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第十章 予兆
1 遺伝情報管理局
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帝都青碧から数十キロ離れた浅瀬の海底。海底皇国滄海の《天体観測局》は、そこにある。
地球外の天体の動きなどを観測し、今後の気象の予測を立てたり、隕石をはじめとする外界からの飛来物を除去することなどを目的とする施設である。
基本的には局内のほぼすべてがAI(人工知能)による制御で稼働しており、生身の人員は多くない。
日々観測され、集積されてゆくデータを解析、分類して整理するところまではAIの仕事である。担当の局員は、そうやってまとめられた資料に目を通し、気象予報局や海底開発局、宇宙開発局をはじめとする各局へ必要事項を伝達するのが主な仕事だ。
「……あれ」
閑散としたその部局の一角で、局員である中年男はとあるデータを前に片眉をあげた。
なんとなく、いつも見ているのとは違う部分に目が留まったのだ。
AIは人間のようには物事の「意味」を理解しない。あらゆる事象は数値化された物事の集合体としての認識しかしないのがAIだ。情報につながりを持たせ、意味を読み取るのはどこまでいっても人間の目と脳の仕事である。
「これは……なんだ?」
明らかに、地球上の気象とは無関係。だがこのデータは、この惑星系から遠く離れたとある宙域に今までとは異なる小さな動きがあることを示している。
男はしばらくそのデータを前に、はて、と首をかしげて考え込んだ。が、やがてぽりぽりと後頭部を掻くと、徐に画面上の通信開始マークに手を滑らせた。
当然、この不思議な現象について上層部のご意見をうかがうために。
だが、男はもちろん知らなかった。
自分が行った最初のこの報告が、これから起こるあの一連の事態の、ごくわずかな先鞭に過ぎなかったのだということを。
◆
《七日七夜の儀》が明けた翌日。
玻璃は先日の約束どおり、ユーリとロマンを伴ってとある場所へ出かけた。お忍びということで、ほかには例によって黒鳶のみである。《エア・カー》は外から中が見えないように窓に特殊な加工がしてあるものだった。あの御簾と同じことで、内側から外は見えても、外からだと窓が真っ黒に見えるだけらしい。
今日の玻璃は、先日の婚儀の時よりは少し格式をさげた「直衣」と呼ばれる出で立ちである。対するユーリはアルネリオ式の軍装に似た装束にマント姿だ。
細い管状の「道」を抜けて飛んで行った先は、帝都のあるセクションから二つほど離れたセクションの中央部だった。セクションとは、滄海を外から見たときの、巨大な珊瑚の皿ひとつひとつのことを指す。
帝都である青碧は、全体のほぼ中央に位置するセクションに存在するが、今回の訪問先はやや郊外にあたるセクション内にあった。
と、《エア・カー》に搭載されている《えーあい》による女性の声が、相変わらずの落ち着いたトーンでアナウンスをした。
《ほどなく『遺伝情報管理局』に到着いたします。車が停止するまで、どうぞそのままお待ちください》
そうなのだった。玻璃はあの日、ユーリの願った言語学習機関への訪問の前に、まずこちらに来ることを提案したのである。
「遺伝情報管理局」は、周囲を広々とした芝生に囲まれた閑静な研究所だった。建物そのものは、以前ユーリたちが親善使節として宿泊した施設とよく似た雰囲気だ。
ただし、都市部にある建物ほど背は高くない。穏やかな銀色の壁と曲線を多用したデザインで、全体に落ち着いた佇まいだ。そう言われなければ、ここが最先端の科学技術を担う施設だとは思えないほどである。
一同がエア・カーを降りた場所には、すでに迎えの者たちが待ち構えていた。
みな首元のつまった揃いの白い衣服である。形は以前、あの幼い兄妹たちを迎えにきた者らとよく似ていた。
中でもひときわ背の高い痩せた初老の男が、玻璃の前へ進み出てくる。すっかり白くなった短い癖毛は、どうにかなでつけられたようにあちこちが飛び出して見えた。表情はごく温厚なものである。
彼が深々と頭を垂れると、周囲の者もそれに倣った。
「皇太子殿下。この度のご成婚、まことにおめでとう存じます」
「うむ。苦しゅうないぞ、柏木。これがその件の俺の配殿下、ユーリだ」
カシワギ、というのが男の名前であるらしい。紹介されて、男は改めてこちらを向くと胸に手をあて、恭しく頭を下げて来た。周囲の一同も同じである。ユーリも慌てて頭を下げた。
「皇太子配殿下。遺伝情報管理局、局長の柏木と申します。こちらにいる局員ともども、以降はしばらく殿下のお世話をさせて頂くことになろうかと思います。どうぞお見知りおきくださいませ」
「あ、はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
