ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第一章 彼方より来たりし者

8 激論

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「とっ、とんでもない……!」

 場の静けさを破ったのは、鋭いロマンの声だった。
 少年はもう蒼白だった。が、それでも群青陛下と居並ぶ重臣たちをひたと見つめて言い募った。

「ユーリ殿下をあやつの元へなど、お送りできるわけがありませぬ! そんなこと、お父君エラスト陛下も決してお許しにはなりますまい……!」
 ユーリの肩を抱いた手が震えているのがはっきりわかった。
「そ、そもそもあやつは、ユーリ殿下を送ったところで玻璃殿下を返すなどとはひと言も言っていないのです。むしろ交換はせぬと言った。そんな要求に、応じられるわけがありましょうや!」
「黙れ、小童こわっぱ!」
 大臣おとどの一人が席を蹴って立ち上がった。
「貴様、どんな分際で口を開くか! 配殿下をお送りせねば、奴は玻璃殿下の首をとり奉ると言ったのだぞ。貴様、よもや配殿下の命を惜しんで玻璃殿下のお命を軽く見る気かッ!」
「いえ、左様なことは決して……!」
「黙らっしゃいッ!」

 唾を飛ばして叫ぶ老人を、隣にいた兵部卿、青鈍あおにびが制するように手をあげている。こちらはさすがに武官らしく、肝の据わった白髪の老境の御仁である。青鈍の落ち着いた風情を目にして、大臣は渋々腰をおろした。
 が、ロマンは激昂したまま、さらに言葉を継いだ。
「お願いです! やめてくださいませ。だってそれでは、ユーリ殿下が──」
「やめよ。ロマン」
 遂にユーリもさえぎった。出て来たのは自分でもびっくりするほど掠れた声だったが、それでも震えてはいなかった。ロマンが真っ青な顔でこちらを振り向く。
「でもっ……」
「いいんだ。静まれ」

 それでもまだ何かを言い募ろうとするロマンを、ユーリは片手で押しとどめた。つい前へ出ようとする少年の体を物理的にもとどめる。
 群青と青鈍は変わらず泰然自若としているが、そのほかのみなの視線は冷たかった。
 そもそもロマンは、ユーリの側付きの立場にすぎない。彼にはこの場での発言権はないのだ。それどころかユーリ自身ですら、群青に頼んでどうにか同席させてもらっているだけの立場である。
 さすがにロマンもこの舌禍ぜっかこうむって殺されたりはすまい。けれども、下手をすればユーリの側付きから外されて故国へ戻されないとも限らない。そうなって一番困るのはロマン自身だ。もちろんユーリだって困る。
 こちらでは罰されなくとも、故国に帰ればロマンもどんな咎めを受けるか知れない。彼自身だけでなく、一族みんなが何かの責めを受けることもありうるのだ。
 そばにいる黒鳶も、沈黙しながらも気遣う目をしてロマンを見ている。その目は明らかに「それ以上はおっしゃるな」といさめていた。

「…………」

 ロマンはとうとう、悔しげに唇を噛んでうつむいた。
 と、その時だった。外から先触れの声がかかり、会議用の広間の入り口が左右に開いた。
 現れた人物を見て、一同はハッと息を止めた。

「遅れて申し訳ございませぬ、父上。兄上のことはいかが相成あいなりましたでしょうか」

 美々しい紺の長髪を流した青年。
 玻璃の弟、第二皇子・瑠璃るりだった。
 顔に血の気がないところを見ると、彼にもとうに兄の危機の報は届いているらしい。
 今日は取るものも取りあえず駆け付けたらしく、いつものように隅々まで神経の行き届いた出で立ちとは言い難い。髪もやや乱れて、白い額に落ちかかっている。海皇の前に出るにしてはやや砕けた装いだが、そこはさすがの美麗な皇子のこと。砕けている分、逆に非常な色香を匂い立たせている。

 彼の背後からは、いつもの藍鉄の巨躯が影のようにするりとついてきている。その他、側近らしい青年が二人ほど同行していた。
 臣下の一人が立ち上がって上座の席を勧めると、瑠璃はするすると流れるような足取りで近づき、着座した。藍鉄らもその後ろにすぐに控える。

「まさか、あの兄上が宇宙からの来訪者の勾引かどわかしに遭うなどと……。私には、いまだ信じられませぬ。何かの間違いではないのですか」
「残念ながら、すべて事実である。我が息子よ」

 重々しい声で応じられたのは、水槽の中の群青だった。さすがに父皇にそう言われると、瑠璃も反駁する言葉がなかったらしい。暗い顔で黙り込んだ。
 そのままもう一度例の映像が再生されると、瑠璃は真っ青な顔でそれを食い入るように見つめていた。が、やがてその視線が恨みがましい色を湛えてすっとこちらへ流れて来た。

「……で? 当然、貴様は行くのであろうな」

 もちろん、ユーリへの言葉だった。声は完全に尖っている。氷のような冷たさだ。場にはじっとりと重苦しい沈黙が流れた。
 ユーリは声を失った。さすがにこの問いに即答するのは難しかった。

「とんでもないことにございます! ユーリ様は──」
 代わりにまた口を開いたのはロマンだった。
「貴様は黙れと言うのだッ!」
「この場から叩きだされたいのか、小僧めが!」

 助け舟を出そうとするロマンを、大臣らがすぐに遮る。
 瑠璃は蒼白な顔のまま、すっと目を細めた。明らかにこちらを嘲笑う顔だった。

「ふん。貴様のこころざしなど、どうせその程度のことだろうよ。軽いお愛想を振りまいて兄上のたぐいまれな愛を得ておきながら、いざとなれば斯様かように保身に走る」
「なっ……なにをおっしゃいます!」
「ロマン! やめよ」
「しかしっ!」

 ロマンが真っ赤な顔をしてユーリを見た。その目ももう真っ赤である。悔しくてたまらないのだろう。すでにその目に光るものがある。
 が、瑠璃は舌鋒を緩める様子はなかった。

「貴様がまことに兄上をお慕い申し上げていると言うならば。この場で『否や』など言えようはずもない。そうであろうが?」
「…………」
「もちろん、貴様ごときの命で兄上のお命があがなえようはずもない。ないとは申せ、それでもその身を捧げて夫を助けようとする。それが貴様の務めであろうが」
「…………」
「奴が貴様の『命が要る』と言わばそれを差し出し、『みさおが要る』と言わばその身を差し出せ。なにをやってもいい。とにかく兄上をお助け申し上げろ! それが今、唯一貴様ができることだ」

 ユーリはもう、ただただ愕然と沈黙し、凄絶なまでに美しい義理の弟を見返すほかはなかった。

「だめですっ! そんな……そんなっ!」

 ロマンはもうほとんど泣いている。それでも言い募ろうとする少年をなだめるように抱きよせて、震える肩を叩いてやった。
 ユーリは黙って目を閉じた。

(玻璃、どの……)

 と、その時だった。

《お話は聞いていた。少しよろしいだろうか、群青どの》

 ユーリのめた腕輪から、聞き慣れた深い声が流れ出た。
 周囲のみなが、ざわっと色めき立つ。
 ユーリ自身も完全に寝耳に水のことだった。

「ち、父上……?」

 帝国アルネリオの皇帝ツァーリ、エラストだった。

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