118 / 195
第一章 彼方より来たりし者
12 決意
しおりを挟む「ユーリ! ユーリよ……!」
明るく大きな声を発し、両腕を大きく広げて次兄イラリオンがやって来たのは、それから半日もたたないうちのことだった。
エラストがユーリのためにとそれを希望し、群青が快く受け入れてくれた結果である。それからすぐ、滄海からの飛行艇が彼を迎えに行ったのだ。飛行艇を使えば、両国の間はほんの七、八時間で往復できる。
自室で彼を迎えたユーリは、飛ぶようにして兄のもとに駆け寄った。
「あに、うえっ……!」
そのまま兄の大きな胸の中にとびこんだら、兄はしっかりとユーリの体を抱きしめてくれた。背骨が折れそうなほどの腕の力だ。
「元気そうだな、ユーリ。顔色もいいじゃないか。重畳、重畳」
「……ありがとうございます」
兄の言葉は半分以上嘘であろう。そんなことは分かっていた。ユーリは自分の顔を隠すように、兄の胸に顔を押し付けた。
兄の胸は温かかった。ユーリは必死に、溢れそうになるものを堪えた。
「此度はまこと、大変なことになったな。本当にその……行くのか、ユーリ。《うちゅう》とやらへ」
豪快で快活なイラリオン兄らしからぬ、影のある難しい顔。
ユーリは溢れそうになったものを懸命に飲み込むと、にこっと笑った顔をつくってから兄を見上げた。
「はい。ほかに選択肢などありませんし。玻璃殿のお命が助かる道が少しでもあるのなら、私がそれをせぬわけには参りませぬ」
「だが──」
「なにより、私がそうしたいのです」
「……そうか」
いっそ晴ればれしたような弟の顔を見て、イラリオンはさらに複雑な顔になった。
「どうか、お父上とセルゲイ兄上、ほかの家族たちによろしくお伝えくださいませ。『ユーリは決して、こちらの御国の方々に無理強いされて行くのではありません』と。『自分で望んでいくのです』と」
「ユーリ──」
「これは、私の意思なのです。そこだけはどうか、しっかりとお伝えを。アルネリオの皆に誤解されたくないのです」
「だが」
「こちらの国の皆様には、本当によくして頂きました。間違ってもアルネリオの民から『滄海はユーリ王子を敵への人身御供にしたのだ』などと、誤解されたくありません。誰にもそのようなことは言わせないでくださいませ。どうかそれだけは、お願いです」
「…………」
「両国の今後のためにも、このことでお互いの間に一抹のしこりも残してはならないと考えます」
「……うん。わかった。お前の言う通りだ」
それから少し体を離して、次兄はまじまじとユーリの姿を上から下まで見直した。やがて、ひとつ溜め息をつく。
「ユーリ。お前、大人になったな」
「えっ? そ、そうでしょうか」
何となく耳が熱くなった。兄の明るい瞳は、とても優しい光を湛えている。
「ああそうだ。さぞやハリ殿は見事な御仁であったと見える。そのことは、兄として心から嬉しい。ハリ殿にも、ワダツミの皆々様にも感謝の念を覚える。これはまことだ」
兄は落ち着いた声音でそこまで言うと、目線を落としてひとつ息をついた。
「だが……情けない」
「え──」
思わぬ言葉に驚いて見上げたら、イラリオン兄は今にも泣きそうに、ぐしゃっと顔を歪めていた。
「この度、お前がハリ殿をお救いするため《うちゅう》へ行くことを、グンジョウ陛下は非常に申し訳なく思し召しのようだ。それゆえ、今後敵から何らかの攻撃があった場合、ワダツミの強大な兵力をもってアルネリオのこともお守りくださると。父上に、そのようにお約束なさったそうだ」
「そうなのですか! よかった……!」
本当に良かった。願ってもないことだ。
群青陛下は、父エラストと直接会話するための独自の回線を持っておられる。あの会議の場ではユーリの腕輪を用いたが、その後、そちらで改めてお話をなさったのだろう。
自分が宇宙へ行くことでアルネリオの民が守られるというなら、それ以上のことはない。
滄海の兵力があるならば、アルネリオも決して全滅の憂き目は見るまい。それはユーリにとって、ここまでで最も良い知らせだった。
だが、兄は泣きそうな顔でまた「情けない」を繰り返した。
「弟のお前の肩に全部背負わせて、俺たちがのうのうと生き延びるなど。斯様な情けのない話があろうか。俺で良いなら、俺が代わりに行ってやったものを。バカにしおって──」
大きな掌で、ばっと目元を隠して俯いている。
この兄は、泣くときですら豪快なのだ。大きな肩を震わせているその姿は、ずっと昔、子供のころの兄の姿を彷彿とさせた。
ユーリはくすっと笑って兄の顔を両手ではさみこんだ。
「どうかお嘆きにならないでください、兄上。先ほども申し上げた通りです。ユーリは飽くまでも、自分の意思で向かうのですから。……どなたのことも恨んでなどおりませぬ。これは本当に、まことですゆえ」
「ユーリ……」
涙のにじんだ赤い目をして、兄がユーリを抱きしめてくれる。ユーリは兄の背中に腕を回してしっかりと抱きしめ返した。
背後では、ロマンが声を殺して咽び泣いている。
そのさらに後ろ、部屋の隅では、暗澹たる目をした黒鳶が床に片膝をつき、じっと項垂れていた。
0
お気に入りに追加
104
あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....

心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

僕はお別れしたつもりでした
まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!!
親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
大晦日あたりに出そうと思ったお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる