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第一章 彼方より来たりし者
10 王族の務め
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ユーリの背中を冷たい汗が滑り落ちた。
(結局……わたしなのだ)
結局のところ、自分の決断がすべてなのだ。
アルネリオの王子だとは言っても、どうせ自分は第三王子。それも、ろくな才も美貌も持ち合わせない凡夫に過ぎぬ身ではないか。
もしも今回、求められたのが瑠璃皇子であったなら、話は大きく違っただろう。滄海にとって、たとえ最悪玻璃が戻って来られない事態になったとしても、この第二皇子がいれば、皇権に問題は起こらない。いやもちろん、心情的なことはともかくも、だけれども。ともかくも、滄海は万が一「瑠璃をよこせ」と言われれば「否」と答えるしかないわけだ。
だが、自分は違う。自分がいなくなったからと言って、アルネリオの王権に影響はない。幸いなるかな故国には、あの優秀な兄たちがすでに二人もいるからだ。
今、なにより問題があるとすれば、要求を無碍にすることで奴を刺激することだろう。
あの「蒼」とやら名乗る男に、どこまでの攻撃力があるかはわからない。だが、先日いともたやすく玻璃を攫った腕前を見れば、高い攻撃力と明晰な頭脳を持つことは明らかだ。巨大な宇宙船に乗ってきているという話だったし、それを使えば滄海とアルネリオを同時に攻撃することだって可能だろう。
今でも滄海の強力な宇宙艦隊がこの惑星を幾重にも防衛している。だが不甲斐ないことに、すでにその脇を何度もすり抜けられているのだ。彼らがどこまで確実にこの地を守れるかはわからない。保証などないに等しい。
だが、確実に言えることはある。
自分がこのまま行かなければ、二国が危険にさらされるということだ。
いや、滄海はまだいいだろう。こちらの国には素晴らしい科学力がある。強力な宇宙艦隊だって持っている。最悪でも、全滅するということだけはあるまい。
(……だが、アルネリオは?)
そうだ。アルネリオには安心できる材料はない。
陸地を占めるあの国には、こちらのような科学力も防衛力もない。騎兵と大砲が幾千、幾万あったとて、奴に勝てる見込みはまずない。そもそも、空から攻撃されることをあの国は想定していない。こちらで言う《レーダー》のようなものすらなく、宇宙の向こうにいる敵の正確な位置すらわからない。
蒼がひとたびその気になれば、アルネリオなど一瞬で吹き飛ばされよう。
帝国アルネリオと、その属州となっている小国群。そこに住まうあらゆる人々は、恐るべき武器によって切り裂かれ、焼き払われることになる。目に浮かぶのは、ひたすらに地獄絵図だ。
(わたしは──)
膝の上で両の拳を握りしめる。
ユーリの目裏には、あの片田舎に住んでいた小さな兄妹の顔が浮かんだ。
あんないたいけな子供たちが、わが国には大勢いる。父があり、母があり、年配の者たちがあり。病弱な者もいれば、体の不自由な者もいる。そのひとりひとりに命があり、希望があり、人生があるのだ。
それを自分ひとりのわがままで亡き者にさせるわけにはいかない。
王族である、というのは、つまりはそういうことだからだ。みんなの命が危機に晒される事態になれば、まずは自分が率先して命を差し出す立場にいる。それでみなの命が、財産が守られるなら、そうするのが自分の務めだ。
このまま自分が行かなければ、阿鼻叫喚の事態への引き金を引くのは、ほかならぬ自分になる。
「みな、さま……」
やっと絞り出せたのは、蚊の鳴くような情けない声だった。それでもユーリは、必死でその場にいる人々を見回した。
群青と青鈍は静かな深い目をしていたが、残りはほとんど疑心暗鬼や不安を湛えた目であった。
「少しだけで……いいのです。私に、時間を……くださいませんか」
「ふん。やはり──」
瑠璃がすかさず鼻を鳴らした。
が、彼が何かを言う前に群青が頷き、答えた。
「無論である。むしろ、さほど時を与えられずに、こちらこそ申し訳もなきことである。どうか、お父君とよく相談されよ。時はまだある」
重々しくも、温かみのあるお声だった。
ユーリは深く頭を垂れた。
「はい。申し訳も、なきことです……」
喉も口もからからだった。自分の体が、もう自分のものではないような感じだった。
