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第八章 過去と未来と
12 祝宴
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祝宴の間は、皇太子の御座所である東宮の、もっとも外縁にある大広間だった。
皇族専用の広間の入り口に至ると、すでに臣下や皇室に連なる方々が居並んで、玻璃とユーリの到着を待ちわびていた。御座の奥から御簾ごしに見ただけでも、ざっと百名ぐらいはいそうだった。
ユーリと玻璃はもっとも上座にあたる高御座で、その前に御簾を一番下までおろした形で臨む。御簾は細い植物の茎を横に連なるようにつなぎ合わせて布状にしたカーテンのようなものだ。茎と茎の間に微妙な隙間が空いているので、うっすらとあちらが見える。
侍従長が皆に先触れをすると、ざわついていた人々が一気にしんと静まり返った。しわぶきひとつ聞こえない中、二人が定められた座につくと、形式どおりもっとも位の高いらしい大臣が進み出て、婚儀を寿ぐ言葉を奏上した。
玻璃が鷹揚にそれに応えて、みなが衣擦れの音をたてつつ平伏する。
時おりぴちゅぴちゅと幽く聞こえてくるのは、可憐な小鳥の声のみである。
厳粛なその時間が終了すると、すぐに祝宴が始まった。
御簾の内側は意図的にやや薄暗くされており、こちらから外は良く見えるが、あちら側から中はよく見えなくなっているらしかった。だから中でユーリが玻璃と何かしたとしても、あちらの視線は気にせずにすむ。
居並ぶ臣下たちには、男女の区別はあまりない。玻璃が言うとおり、こちらの国は完全に能力重視の人事が行われているということだろう。そういえば今回は、あの波茜がこの場を取り仕切る役についているらしかった。
男女の注ぎてが皆の間を歩き、参列者の杯に酒を満たして回る。アルネリオではこうした正式なもてなしの場面ではよく訓練された侍従長やその配下の侍従たち、つまり男子がもてなすことが一般的だが、こちらではいずれでも行えるらしい。
波茜がてきぱきと客人に出す膳部の手配などをこなしている。さすがは滄海きっての才女、なにをやらせても卒がない。
ユーリはふと気になって、参列者たちにじっと目を凝らして探してみた。が、瑠璃の姿はどこにもなかった。
「あ、あの……。瑠璃殿は?」
「ああ。瑠璃は先日から別のセクションにある皇家の別邸に住まうことが決まってな」
「そうなのですか」
「うん。今日は疲れが出たとかで、早々に退出したらしい。……会いたかったか」
「あ……いえ。その……」
そう訊かれると返事に困る。あの方のことは正直いって苦手だし、相対すればまたどんなきつい目と言葉で責められないとも限らない。まるでナイフのごときあの方の視線に串刺しにされるだけで、ユーリの体と心からは目に見えない血が噴きだすようだ。できることならこのままどうにか穏便に時を過ごしたいのが本音だった。
しかし。
(あの御方と……このまま、というのはいかにもお気の毒な気がするし)
自分自身、どうしてそう思うのかはわからない。
あの方は、恐らくこの兄上を弟としてよりはずっと深い意味で、つまり真の意味で愛しておられたのではないか。
玻璃皇子がかのかたを何と言って納得させたのかは知らない。しかし、どんな風に説得なさったにせよ、あの方が傷ついていないわけはないと思った。
「まあ、案ずるな。あれも、もう小さな子供ではないのだから」
「え……?」
驚いて顔を上げると、ユーリの心を見通すような目がこちらを見ていた。
「必要なことは伝えておいた。……これ以上、わがまま不遜な真似をしてくれるな、とな。今後はもう、そなたに無体を為すことはなかろうよ」
「え、それは──」
それはそれで、瑠璃殿は非常に傷つかれたのではないのだろうか。そしてそれは、輪をかけて自分への恨みつらみへと変貌してしまったのでは……?
