ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第一章 彼方より来たりし者

12 決意

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「ユーリ! ユーリよ……!」

 明るく大きな声を発し、両腕を大きく広げて次兄イラリオンがやって来たのは、それから半日もたたないうちのことだった。
 エラストがユーリのためにとそれを希望し、群青が快く受け入れてくれた結果である。それからすぐ、滄海からの飛行艇が彼を迎えに行ったのだ。飛行艇を使えば、両国の間はほんの七、八時間で往復できる。
 自室で彼を迎えたユーリは、飛ぶようにして兄のもとに駆け寄った。

「あに、うえっ……!」

 そのまま兄の大きな胸の中にとびこんだら、兄はしっかりとユーリの体を抱きしめてくれた。背骨が折れそうなほどの腕の力だ。

「元気そうだな、ユーリ。顔色もいいじゃないか。重畳ちょうじょう、重畳」
「……ありがとうございます」

 兄の言葉は半分以上嘘であろう。そんなことは分かっていた。ユーリは自分の顔を隠すように、兄の胸に顔を押し付けた。
 兄の胸は温かかった。ユーリは必死に、溢れそうになるものを堪えた。

「此度はまこと、大変なことになったな。本当にその……行くのか、ユーリ。《うちゅう》とやらへ」

 豪快で快活なイラリオン兄らしからぬ、影のある難しい顔。
 ユーリは溢れそうになったものを懸命に飲み込むと、にこっと笑った顔をつくってから兄を見上げた。

「はい。ほかに選択肢などありませんし。玻璃殿のお命が助かる道が少しでもあるのなら、私がそれをせぬわけには参りませぬ」
「だが──」
「なにより、私がそうしたいのです」
「……そうか」

 いっそ晴ればれしたような弟の顔を見て、イラリオンはさらに複雑な顔になった。

「どうか、お父上とセルゲイ兄上、ほかの家族たちによろしくお伝えくださいませ。『ユーリは決して、こちらの御国の方々に無理強いされて行くのではありません』と。『自分で望んでいくのです』と」
「ユーリ──」
「これは、私の意思なのです。そこだけはどうか、しっかりとお伝えを。アルネリオの皆に誤解されたくないのです」
「だが」
「こちらの国の皆様には、本当によくして頂きました。間違ってもアルネリオの民から『滄海はユーリ王子を敵への人身御供にしたのだ』などと、誤解されたくありません。誰にもそのようなことは言わせないでくださいませ。どうかそれだけは、お願いです」
「…………」
「両国の今後のためにも、このことでお互いの間に一抹のしこりも残してはならないと考えます」
「……うん。わかった。お前の言う通りだ」

 それから少し体を離して、次兄はまじまじとユーリの姿を上から下まで見直した。やがて、ひとつ溜め息をつく。

「ユーリ。お前、大人になったな」
「えっ? そ、そうでしょうか」
 何となく耳が熱くなった。兄の明るい瞳は、とても優しい光を湛えている。
「ああそうだ。さぞやハリ殿は見事な御仁であったと見える。そのことは、兄として心から嬉しい。ハリ殿にも、ワダツミの皆々様にも感謝の念を覚える。これはまことだ」
 兄は落ち着いた声音でそこまで言うと、目線を落としてひとつ息をついた。
「だが……情けない」
「え──」

 思わぬ言葉に驚いて見上げたら、イラリオン兄は今にも泣きそうに、ぐしゃっと顔を歪めていた。

「この度、お前がハリ殿をお救いするため《うちゅう》へ行くことを、グンジョウ陛下は非常に申し訳なくおぼし召しのようだ。それゆえ、今後敵から何らかの攻撃があった場合、ワダツミの強大な兵力をもってアルネリオのこともお守りくださると。父上に、そのようにお約束なさったそうだ」
「そうなのですか! よかった……!」

 本当に良かった。願ってもないことだ。
 群青陛下は、父エラストと直接会話するための独自の回線を持っておられる。あの会議の場ではユーリの腕輪を用いたが、その後、そちらで改めてお話をなさったのだろう。
 自分が宇宙へ行くことでアルネリオの民が守られるというなら、それ以上のことはない。
 滄海の兵力があるならば、アルネリオも決して全滅の憂き目は見るまい。それはユーリにとって、ここまでで最も良い知らせだった。
 だが、兄は泣きそうな顔でまた「情けない」を繰り返した。

「弟のお前の肩に全部背負わせて、俺たちがのうのうと生き延びるなど。斯様かような情けのない話があろうか。俺で良いなら、俺が代わりに行ってやったものを。バカにしおって──」

 大きなてのひらで、ばっと目元を隠して俯いている。
 この兄は、泣くときですら豪快なのだ。大きな肩を震わせているその姿は、ずっと昔、子供のころの兄の姿を彷彿とさせた。
 ユーリはくすっと笑って兄の顔を両手ではさみこんだ。

「どうかお嘆きにならないでください、兄上。先ほども申し上げた通りです。ユーリは飽くまでも、自分の意思で向かうのですから。……どなたのことも恨んでなどおりませぬ。これは本当に、まことですゆえ」
「ユーリ……」

 涙のにじんだ赤い目をして、兄がユーリを抱きしめてくれる。ユーリは兄の背中に腕を回してしっかりと抱きしめ返した。
 背後では、ロマンが声を殺してむせび泣いている。
 そのさらに後ろ、部屋の隅では、暗澹たる目をした黒鳶が床に片膝をつき、じっと項垂うなだれていた。
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