 上手いぞ、ユーリ。まっすぐ前を見るんだ。大事なことは、まずは怖がらないことだぞ』
乗馬や弓を教えてくれたのは、イラリオン兄だった。活発で臣下に慕われる気質の兄は、セルゲイ兄より歳が近いこともあり、いつも機嫌よくユーリの面倒も見てくれていた。
ふたりとも、出来た人なのだ。性格の違いこそあるけれど、どちらも優秀で明るく、人望もある。加えてセルゲイ兄には非常な美しさがあり、イラリオン兄には健康的な逞しさがある。
ユーリにはその、いずれも無い。
でも、兄たちが大好きだった。変にねじくれることもなくいじけることもなく、ただただ二人を尊敬できた。
父も、不出来なこの三男坊のことをほかの兄弟たちと同等に愛してくれていた。父の大きくて深い愛情を疑ったことは一度もない。
だから変に歪まずに、ここまで育ってこられたのだ。
こうして遠く離れた場所まで来てしまって、より強く実感する。もともと感謝していたつもりだけれど、こちらへ来てからというもの、余計にその気持ちは深まっていた。
ゆらゆらと現れては消えていく夢たちを、ユーリはひとつひとつ口に含むようにして、ぼんやりと楽しんでいる。
この夢を見ている間だけは、幸せな気分でいられるのだ。そのように、あの海皇が取り計らってくださった。ユーリが希望したとおりにだ。
だが、あの人の顔だけは曇っていた。
『ユーリ。来るな』
長い銀色の髪を波に遊ばせ、大きな尾鰭をひらめかせて泳ぐ、皇太子。
自分が心から愛する人。
……今は遠くに連れて行かれた、あの人だけは。
『来てはならぬ。俺がそれを、喜ぶと思うのか?』
(玻璃、どの……)
いや、思わない。
そんなこと、あなたはきっと小指の先ほども望むまい。
むしろ、のこのことやってきた自分をお責めにさえなるかも知れない。
それでも、行かぬわけにはいかなかった。
こうしなければ、あなただけではなく、あの惑星にすむすべての人が苦しみを舐めることになるから。
それに、なにより。
(私は……逢いたい。あなたに、逢いたい──)
七日七夜、あなたに抱かれた。
……幸せだった。本当に本当に、しあわせだった。
あなたがいないこの世の中に、勇気をもって生きよと言われて、すぐに頷くことはできない。
もしもお助けする術があるなら、どんなことだってして見せる。
あなたの美しい弟君に言われるまでもないことだ。
自分にできることがあるなら、どんなことだってしてみせる。
それがたとえ、あなたを悲しませることであっても。
そう思ったら、かの皇太子のお顔は見る見る曇って、とても悲しげなものになった。
夢だというのに、ひどく現実的なものに見えたのが不思議だった。そんなお顔をした彼は、ついぞ見たことがないはずなのに。
(ごめんなさい……玻璃どの)
どうか、ゆるして。
私を許して。
もしもあなたを裏切ることになるとしても、私の心はあなたのものだ。
どうかそれだけは、疑わないで。
私の心はどこまでいっても、これから何度生まれ変わっても。
ずっとずっと、あなただけのものだから──。
──と。
唐突に、冷たい刃のような声が温かな夢を打ち破った。
「いい加減、目を覚ませよ」
瞼を開こうとしたユーリだったが、思った以上に重く感じて、なかなか目を開けることができなかった。
「貴様、その面で『眠り姫』でも気取るつもりか。いい加減にしないと適当に切り刻むぞ」
「うひゃっ……!」
それで本当に目が覚めた。
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