ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第一章 彼方より来たりし者

15 ねがい

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《それにしても。此度こたびはまことに、あい済まぬことになったのう》

 かちんこちんになって隣に座り込んでいるユーリをゆったりとした物腰で気遣いながら、群青が静かに語っている。

《息子可愛さあまりのことならば、どうにでもして彼奴きやつの要求を撥ねつけたものなのだが。玻璃とて皇族。そのぐらいの覚悟なくして皇太子などやっておらぬのだし。だが生憎と、この国の民らの命まで盾とされてしもうてはの……。もはやどうにもならず、口惜しきことこの上もなし──》
 ゆっくりと紡がれる言葉は耳に優しく、どこを探しても欺瞞ぎまんの欠片も見えなかった。
《そなた自身もつらかろうが、お父君、エラスト殿のお気持ちを察するに、余までも胸がはりさけぬばかりの思いになる。兄君たちも同様じゃ。そのお嘆きはいかばかりか……。まことに申し訳もなきことよ。重ねがさね、許しておくれ》
《そ、そのような!》

 群青が深々とこうべを垂れたのを見て、ユーリはさらに慌ててしまった。

《わっ、わたくしが、自分で行きたいと……思ったのですから。何も無理はいたしておりませぬ。ほんとうです。瑠璃殿下にも申し上げたことですが、私は……私だって、玻璃殿が心配なのです。一刻も早くおそばにあがって、できることならお救いしたいのです……》
 しどろもどろにそう言うのを、群青は深いものを湛えた瞳でじっと見つめ、やがて柔らかな笑みを浮かべた。少し寂しそうな笑みだった。
《うむ。有難きことだ。さすがは玻璃が心を奪われただけのことはある》
《えっ……ええっ!?》
  いきなりなにをおっしゃるのだろう。ユーリは蒼い水のなかでひとり真っ赤な顔になる。
《さすがの覚悟。そして玻璃へのあつき想い。なにもかもが有難や。そなたには心より、幾重いくえにも礼を申す》
 再び群青が頭を下げた。ユーリは必死で首を左右に振った。
《どうかもう……それは。ご勘弁くださいませ、陛下》
《おお。それそれ》
 と、ついと群青が顔を上げた。
《ずっと考えておったのだがのう。その呼びよう、どうにかならぬものだろうか》
《えっ?》

 唐突なことで、何を言われたのか分からない。
 激しく変な顔になったユーリを、群青はややいたずらっぽい目をして見返した。この方、お若いころはさぞや好男子であったのに違いない。こうして間近で見れば、あの玻璃にも負けぬ整った目鼻立ちだ。

《その『陛下』よ。なにやらひどくよそよそしくはないかのう。せっかく可愛ゆらしき御仁が家族になってくれたというに。余にはどうも、それが寂しく思われてならぬのじゃ》
《お、お寂しく……? それは》
 首をかしげて訊ねれば、群青はにっこりと微笑み返した。
《じゃから。この際『父上』でよいではないか。先ほども申したとおりじゃ。玻璃の相手となってくれたからには、そなたは我が息子も同じ。いまさら変にへだてをつくることもあるまいに》
《へ、へい……あっ、いえ》

 ついまた「陛下」と言いそうになって口ごもる。
 さらに顔が赤くなったのを感じて俯いたら、尾鰭をつけた膝の上に置いた手を優しくぽんぽんとたたかれた。

《さ。呼んでみてくれぬかのう。ユーリや》
《えっ……えええ!?》

 口をぱくぱくさせているユーリを面白そうに眺めやり、群青はにこにこ笑っている。いまこの時にも大切な息子を奪われて、命の危険にさらされているとはまったく見えない。こんな時にユーリごときを気遣うお心の広さとこまやかさは、やっぱり玻璃の父君だなと思わされた。

《そんな……あ、あまりと言えば畏れ多きことにございまして──》
《だから。それが寂しいと申すのじゃ。ささ、ささ。遠慮はいらぬ。呼んでおくれ。おいさき短き爺いの願いぞ》

(そ、そんなあ……)

