ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第一章 彼方より来たりし者

3 海松

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 海底皇国宇宙軍第二防衛隊所属、重巡洋艦「あきかぜ」は、すでに地球に帰還し、海中に突入して、滄海の帝都へ戻る頃合いとなっている。
 一度宇宙へ飛び立ったものの、機体の不具合を理由に戦列を離れたほかの数隻とともに、故郷の海へと戻ってきたのだ。
 艦長は従五位兵部少輔じゅごいひょうぶしょうふ海松みる。そろそろ中年にさしかかった、凛としたまなじりをもつ女性将官である。

「その後どうか。不具合の原因は見つかったか」
 穏やかな低音でそう訊けば、配下の士官らがすぐに反応した。
「は。引き続きAIに精査させておりますが、いまだ原因不明です」
「船体外殻と隔壁に異常が生じ、空気が漏れ出して以降の異常は確認されておりません」

 そうなのだった。
 宇宙艦隊の戦艦はどれも、普段から怠りなく、丁寧な機関チェックが施されている。それなのに、今回の出撃では奇妙なが生じてしまった。
 肝心の出撃時に、この体たらく。戻ったら、あらためて配下の士官たちに雷を落とさねばならないだろう。
 とはいえ、空気の漏れた場所近くの隔壁はすぐに閉じ、以降はなんらの問題もない。あのまま戦列にいることも可能ではあったけれども、艦隊司令官・璃寛りかん閣下が「無理はするな。戻るがいい」とおっしゃってくださった。
 いざ戦闘ともなれば、わずかな不具合でもどんな事態を招くかは未知数だ。物事には、というよりも人間のすることには、「常に百パーセント」などということはあり得ないのだから。
 下手をすれば、艦隊全部に迷惑を掛けるような足手まといにもなりかねない。なによりそれを厭われたのだとは思うが、抱える貴重な士官たちの命のことを思えば、それはありがたい配慮だった。

 そうこうするうち、船体は帝都を擁する海底皇国の中央セクション群へと近づいていく。通信兵らがてきぱきと皇国とのやりとりを終えると、セクション最下部にある格納庫へ通じる隔壁がゆっくりと開き始めた。
 着艦シークエンスが続行される中、海松は技官との話し合いを続けている。

「基本的な原因は、わずかな外部からの圧力による欠損と思われます。当時、高速移動していたわけではありませんが、当たり方によれば小さなデブリが掠っただけでも船体が傷つく可能性は皆無とは言えません。帰還後、すぐに詳細な調査を行います」
「それがよかろう。任せたぞ」
「はっ」

 と、海松みるがうなずいた時だった。
 艦内にAIのものである柔らかな女声が流れた。

《帝都よりの入電があります。皇太子、玻璃殿下です》

 途端、メイン・ブリッジにいるすべての士官がぴりっと背筋を伸ばしたのがはっきりとわかった。
 無論、まずはそのお立場のゆえではある。直属の上官にあたる兵部卿ひょうぶきょう青鈍あおにび閣下からの連絡ならまだしも、皇太子殿下が直々に連絡してくるなどはなかなかに異例のことだからだ。
 だが、兵らの態度はなによりそのお人柄によるところが大きいだろう。そのことは海松も十分に承知している。
 あの泰然として裏表のない、度量と慈愛のお心深き御方だからこそ、兵らは自分の一命をなげうっても国のために働き、戦おうという気になるのだ。大元帥閣下としての最大のお資格は、何よりもまずそこにある。と、海松は常々つねづね思っている。
 皆と同様きりりと背筋を伸ばして、海松はAIに命じた。

「わかった。回線開け」
《了解いたしました。回線、開きます》

 女の声が途切れると、すぐに眼前に大きな電子画面が浮かび上がった。
 そこに映し出されているのは、見慣れたあの御方の姿だった。

《帰還、大儀である。機体に不具合が出たと聞いたが、その後いかがか。乗員への被害は在りや無しや》

 ゆったりと落ち着いた低音で殿下が訊ねてこられる。
 相変わらずの堂々たるお姿だ。豊かな銀の髪。聡明そのものの澄んだ紫の瞳。
 場にいる士官らはみな、一様に画面に向かってきりりと敬礼をした。普段の拝礼であったら頭を垂れるのが一般的だが、戦時にあってはこの御方は全軍の大元帥になられるのだ。この場合は軍隊式の敬礼となる。
 海松もぴしりと顔の横に手をかざして敬礼すると、手短にこれまでの経過をご説明した。
 殿下は画面のなかでにこりと爽やかに微笑まれた。

《大事に至らず、何よりである。では、粛々と着艦をな》
「はっ。わざわざのお言葉とお心遣い、痛み入ります」

 再度みなが敬礼すると、いたって和やかな表情を浮かべた玻璃殿下のお顔がふっと消え、画面はもとの状態に戻った。
 と、その時だった。


──くす。


 海松のすぐ後ろで、だれかが含み笑った。
 ……ような、気がした。

(なんだ……?)

 いや、自分の後ろには誰もいない。いないはずだった。すぐに振り向いてみたが、やはりそこには誰もいない。
 だが、確かにいま、背後に何かの気配を感じた気がしたのだが。
 見回してみるが、特に何も異常はない。先ほどあった不気味な気配も、かき消すように無くなっている。視線を戻せば、メイン・ブリッジにいる士官たちはすでに、いつも通りに目の前の着艦シークエンスに集中しているばかりだ。

(帰還で気が緩んだか……? いかんいかん。気を引き締めねば)

 海松はまだわずかにいぶかりながらも、近づいてくる滄海わだつみの帝都、青碧せいへきへの入り口へと目を戻した。

 宇宙艦隊の前線が、何者かによる手段不明の攻撃を受けたと彼女が知ったのは、着艦シークエンスが終了して数時間もあとのことだった。

 そして、その時にはすでに遅かった。
 なぜなら「その者」はすでにとっくに辿り着いていたからである。

 自分たち滄海わだつみの兵部士官が全力をもって、その一命に替えても守らねばならぬはずの御方おんかたの、すぐそばに。
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