「さ、ユーリ殿。そなたも一献」
玻璃はそれ以上は言わなかった。代わりに無造作に瓶子を持ち上げて、ユーリに酒を勧めている。
その顔には、なんの含みもない笑みが浮かんでいるだけだった。
「あ、はい。いただきます……」
やむを得ず、ユーリも素直に杯を差し出した。
儀式の際に使われていたものもそうだったが、こちらでは米から作る酒が一般的であるようだ。とはいえ、ユーリのよく知る葡萄酒も作られているし、他にも麦からつくる酒もあるらしい。かつて陸地で愛されていた食物は、大抵こちらでも栽培されたり牧畜されたりして加工され、人々に愛好されている。
儀式で使用された酒は非常に甘みの強いものだったが、今飲んでいる酒は香りが豊かでやや辛みを帯びたものだった。
アルコールがどれほど含まれているのかは知らないが、さほど飲んでいないうちに酔いが回ってくるところを見ると、比較的度数が高いようだ。
片膝をくずして杯をくいとあおる玻璃の姿が、非常にさまになっている。
「こちらの酒はお口に合うか」
「あ……はい。とても香りがいいですね。美味しいです。故郷のものとはまた違いますが」
「左様だろうな。お望みならば、葡萄酒もお出しできるぞ。こちらの葡萄酒もなかなか質がよい。試してみられるか? 何でもお好みのものを女官に言ってくれればよい」
「ありがとうございます。今は大丈夫です」
最初は品のよかった大広間だったが、数刻もすると場には次第に酒気が回ってきた。その頃合いを見計らったように、玻璃は手にしていた杯を置いてユーリを見た。
「さ。参ろうか」
「え?」
このままここにいるのではないのだろうか、と戸惑って見上げると、玻璃はにっこりと微笑んだ。
「俺たちは、冒頭のみ参加すればよいのよ。なにしろこの宴、七日七晩続くのだからな」
「ええっ?」
「つきあいきれぬし、つきあう必要もないことだ。むしろこれは、我らのための七日間なのだから」
「え、それは──」
なんだろう、その意味深な言葉。
ぼんやりしていたら、玻璃はさっさとユーリの手を取って立ち上がらせた。侍従が皆に二人の退室を宣言すると、ざわめいていた臣たちがまたふっと静かになった。
平伏する皆をそのままにして、玻璃はユーリを連れて部屋の外へと退いた。
皇族専用の広間の入り口に至ると、すでに臣下や皇室に連なる方々が居並んで、玻璃とユーリの到着を待ちわびていた。御座の奥から御簾ごしに見ただけでも、ざっと百名ぐらいはいそうだった。
ユーリと玻璃はもっとも上座にあたる高御座で、その前に御簾を一番下までおろした形で臨む。御簾は細い植物の茎を横に連なるようにつなぎ合わせて布状にしたカーテンのようなものだ。茎と茎の間に微妙な隙間が空いているので、うっすらとあちらが見える。
侍従長が皆に先触れをすると、ざわついていた人々が一気にしんと静まり返った。しわぶきひとつ聞こえない中、二人が定められた座につくと、形式どおりもっとも位の高いらしい大臣が進み出て、婚儀を寿ぐ言葉を奏上した。
玻璃が鷹揚にそれに応えて、みなが衣擦れの音をたてつつ平伏する。
時おりぴちゅぴちゅと幽く聞こえてくるのは、可憐な小鳥の声のみである。
厳粛なその時間が終了すると、すぐに祝宴が始まった。
御簾の内側は意図的にやや薄暗くされており、こちらから外は良く見えるが、あちら側から中はよく見えなくなっているらしかった。だから中でユーリが玻璃と何かしたとしても、あちらの視線は気にせずにすむ。
居並ぶ臣下たちには、男女の区別はあまりない。玻璃が言うとおり、こちらの国は完全に能力重視の人事が行われているということだろう。そういえば今回は、あの波茜がこの場を取り仕切る役についているらしかった。
男女の注ぎてが皆の間を歩き、参列者の杯に酒を満たして回る。アルネリオではこうした正式なもてなしの場面ではよく訓練された侍従長やその配下の侍従たち、つまり男子がもてなすことが一般的だが、こちらではいずれでも行えるらしい。
波茜がてきぱきと客人に出す膳部の手配などをこなしている。さすがは滄海きっての才女、なにをやらせても卒がない。
