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第十章 予兆
6 医務局へ
しおりを挟む尾鰭のデザインをようやく決めたところで、ユーリの腕輪に通信が入った。
なんと、玻璃からの連絡だった。
《ユーリ。尾鰭の選定は終了したか》
「は、はい。先ほど。いったいどうなさいましたか」
《うむ》
言って玻璃は、少しだけ間を置いた。ユーリに対して、何をどう説明しようかと逡巡したのかもしれない。それは玻璃においてはとても珍しいことのように思われた。
《すまぬが、ユーリ。数日後の予定だったが、鰓の手術を少し早めてもらえまいか》
「鰓、ですか……? 一体どうして」
そちらの手術については、一応急ぎはするものの、数日はロマンともゆっくりと相談してから決めてよいという話だったが。
先ほど感じた嫌な予感がまたひしひしと胸を押しつぶしてくるような感覚が襲い、ユーリはわずかに顔をしかめた。が、心配そうにこちらを窺っているロマンの視線を感じているので、なるべく表情を変えぬように努めた。
《今すぐには、理由は言えぬ。事態の分析も進んでおらぬしな。だが、もしかするとここに危機が迫っておるやも知れぬのだ》
「えっ」
どくん、と胸の鼓動がはねた。
「危機……? それは」
《今は言えぬ。……頼む。何も訊かずに、すぐに医務局へ向かってくれ。そして一刻も早く鰓の手術を受けて欲しい。細かいことは、すべて黒鳶が存じておるゆえ》
「玻璃どの……」
知らず、こくりと喉が鳴った。
なんだろう。あの玻璃にしては非常に珍しく、声音を抑えている様子だ。いつも鷹揚で肝の据わった男子だが、今このときばかりはその裏に間違いようのない緊張が見え隠れしている。
ユーリは少し黙ったが、改めて顔を上げて言った。
「承りました。すぐに医務局へ向かいます。鰓のことも、すべて仰せの通りにいたします」
《……済まぬ。ありがとう、ユーリ》
「何をおっしゃいます」
ユーリは敢えて、声に笑みを滲ませた。
「こちらのことはご心配なく。どうぞ、玻璃どのもお気をつけて」
《うむ。……ではな、ユーリ。また連絡する》
「はい、玻璃どの」
それを最後に通信は切れた。
そばに控えているロマンと黒鳶がもの問いたげな目でこちらを見ている。局長である樟葉女史も、静かだが意味ありげな視線をこちらに投げてきていた。
ユーリはすぐに用向きの説明をした。
その途端、黒鳶の纏った秘めたる気魄が、ぐわっと力を増したような感じがあった。なんというか、彼の持つ気の壁が、何段階か防御力を上げたような感覚だった。
(なんだ……?)
この男も、緊張している。
いったい何があったのだろう。
ユーリは背筋にどうしようもなく冷たいものが走るのを禁じ得ない。
が、男が次に発した声はいつも通りの静かで落ち着いたものだった。
「了解いたしました。ではすぐ、医務局へ参るといたしましょう」
「うん。諸々、よろしく頼むよ」
「は」
そこから三人は急ぎ《えあ・かー》に乗り、医務局へ向かうことになった。
ユーリが見送りに出て来た樟葉女史に丁寧に礼を言うと、黒鳶はすぐさま車を発進させるべく《エーアイ》に命じた。
《了解いたしました。医務局へ向かいます》
暢気なのは、相変わらずの《エーアイ》の声ばかりだった。
車内にはいつになく重い空気が漂っている。
「あ……の。何があったというのでしょう。帝都で、何か危険なことでも?」
ロマンがとうとう耐え切れなくなったように言った。が、ユーリに答える術はなかった。
代わりに黒鳶がこう答えた。
「何か危急の事態があったことは間違いありませぬ。が、ご心配なさいますな」
「し、心配するなと言っても……」
ロマンが今度は困ったようにユーリを見る。
「ともかく。お二人には一刻も早く鰓の手術を受けていただかねばなりませぬ。危機管理のためでもあり、皇太子殿下に後顧の憂いを残さないでいただくためでもありましょう。どうぞ、お聞き分けくださいませ」
「もちろんだよ。……玻璃殿のことは信頼している」
声を沈ませないようにと気を遣いながら、やっとのことでユーリは言った。なんとか笑みを浮かべて見せようと思ったが、多分ひきつっていたのだろう。ロマンの顔を見れば、そのことは明白だった。
「ロマンも、いいね? 鰓のことはこれからもっとゆっくり、そなたと相談するつもりだったが……。こうなっては是非もない。一緒に手術を受けてくれるね?」
「あ、はい……。もちろんです。私はどこどこまでも、ユーリ殿下と共にいなくてはなりませぬ。そのために必要な手術なのであれば、どんなものでも受けますゆえ」
青ざめた顔ながら、ロマンが言った。
見ればその体が小刻みに震えている。なんと健気なことだろう。
ユーリは思わず、隣に座ったロマンの膝の上の手を握った。
「大丈夫。……大丈夫だよ、ロマン。安心して。そなたのことは、私がきっと守るから」
「いっ、いえ! 申し訳ありません。殿下をお励ましするのは、そしてお守りするのは、私の務めだというのに──」
その声すら、ひどく震えて掠れていた。
ユーリは彼の手を握る手に力をこめた。ロマンの手はひどく冷たくなっていた。
「大丈夫。きっと玻璃殿たちがきちんと対処してくださる。私たちは、いま私たちがすべきことを考えるんだ。いいね?」
「は、はい……」
前の座席に座った黒鳶が、目の隅でそんな二人を黙ってそっと見つめていた。
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