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第一章 彼方より来たりし者
7 脅迫
しおりを挟む「その者」から滄海への連絡が入ったのは、皇太子・玻璃の失踪から十日もあとのことだった。
実際、そこに至るまで、滄海の上層部では二つの事件を関連付けて考えるべきなのかどうかすら決めあぐねていた。玻璃の失踪時、周囲にいた者たちが相当ひどいやりかたで惨殺されていたことを考えれば非常事態であるのは明らかだったが、だからといってそれと宇宙の彼方にいる敵とが関係すると考えるのも無理があるように思われたからである。
展開している宇宙艦隊のうち、比較的被害の少なかった艦はそのまま当初の防衛ラインを維持して微動だにしていない。一方、木星近辺にとどまっていた謎の宇宙船はそこからじりじりと間合いを詰め、今では火星の軌道上に位置を占めていた。
まさににらみ合い。そろそろ一触即発かと思われた。
もしもこちらの隊にひとりでも堪え性のない将官がいたら、誤って最初の一発を相手艦にお見舞いしてしまっていたかもしれない。
どうやら今回の連絡は、それを見越してのものらしかった。
《久しぶりだな。今回は、ちょっと面白いものが手に入ったのでその紹介だ》
冷酷そのものの声がメインブリッジに響いた時、艦隊司令官・璃寛は、モニターに現れた映像を見て息を呑んだ。同席している部下たちも一様に戦慄したようだった。
「殿下……!」
「玻璃殿下!」
「ま、まさか──」
士官らの驚きも無理はなかった。
画面の中央には、巨大な樹の幹のような形をした緑に光る筒がある。筒そのものは透明らしいが、中は何かの液体で満たされているようだ。
その中に、この場で知らぬものはないだろう尊い方のお姿が浮かんでいた。液体の中で大きく広がった銀の髪。雄々しくたくましい巨躯に、品位のあるご尊顔。
皇太子・玻璃殿下だった。
衣服はほとんどお召しになっておらず、下着の下穿きだけのお姿だ。
両目は閉じて、今は眠っておられるように見える。
璃寛は思わず体の横で拳を握った。
「殿下ッ……! 貴様、殿下になにをした!」
歯をむき出し、獣が唸るかのように叫ぶと、あたかもそれを相殺するように氷のごとき声が応じた。
《特にはなにも。少し話をした程度だ。……まだ、な。ただ、ここから貴様らが選択を誤ればどうなるか。それは大いに想像しておくがいい》
続く映像を見るうちに、璃寛のこめかみには玉の汗が浮きだした。
それは明らかな脅迫だった。
同じ映像はそのまま、すぐに海底皇国・滄海の宇宙軍本部へ転送された。三軍を統括する司令官たる兵部卿・青鈍は、敵の要求その他をまとめて海皇・群青へと奏上した。
◆
ユーリがその映像を見せられたのは、その御前会議の場であった。本来は出席するべきものではないが、場合が場合であるため、事前に群青に無理をいって参加させてもらっていたのだ。
ごく上層部の集まりのため、群青のいる水槽の前にはいつもの御簾は下ろされていない。
「ひ……!」
喉奥で声にならない悲鳴を発し、ユーリは思わず口元を覆った。
「あっ、ユーリ様……!」
ぐらりと体が傾いたのを感じた瞬間、横からすぐに黒鳶とロマンが支えてくれた。
「どうか、お気を確かに。一時、ご退室なさいますか」
黒鳶の低い問いに、ユーリは必死で首を横に振った。
「いや。いい、ここにいる。すまない……」
ロマンが心配そうな顔で覗き込んでくるのになんとか微笑んで頷き返す。
場の皆は慄然とした顔でモニターを凝視していた。泰然とした態度を崩さないものの、それは群青とても同じだった。
人々の面前で空中にうかんだモニターの中では、正体不明の男の声が続いている。
《ご覧の通り、そちらにとって大事な者をお預かりした。こちらへの攻撃や陰謀そのほかが露見し次第、こいつの体を寸刻みにしてお返しすることにするので、そのように心得よ》
こみ上げてくる吐き気を必死にこらえながら、ユーリは画像を食い入るように見つめていた。口元をおさえる手さえも、ぶるぶる震えて自分の思うようにはならない。
(玻璃殿……!)
と、画面の中の男は「ところで」と話題を変えた。
その手に握られているのが、自分もつけているあの腕輪であることはすぐに分かった。男の指が青色のボタンを操作して、とある映像を浮かび上がらせる。
《こいつが誰か、教えてくれると有難い。この男はどうやっても答えるつもりがないようでな》
「おお……?」
御前会議に参加している老臣の一人が思わず声を上げたようだった。
分厚い透明な壁の向こうで、水中にいる群青が優しい瞳をやや翳らせ、そっとこちらを見たのがわかった。
それと同時に、隣にいたロマンが息を呑む。
(えっ……?)
暗がりに浮かび上がった映像は、あのときの自分のものだった。桃色や橙色をしたちょっと恥ずかしいデザインの尾鰭をつけて、不格好に泳ぎ回っている自分の姿。
場にいる皆の目が、一斉にユーリを射抜いた。
冷たい男の声がさらに響く。
《こいつは誰だ。そちらにいるなら、早急にこちらに寄越せ》
(えっ……?)
知らず、身が竦んだ。隣のロマンも同じである。
様々な疑惑の視線が自分に集中しているのに気づいて、ユーリは慌ててぶんぶんと首を横にふった。
身に覚えは何もない。その映像を玻璃に贈ったのは《尾鰭開発局》の局員だし、それを求めたのは玻璃自身だ。
《別にこの男の身柄と交換だとは言っていないぞ。だが、場合によっては何かしらの譲歩はしてやるかもな》
ちっ、とその場の誰かの舌打ちが聞こえた。もちろん相手に届かないことを知ってのことだ。この映像は璃寛によって録画されたもので、相手とつながっているわけではない。
《急げよ。……この男の片腕を斬り落とされたくなければ、な》
言いながら、男は人の形をした片手をかざした。と、するするとそれが変形して鋭い五本の刃物にかわった。
《ああ、先に言っておく。努々、身代わりを立てようなどとは考えるなよ? さすれば斬り落とされるのは、こいつの首になるからな》
そうして、映像はぷつりと切れた。
場には重苦しい沈黙が降りた。
が、やがて大臣の一人が遂に押し殺した声を発した。
「な……何者なのだ、こやつは」
「人ではないのか」
「そうであろうな。あの不気味な腕を見るに──」
「だとしたら、一体どういう存在なのだ。すぐに調べさせよ」
「いや、今はそれよりも、彼奴がいったいどうして配殿下を、というのが問題であろう」
「そうだな。目的がまるで分らぬ」
場にいる皆の疑問は、そのままユーリの疑問だった。
ざわざわと漣が立つように人々の低い声が広がる中、群青は黙って水槽の中からユーリを見つめている。その瞳に、ユーリを咎めるようなものは何もない。だがそれでも、ユーリは自分が責められているような気になるのを止められなかった。
「陛下、どのようにいたしましょうか。このまま奴の申す通り、配殿下を……?」
ひととおりのざわめきが鎮まり、大臣の一人がそう言いかけた時だった。
「とっ、とんでもない……!」
場の静けさを破ったのは、鋭いロマンの声だった。
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