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第二章 囚われの王子
2 約束
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受け取った薬の中身や使い方などをあれこれと確認していたら、瑠璃がふっと息をついた。
「え……」
困惑して見上げたら、青年はなんと表現すればいいのか分からない目をしてこちらを見下ろしていた。もごもごと何やら口を動かしている。が、声らしいものは聞こえなかった。
「え、なんでしょうか」
耳をそばだて、困った顔で訊いてみるが、瑠璃は視線をだれもいない方へついと外して、むっつりと黙り込んだだけだった。なんとなく膨れっ面になっている。
なんともちくちくする沈黙が流れた。ユーリは困り果てて肩を縮めた。
「あ、あのう……?」
まさかこの期に及んで、つまらぬ意地悪でもしようというのだろうか。ついそんな疑念が湧きおこる。
が、瑠璃は長い紺の髪をくしゃっとかきあげて、あっさりとため息をついた。そんなさりげない仕草でさえ、この青年がやると妙に艶めかしい。ちょっと目のやり場に困ってしまう。
「……かった」
「え?」
やっぱりよく聞き取れない。かなり不審な顔をして首を傾げたからだろう、瑠璃はさらに頬を膨らませたようだった。
そしてとうとう、叫ぶように言い放った。
「悪かった、と言ったのだ! 皆の前で、酷いことを言った。わざわざあのような公の場で、恥をかかせることはなかった。すまぬ」
「あ。……いえ」
どうすればいいのかわからず、困って俯いたら、瑠璃は少しこちらに近づいてきた。
「だが、皆の前では謝罪などせぬからな」
「はい」
素直にうなずく。
それはそうだろう。誇り高いこの人が、大勢の臣下の前で自分の非を認めるなど、ありえない話だろうから。
今ではユーリも理解している。滄海には、この人の味方ばかりがいるわけではないのだ。むしろ常にあの素晴らしい兄と比べられ、「どう見ても玻璃殿下には劣る」だの「あれでは皇太子には推せぬ」だの、果ては「あれは顔だけの皇子よ」などとさえ陰口をきかれているのではないか。
藍鼠や青鈍には悪いけれども、ご本人の前で堂々と述べられない言説は、やはり陰口だろうとユーリは思う。
臣下たちからそんな風に言われていることなど、この皇子だってとうの昔に承知だろう。ちょうど、ユーリ自身がアルネリオ宮でそうであったと同じように。そういう立場がひどくつらいものであることを、自分は身に染みて知っているのだ。
だからだろうか。
どんなに酷いことを言われても冷たくされても、自分がこの皇子を憎もうという気持ちにならないのは。
(でも……。なぜ、わざわざここでそんなことを?)
不思議に思いながら見上げたら、瑠璃はますます不機嫌な顔になっていた。
「だから! お前はどうしてそうなんだッ!」
「え、……ええ?」
「少しは怒れというのだ! なんでそう、変に素直で従順なんだっ! ああもう、本当にイライラするっ!」
「いや、あの……」
「お前だって、一応は王族だろう。兄上の配偶者だろう! 少しは矜持というものがないのか、矜持というものがっ!」
「え……えええ?」
要するに、何が言いたいのだろうか。
怒って欲しいのか、そうでないのか。
「あ、あのう……。瑠璃殿下のお気持ちも、少しは分かる……と、思いますし。謝罪などしていただかなくて結構です。あなた様に言われるまでもない。もともと私など、玻璃殿に釣り合うとは思っていなかったのですし」
「だからっ……! そういうことではなく!」
瑠璃はほとんど地団太を踏まんばかりの体で、自分の髪をぐしゃぐしゃにかき回した。
「まったく! 兄上がお前を選んだのだから、それはそれでいいのだろうが。少しは自信を持て。もっと堂々としておらぬか! これではなんだか、私がバカみたいではないかっ!」
「ええ……?」
「兄上の人を見る目を馬鹿にする気か。それはそれで無礼であろうが。そこが余計にイライラするわ!」
「は、……はあ」
ユーリはもう、全身を凍り付かせて目だけをぱちぱちさせるばかりだ。
その胸に、瑠璃は人差し指を突き立てた。
「だから。絶対に戻ってこい」
「……は?」
「兄上を一緒に連れて。貴様もちゃんと、戻ってこい。……さすればきちんと、皆の前で謝罪してやる。いまここでそう誓う。よいな」
「え、えっと──」
「よいな!?」
「はっ……はい……」
鬼気迫る瑠璃の権幕に完全に気圧されて、ほとんど無理やりに頷かされた。
そこでようやく、瑠璃が納得したような顔になった。
「よし。約束したぞ」
くいと顎を上げて腕組みをし、鼻を鳴らしている。どこか得意げに見えるのは、ユーリの気のせいなのだろうか。
と、瑠璃は無造作に直衣の懐に手をいれると、何かを取り出し、再びユーリに押し付けてきた。
「餞別だ。持ってゆけ」
「は、……はい?」
目を白黒させているユーリに、瑠璃はぶっきらぼうに二言、三言それについて囁いた。
ユーリは目を見開いた。信じられぬ言葉を聞いたからである。
「瑠璃どの……」
が、瑠璃は返事をしなかった。そのまま踵を返すと、風のように出て行ってしまう。こちらを一瞥しさえしなかった。
ユーリは呆然とそれを見送り、手の中に残ったふたつのものを見下ろして、ふうっと吐息を洩らした。