 もう、頭の中がぐるぐるだ。
 だが、これ以上黙っているわけにもいかない。相手はこの国の皇、海皇なのだ。

《……ちっ、ちち》
《うん。うむうむ》

 にこにこにこ。

《ち、ちちう……》
《うむ。頑張れ、もう少しぞ》

 にこにこにこにこ。
 群青陛下の嬉しそうなお顔といったらない。
 それにつりこまれるようにして、とうとうユーリは言ってしまった。

《おちちうえ、さまっ……!》
《うむ! 重畳》

 ぽんと膝を打ち、呵々かかと大笑するご尊顔は、まことに心から嬉しそうだった。
 ユーリはそれに勇気をもらったような気になって、遂にとあることを切り出した。

《それで、あのう……お父上さま》
《うむ。なんじゃな》
《えっと……ええっと。その、実はひとつ、折り入ってお願いしたき儀が──》

 そうしてユーリは、訥々とその願いを思念の舌の上に乗せはじめた。





 ユーリと群青の話し合いの間、ここで待つようにと言われた部屋で、ロマンはぷかぷか浮かんだまま膝を抱えている。黒鳶は部屋の隅で、いつものように影のごとくに静まっている。

《ああ……どうしよう》

 いったいどうしたらいいのか。
 このままでは、ユーリ殿下は宇宙の果てへ行っておしまいになる。そこで恐ろしい化け物みたいな奴と対峙しなくてはならなくなる。
 しかも相手は、いっさいの近侍をつけるなと言って来ているらしい。ロマンですらも王子についていくことは叶わないのだ。

《ユーリ様が行ってしまわれたら。僕はいったい……どうすれば》

 ぎりぎりと唇を噛む。全身に力が入ってしまうからか、ロマンの体は膝を抱えた格好のまま床の方へと沈んでいく。
 と、その体を黒鳶の腕が受け止めた。
 目をあげると、いつも通りの静かな黒い目がこちらを見ている。
 いつもみたいに、どうせ何も言わないのだろう。そう思っていたのに、今回は耳の中で低い声がした。

《先ほどは、お見事にございました》
《えっ? なにがですか》
 きょとんと見返したが、黒鳶の表情は変わらなかった。
《あの不躾な大臣おとどどもに散々になじられ、ののしられ……。それでも、あなた様はずっと毅然としておいでだった》
《そんなこと、当たり前です。ユーリ殿下を守るのが、わたしの唯一の務めですもの》

 耳の器具を使って思念を送るのはまだ不慣れだけれども、どうにか伝わったようである。黒鳶はわずかに首を横に振った。

《いいえ。ご立派にございました》
《…………》

 じっと彼の瞳を見返しているうちに、視界がぼやけるかわり、目元のあたりの水の温度が少し上がったのがわかった。

《どう……しましょう》
《は?》
《どう、したら……いいのですか? ぼくは。ユーリ様がここから、いなくなったらっ……!》

 声で話していたのなら、もっと理性でとどめることができたのかもしれない。でも、今は無理だった。必死に押し隠していた感情が、どんどん言葉になって相手に飛んで行ってしまう。

《だって僕には、ユーリ様だけなんだ。あの方のために、全身全霊でお仕えする。それが仕事だし、使命なんだ。そうだと思ってここまで来たのに。なのに》

 思念の声はひび割れ、頬もどうしようもなく歪んでいく。
 そしてとうとう、言ってはならない言葉が泡のように浮かんではじけた。

《ユーリ様が……死んじゃったら、どうしよう》

 ぶわっと目の周りの温度が一気に上がる。黒鳶が即座に泳ぎよってきて、力いっぱいロマンの体を抱きしめてくれた。

《ぼくが、代わりに行ければいいのに。……そうだ。今からだって、身代わりに──》
《いけませぬ。身代わりなど、すぐに見破られまする。敵は非常な頭脳の持ち主。決してあなどってはなりませぬ。それに、もしもそうなれば、それこそ玻璃殿下のお命が危のうございます》
《わかってます。わかってるっ! でも……!》

 抱きしめてくれる腕の力が、さらに強くなった。
 ロマンはもう、とても我慢なんてできなかった。
 黒鳶の裸の胸に顔をうずめ、広い背中に腕を回してかじりつく。
 あとはもう、わあわあ泣きじゃくるしかできなかった。まるでちいさな子供に戻ってしまったみたいに。

 
 部屋の外には、紺の長い髪をながした美貌の青年が浮かんでいる。
 青年は今しも扉に触れようとしていた手を止めたまま、暗い瞳をして溜め息をこぼした。それはそのまま、あぶくになって消えていく。
 扉の中から、少年のむせび泣く声がする。

 青年はもうひとつ、こぽりと泡を吐き出すと、音もなく廊下を泳ぎ去っていった。
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