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第十章 予兆
4 指輪
しおりを挟むひと通りの行為が終わって部屋を出てから、ユーリと玻璃はしばらく別の部屋で待たされた。やはり調度を暖色でまとめられた、ゆったりとした明るい部屋である。
隣り合わせにソファに座ると、玻璃が自然にユーリの手を握ってきた。そのまま指を絡み合わせる形で握り合わせる。一応茶なども出されてはいたが手は出さず、そのまま互いに何もいわず、静かに待った。
ユーリは事後の気だるい感覚を持て余しながらぼんやりと玻璃の大きな肩に頭をあずけている。玻璃がときおりそんなユーリの頭に手をやって、優しくあやすように撫でたり、ぽすぽすと叩いてくれた。それがひどく嬉しくて、お腹の中までぽかぽかと温かくなる。
(……しあわせ、なんだな。いま、私は)
本当に自然にそう思った。
このまま、溶け合ってしまえればいいのに。
彼の体と自分の体が、細胞のひとつも余さずにひとつになってしまえたら。
待ち時間は、予想していたよりもずっと短かった。やがて柏木が小さな箱を手にしてやってくると、そのあとからロマンと黒鳶も続いて入ってきた。
「皇太子殿下、配殿下。長らくお待たせを致しました。どうぞこちらをお納めくださいませ」
柏木が礼をして差し出す箱を、まずは黒鳶が受け取って中身を素早くあらためた。その後、玻璃の前に片膝をつき、恭しく差し出してくる。
玻璃はそれを受け取ると、ユーリを側へ呼んで彼にもよく見せるようにしながら、ゆっくりと箱を開いた。
「え、これは……」
ユーリは息をのむ。臙脂色をしたやわらかな天鵞絨の台座の上に、銀色に光るふたつの指輪がはめ込まれていた。
「そちらでは一般的な習慣だと聞いたものでな。……さ、手をこちらへ」
玻璃に優しく促されるまま手を差し出すと、玻璃はそっと指先をとって、左の薬指に指輪を嵌めた。
その上から軽く口づけを落とされて、ユーリの体温がまた上がった。
「……あ」
「裏には我らの名前がある。そして内部には、暗号化された我らの遺伝情報もな。万が一そなたが行方不明にでもなった時には、居場所を知らせる機能もある。それはまあ、腕輪にもある機能だが」
「そ、そうなのですか」
「万が一、そなたが自ら身を隠したいと思う時には、そのようなモードも使える。あとで設定方法を説明しよう」
「はい……」
耳まで熱くしながらやっとそう言うと、玻璃は目を細めてユーリの頬にも口づけを落とした。
(ああ……)
嬉しい。「舞い上がる」なんていう言葉があるが、本当に床に足がついている気がしないほどだ。
こんなに幸せな気持ちになって、本当に許されるのだろうか。こんな自分が?
なんだか今にも罰が当たりそうな気がして仕方がない。
「さあ。俺の指にも嵌めてくれぬか。そなたの手で」
「は、はい……」
差し出された箱から大きい方の指輪を抜き取り、ユーリは恐るおそる玻璃の手を取って、同じように彼の指にも指輪を嵌めた。
彼にしてもらったように、その上から口づけを落とす。
玻璃がいっそう嬉しそうな顔になり、太い腕でぐっとユーリを抱きしめた。ユーリも彼の大きな背中に腕を回して抱きしめた。
「いついかなる時も、そなたを愛す。命尽きるまで、また尽きるとも。そなたを我が身体とし、それ以上に慈しむ。そのことをここに誓約しよう」
「玻璃、どの……」
嬉しさが余って、喉がつまった。またもや目元があやしくなる。
「わたくしもです。これからずっと、あなたをお慕いするとお誓い申し上げます。いついかなる時も。この命の、尽きるまで──」
どうしても、語尾が震えた。
その腕に抱きしめてもらっていなかったら、ふわふわと空まで飛んで行ってしまいそうな心地だった。
隣で見ているロマンの目にも、光るものが浮かんでいる。
黒鳶はいつもと同じ静かな目をしてその場に片膝をつき、深く頭を垂れていた。
◆
玻璃に急ぎの連絡が入ったのは、次にいよいよ《尾鰭開発局》へ向かおうとした矢先のことだった。
「ふむ……そうか。それは面妖な話だな」
自分の腕輪で会話する玻璃の表情はいつもと変わらないように見えたけれども、なんとなく話の雲行きは深刻なもののように聞こえた。
その証拠に、黒鳶も無表情ながら、やや眼光が鋭くなっているのがわかる。
一体なにがあったのだろう。
「やむを得ぬ。急ぎ戻ろう」
思った通り、通信を終えた玻璃はこう言った。そうしてユーリに向き直った。
「すまぬ、ユーリ。申し訳ない」
玻璃は何度もそう言ってユーリをしっかりと抱きしめ、優しく口づけを落としてくれた。どうやら帝都の方で、奇妙な事態が持ち上がっているらしい。海皇、群青の代わりにほとんどの政務を代行しているこの皇太子が戻らないことには、今後の行動を迅速に決定できないということだろう。
本当ならこのあとも玻璃と行動を共にする予定だった。ここからまだ数日は、尾鰭を選んだり鰓をつくったり《すぴーど・らーにんぐ》とやらを利用させてもらったりして、玻璃とゆっくりと過ごせるはずだったのだ。
正直言って残念だったが、こればかりは仕方がない。政務に火急の用はつきものだ。寂しい思いは否めないが、こんなことで駄々をこねてこの人に嫌われるなんて御免だった。
ユーリは努めてにっこりと玻璃に微笑んで見せた。
「大丈夫です。さ、どうぞお戻りになってくださいませ」
「まことに済まぬ。この穴埋めは必ず致す」
「いいえ。左様なことはどうぞお気になさらずに。さあ、お早く。皆様が待っておいでなのでしょう」
「うん。では、黒鳶。あとは頼むぞ」
「はっ」
黒鳶がきりりと頭を下げた。
玻璃はそこから、早々に迎えに来たエア・カーであっというまに帝都へ戻っていってしまった。
車が行ってしまった方を見やって、ユーリは無意識のうちに左手の薬指に嵌まっているものを撫でていた。
……どうしてだろう。
どうしてこんなに、奇妙な胸騒ぎがするのだろうか。
胸の奥底に空洞ができ、そこに凩が吹くような気になるのだろうか。
まさかこれが、あの方とお会いできる最後の機会だなんてはずはないのに──。
「では、配殿下。そろそろ次へ参りましょう」
「あ、うん。ええっと、次は何だったかな」
「皇太子殿下のお指図ですと、《尾鰭開発局》になろうかと」
「ああ、そうだったね。ではよろしく頼むよ、黒鳶」
「は」
低く答える黒鳶と、その隣で不安げな表情でユーリを見つめてくるロマン。
ユーリは彼らに微笑みかけた。そうしてそれを真綿に変え、胸の奥を噛む鋭い痛みをただ黙ってくるみこんだ。
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