じんわりと胸の奥から湧きあがったものが心を満たしているのを覚えながら。
「え……」
困惑して見上げたら、青年はなんと表現すればいいのか分からない目をしてこちらを見下ろしていた。もごもごと何やら口を動かしている。が、声らしいものは聞こえなかった。
「え、なんでしょうか」
耳をそばだて、困った顔で訊いてみるが、瑠璃は視線をだれもいない方へついと外して、むっつりと黙り込んだだけだった。なんとなく膨れっ面になっている。
なんともちくちくする沈黙が流れた。ユーリは困り果てて肩を縮めた。
「あ、あのう……?」
まさかこの期に及んで、つまらぬ意地悪でもしようというのだろうか。ついそんな疑念が湧きおこる。
が、瑠璃は長い紺の髪をくしゃっとかきあげて、あっさりとため息をついた。そんなさりげない仕草でさえ、この青年がやると妙に艶めかしい。ちょっと目のやり場に困ってしまう。
「……かった」
「え?」
やっぱりよく聞き取れない。かなり不審な顔をして首を傾げたからだろう、瑠璃はさらに頬を膨らませたようだった。
そしてとうとう、叫ぶように言い放った。
「悪かった、と言ったのだ! 皆の前で、酷いことを言った。わざわざあのような公の場で、恥をかかせることはなかった。すまぬ」
「あ。……いえ」
どうすればいいのかわからず、困って俯いたら、瑠璃は少しこちらに近づいてきた。
「だが、皆の前では謝罪などせぬからな」
「はい」
素直にうなずく。
それはそうだろう。誇り高いこの人が、大勢の臣下の前で自分の非を認めるなど、ありえない話だろうから。
今ではユーリも理解している。滄海には、この人の味方ばかりがいるわけではないのだ。むしろ常にあの素晴らしい兄と比べられ、「どう見ても玻璃殿下には劣る」だの「あれでは皇太子には推せぬ」だの、果ては「あれは顔だけの皇子よ」などとさえ陰口をきかれているのではないか。
藍鼠や青鈍には悪いけれども、ご本人の前で堂々と述べられない言説は、やはり陰口だろうとユーリは思う。
臣下たちからそんな風に言われていることなど、この皇子だってとうの昔に承知だろう。ちょうど、ユーリ自身がアルネリオ宮でそうであったと同じように。そういう立場がひどくつらいものであることを、自分は身に染みて知っているのだ。
だからだろうか。
どんなに酷いことを言われても冷たくされても、自分がこの皇子を憎もうという気持ちにならないのは。
(でも……。なぜ、わざわざここでそんなことを?)
不思議に思いながら見上げたら、瑠璃はますます不機嫌な顔になっていた。
「だから! お前はどうしてそうなんだッ!」
「え、……ええ?」
「少しは怒れというのだ! なんでそう、変に素直で従順なんだっ! ああもう、本当にイライラするっ!」
「いや、あの……」
「お前だって、一応は王族だろう。兄上の配偶者だろう! 少しは矜持というものがないのか、矜持というものがっ!」
「え……えええ?」
要するに、何が言いたいのだろうか。
怒って欲しいのか、そうでないのか。
「あ、あのう……。瑠璃殿下のお気持ちも、少しは分かる……と、思いますし。謝罪などしていただかなくて結構です。あなた様に言われるまでもない。もともと私など、玻璃殿に釣り合うとは思っていなかったのですし」
「だからっ……! そういうことではなく!」
瑠璃はほとんど地団太を踏まんばかりの体で、自分の髪をぐしゃぐしゃにかき回した。
「まったく! 兄上がお前を選んだのだから、それはそれでいいのだろうが。少しは自信を持て。もっと堂々としておらぬか! これではなんだか、私がバカみたいではないかっ!」
「ええ……?」
「兄上の人を見る目を馬鹿にする気か。それはそれで無礼であろうが。そこが余計にイライラするわ!」
「は、……はあ」
ユーリはもう、全身を凍り付かせて目だけをぱちぱちさせるばかりだ。
その胸に、瑠璃は人差し指を突き立てた。
「だから。絶対に戻ってこい」
「……は?」
「兄上を一緒に連れて。貴様もちゃんと、戻ってこい。……さすればきちんと、皆の前で謝罪してやる。いまここでそう誓う。よいな」
「え、えっと──」
「よいな!?」
「はっ……はい……」
鬼気迫る瑠璃の権幕に完全に気圧されて、ほとんど無理やりに頷かされた。
そこでようやく、瑠璃が納得したような顔になった。
「よし。約束したぞ」
くいと顎を上げて腕組みをし、鼻を鳴らしている。どこか得意げに見えるのは、ユーリの気のせいなのだろうか。
と、瑠璃は無造作に直衣の懐に手をいれると、何かを取り出し、再びユーリに押し付けてきた。
「餞別だ。持ってゆけ」
「は、……はい?」
目を白黒させているユーリに、瑠璃はぶっきらぼうに二言、三言それについて囁いた。
ユーリは目を見開いた。信じられぬ言葉を聞いたからである。
「瑠璃どの……」
が、瑠璃は返事をしなかった。そのまま踵を返すと、風のように出て行ってしまう。こちらを一瞥しさえしなかった。
ユーリは呆然とそれを見送り、手の中に残ったふたつのものを見下ろして、ふうっと吐息を洩らした。
じんわりと胸の奥から湧きあがったものが心を満たしているのを覚えながら。
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