「すまぬがこのあとも色々と予定が詰まっている。なるべく急いで頼むぞ、柏木」
「は。では皆さま、どうぞ中へ」
玻璃に促され、柏木はすぐに他の者に目配せをして建物のほうへと一同をいざなった。
地球外の天体の動きなどを観測し、今後の気象の予測を立てたり、隕石をはじめとする外界からの飛来物を除去することなどを目的とする施設である。
基本的には局内のほぼすべてがAI(人工知能)による制御で稼働しており、生身の人員は多くない。
日々観測され、集積されてゆくデータを解析、分類して整理するところまではAIの仕事である。担当の局員は、そうやってまとめられた資料に目を通し、気象予報局や海底開発局、宇宙開発局をはじめとする各局へ必要事項を伝達するのが主な仕事だ。
「……あれ」
閑散としたその部局の一角で、局員である中年男はとあるデータを前に片眉をあげた。
なんとなく、いつも見ているのとは違う部分に目が留まったのだ。
AIは人間のようには物事の「意味」を理解しない。あらゆる事象は数値化された物事の集合体としての認識しかしないのがAIだ。情報につながりを持たせ、意味を読み取るのはどこまでいっても人間の目と脳の仕事である。
「これは……なんだ?」
明らかに、地球上の気象とは無関係。だがこのデータは、この惑星系から遠く離れたとある宙域に今までとは異なる小さな動きがあることを示している。
男はしばらくそのデータを前に、はて、と首をかしげて考え込んだ。が、やがてぽりぽりと後頭部を掻くと、徐に画面上の通信開始マークに手を滑らせた。
当然、この不思議な現象について上層部のご意見をうかがうために。
だが、男はもちろん知らなかった。
自分が行った最初のこの報告が、これから起こるあの一連の事態の、ごくわずかな先鞭に過ぎなかったのだということを。
◆
《七日七夜の儀》が明けた翌日。
玻璃は先日の約束どおり、ユーリとロマンを伴ってとある場所へ出かけた。お忍びということで、ほかには例によって黒鳶のみである。《エア・カー》は外から中が見えないように窓に特殊な加工がしてあるものだった。あの御簾と同じことで、内側から外は見えても、外からだと窓が真っ黒に見えるだけらしい。
今日の玻璃は、先日の婚儀の時よりは少し格式をさげた「直衣」と呼ばれる出で立ちである。対するユーリはアルネリオ式の軍装に似た装束にマント姿だ。
細い管状の「道」を抜けて飛んで行った先は、帝都のあるセクションから二つほど離れたセクションの中央部だった。セクションとは、滄海を外から見たときの、巨大な珊瑚の皿ひとつひとつのことを指す。
帝都である青碧は、全体のほぼ中央に位置するセクションに存在するが、今回の訪問先はやや郊外にあたるセクション内にあった。
と、《エア・カー》に搭載されている《えーあい》による女性の声が、相変わらずの落ち着いたトーンでアナウンスをした。
《ほどなく『遺伝情報管理局』に到着いたします。車が停止するまで、どうぞそのままお待ちください》
そうなのだった。玻璃はあの日、ユーリの願った言語学習機関への訪問の前に、まずこちらに来ることを提案したのである。
「遺伝情報管理局」は、周囲を広々とした芝生に囲まれた閑静な研究所だった。建物そのものは、以前ユーリたちが親善使節として宿泊した施設とよく似た雰囲気だ。
ただし、都市部にある建物ほど背は高くない。穏やかな銀色の壁と曲線を多用したデザインで、全体に落ち着いた佇まいだ。そう言われなければ、ここが最先端の科学技術を担う施設だとは思えないほどである。
一同がエア・カーを降りた場所には、すでに迎えの者たちが待ち構えていた。
みな首元のつまった揃いの白い衣服である。形は以前、あの幼い兄妹たちを迎えにきた者らとよく似ていた。
中でもひときわ背の高い痩せた初老の男が、玻璃の前へ進み出てくる。すっかり白くなった短い癖毛は、どうにかなでつけられたようにあちこちが飛び出して見えた。表情はごく温厚なものである。
彼が深々と頭を垂れると、周囲の者もそれに倣った。
「皇太子殿下。この度のご成婚、まことにおめでとう存じます」
「うむ。苦しゅうないぞ、柏木。これがその件の俺の配殿下、ユーリだ」
カシワギ、というのが男の名前であるらしい。紹介されて、男は改めてこちらを向くと胸に手をあて、恭しく頭を下げて来た。周囲の一同も同じである。ユーリも慌てて頭を下げた。
「皇太子配殿下。遺伝情報管理局、局長の柏木と申します。こちらにいる局員ともども、以降はしばらく殿下のお世話をさせて頂くことになろうかと思います。どうぞお見知りおきくださいませ」
「あ、はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
「すまぬがこのあとも色々と予定が詰まっている。なるべく急いで頼むぞ、柏木」
「は。では皆さま、どうぞ中へ」
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