エラストがその他のことをあれこれと群青と話しているのを遠くで聞きながら、ユーリはぼんやりと自分の腕輪を見つめ、指先でそっとさすった。
(結局……わたしなのだ)
結局のところ、自分の決断がすべてなのだ。
アルネリオの王子だとは言っても、どうせ自分は第三王子。それも、ろくな才も美貌も持ち合わせない凡夫に過ぎぬ身ではないか。
もしも今回、求められたのが瑠璃皇子であったなら、話は大きく違っただろう。滄海にとって、たとえ最悪玻璃が戻って来られない事態になったとしても、この第二皇子がいれば、皇権に問題は起こらない。いやもちろん、心情的なことはともかくも、だけれども。ともかくも、滄海は万が一「瑠璃をよこせ」と言われれば「否」と答えるしかないわけだ。
だが、自分は違う。自分がいなくなったからと言って、アルネリオの王権に影響はない。幸いなるかな故国には、あの優秀な兄たちがすでに二人もいるからだ。
今、なにより問題があるとすれば、要求を無碍にすることで奴を刺激することだろう。
あの「蒼」とやら名乗る男に、どこまでの攻撃力があるかはわからない。だが、先日いともたやすく玻璃を攫った腕前を見れば、高い攻撃力と明晰な頭脳を持つことは明らかだ。巨大な宇宙船に乗ってきているという話だったし、それを使えば滄海とアルネリオを同時に攻撃することだって可能だろう。
今でも滄海の強力な宇宙艦隊がこの惑星を幾重にも防衛している。だが不甲斐ないことに、すでにその脇を何度もすり抜けられているのだ。彼らがどこまで確実にこの地を守れるかはわからない。保証などないに等しい。
だが、確実に言えることはある。
自分がこのまま行かなければ、二国が危険にさらされるということだ。
いや、滄海はまだいいだろう。こちらの国には素晴らしい科学力がある。強力な宇宙艦隊だって持っている。最悪でも、全滅するということだけはあるまい。
(……だが、アルネリオは?)
そうだ。アルネリオには安心できる材料はない。
陸地を占めるあの国には、こちらのような科学力も防衛力もない。騎兵と大砲が幾千、幾万あったとて、奴に勝てる見込みはまずない。そもそも、空から攻撃されることをあの国は想定していない。こちらで言う《レーダー》のようなものすらなく、宇宙の向こうにいる敵の正確な位置すらわからない。
蒼がひとたびその気になれば、アルネリオなど一瞬で吹き飛ばされよう。
帝国アルネリオと、その属州となっている小国群。そこに住まうあらゆる人々は、恐るべき武器によって切り裂かれ、焼き払われることになる。目に浮かぶのは、ひたすらに地獄絵図だ。
(わたしは──)
膝の上で両の拳を握りしめる。
ユーリの目裏には、あの片田舎に住んでいた小さな兄妹の顔が浮かんだ。
あんないたいけな子供たちが、わが国には大勢いる。父があり、母があり、年配の者たちがあり。病弱な者もいれば、体の不自由な者もいる。そのひとりひとりに命があり、希望があり、人生があるのだ。
それを自分ひとりのわがままで亡き者にさせるわけにはいかない。
王族である、というのは、つまりはそういうことだからだ。みんなの命が危機に晒される事態になれば、まずは自分が率先して命を差し出す立場にいる。それでみなの命が、財産が守られるなら、そうするのが自分の務めだ。
このまま自分が行かなければ、阿鼻叫喚の事態への引き金を引くのは、ほかならぬ自分になる。
「みな、さま……」
やっと絞り出せたのは、蚊の鳴くような情けない声だった。それでもユーリは、必死でその場にいる人々を見回した。
群青と青鈍は静かな深い目をしていたが、残りはほとんど疑心暗鬼や不安を湛えた目であった。
「少しだけで……いいのです。私に、時間を……くださいませんか」
「ふん。やはり──」
瑠璃がすかさず鼻を鳴らした。
が、彼が何かを言う前に群青が頷き、答えた。
「無論である。むしろ、さほど時を与えられずに、こちらこそ申し訳もなきことである。どうか、お父君とよく相談されよ。時はまだある」
重々しくも、温かみのあるお声だった。
ユーリは深く頭を垂れた。
「はい。申し訳も、なきことです……」
喉も口もからからだった。自分の体が、もう自分のものではないような感じだった。
エラストがその他のことをあれこれと群青と話しているのを遠くで聞きながら、ユーリはぼんやりと自分の腕輪を見つめ、指先でそっとさすった。
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