ユーリはふと気になって、参列者たちにじっと目を凝らして探してみた。が、瑠璃の姿はどこにもなかった。
「あ、あの……。瑠璃殿は?」
「ああ。瑠璃は先日から別のセクションにある皇家の別邸に住まうことが決まってな」
「そうなのですか」
「うん。今日は疲れが出たとかで、早々に退出したらしい。……会いたかったか」
「あ……いえ。その……」
そう訊かれると返事に困る。あの方のことは正直いって苦手だし、相対すればまたどんなきつい目と言葉で責められないとも限らない。まるでナイフのごときあの方の視線に串刺しにされるだけで、ユーリの体と心からは目に見えない血が噴きだすようだ。できることならこのままどうにか穏便に時を過ごしたいのが本音だった。
しかし。
(あの御方と……このまま、というのはいかにもお気の毒な気がするし)
自分自身、どうしてそう思うのかはわからない。
あの方は、恐らくこの兄上を弟としてよりはずっと深い意味で、つまり真の意味で愛しておられたのではないか。
玻璃皇子がかのかたを何と言って納得させたのかは知らない。しかし、どんな風に説得なさったにせよ、あの方が傷ついていないわけはないと思った。
「まあ、案ずるな。あれも、もう小さな子供ではないのだから」
「え……?」
驚いて顔を上げると、ユーリの心を見通すような目がこちらを見ていた。
「必要なことは伝えておいた。……これ以上、わがまま不遜な真似をしてくれるな、とな。今後はもう、そなたに無体を為すことはなかろうよ」
「え、それは──」
それはそれで、瑠璃殿は非常に傷つかれたのではないのだろうか。そしてそれは、輪をかけて自分への恨みつらみへと変貌してしまったのでは……?
「さ、ユーリ殿。そなたも一献」
玻璃はそれ以上は言わなかった。代わりに無造作に瓶子を持ち上げて、ユーリに酒を勧めている。
その顔には、なんの含みもない笑みが浮かんでいるだけだった。
「あ、はい。いただきます……」
やむを得ず、ユーリも素直に杯を差し出した。
儀式の際に使われていたものもそうだったが、こちらでは米から作る酒が一般的であるようだ。とはいえ、ユーリのよく知る葡萄酒も作られているし、他にも麦からつくる酒もあるらしい。かつて陸地で愛されていた食物は、大抵こちらでも栽培されたり牧畜されたりして加工され、人々に愛好されている。
儀式で使用された酒は非常に甘みの強いものだったが、今飲んでいる酒は香りが豊かでやや辛みを帯びたものだった。
アルコールがどれほど含まれているのかは知らないが、さほど飲んでいないうちに酔いが回ってくるところを見ると、比較的度数が高いようだ。
片膝をくずして杯をくいとあおる玻璃の姿が、非常にさまになっている。
「こちらの酒はお口に合うか」
「あ……はい。とても香りがいいですね。美味しいです。故郷のものとはまた違いますが」
「左様だろうな。お望みならば、葡萄酒もお出しできるぞ。こちらの葡萄酒もなかなか質がよい。試してみられるか? 何でもお好みのものを女官に言ってくれればよい」
「ありがとうございます。今は大丈夫です」
最初は品のよかった大広間だったが、数刻もすると場には次第に酒気が回ってきた。その頃合いを見計らったように、玻璃は手にしていた杯を置いてユーリを見た。
「さ。参ろうか」
「え?」
このままここにいるのではないのだろうか、と戸惑って見上げると、玻璃はにっこりと微笑んだ。
「俺たちは、冒頭のみ参加すればよいのよ。なにしろこの宴、七日七晩続くのだからな」
「ええっ?」
「つきあいきれぬし、つきあう必要もないことだ。むしろこれは、我らのための七日間なのだから」
「え、それは──」
なんだろう、その意味深な言葉。
ぼんやりしていたら、玻璃はさっさとユーリの手を取って立ち上がらせた。侍従が皆に二人の退室を宣言すると、ざわめいていた臣たちがまたふっと静かになった。
平伏する皆をそのままにして、玻璃はユーリを連れて部屋の外へと退いた。
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