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第八章 過去と未来と
7 婚礼の儀
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居並ぶ臣下たちの列が分かれ、大広間の中央にまっすぐにできた人々による道の向こうで大扉が開く。
雛壇の上には皇帝エラストと兄ふたり。みな第一級の正装姿だ。そのすぐ下に立ったユーリは、扉の向こうから現れた人を凝視していた。
(玻璃どの……!)
ユーリは思わず駆け出しそうになる自分の足を、必死で叱咤しなくてはならなかった。
袖や裾の広がった優雅な滄海の正装に身を包んだ玻璃は、いつにもまして勇壮で美しかった。一見派手には見えないが、非常に手の込んだ織り地に細やかな刺繍のほどこされた衣装。以前親善使節になったユーリを迎えに来たときよりも、一段と格式の高い装束であるのは一目瞭然だった。
豊かな長い銀の髪は、後ろでまとめられている。そこに見慣れない形の黒い帽子をかぶっていた。広くひいでた形のよい額が、さらに男ぶりを上げている。
玻璃は背後に従者の一団をひきつれて、落ち着いた足取りで歩いてくる。従者には男もいれば女もいたが、それぞれにあちらの慣習である婚礼の貢物を携え、目の高さに捧げ持っていた。目には見えないが、そのほかにも黒鳶に代表されるような「シノビ」たちが姿を隠して、彼を幾重にも護っているに違いない。
玻璃はまっすぐにユーリを見つめて、鷹揚な微笑みを浮かべている。
居並ぶ臣下たちは、食い入るようにしてこの海底皇国の皇太子の晴れやかな姿を見つめていた。じっと耳をそばだてると、ひそひそと彼について何かを評するような囁きが低く聞こえてきたが、彼らは何より、玻璃の押し出しに気圧されている様子だった。間違っても小馬鹿にしたような声は聞かれないようである。もちろんそれは、玻璃のこれまでの十分な根回しによるところも大きかっただろうけれども。
玻璃が雛壇から十メートルばかり離れた場所で足を止めると、父がユーリの手を取って、ちょうど花嫁を連れて行くようにして雛壇を下りはじめた。兄たちと従者が数名、その後ろに続く。
胸の鼓動がおさまらない。
白手袋ごしに感じる父の手は温かかった。しっかりとユーリの手を握り、やや下から温かな視線でこちらを見てくれている。ユーリはそれに頷き返し、再び前を見て歩き出した。
どんどん玻璃が近づいてくる。
それに伴って、ユーリの胸の音もどんどん激しくなった。
(玻璃どの……!)
彼の少し手前で父は足を止め、互いに礼を交わす。
父がゆっくりとユーリの手を引き、それを玻璃の手へと受け渡した。
大きな玻璃の手がユーリの手をしっかりと握ってくれる。
「ハリ殿。どうか我が息子を、よろしくお願い申し上げまするぞ」
「確かに承りました。陛下の大切なご子息は、必ずお守り申し上げ、お幸せにさせていただきまする。たとえ、この命に替えましても」
父が満足げに頷き返すと、玻璃はにっこりと笑い返し、その笑みのまま隣に立つユーリを見つめた。その途端、急に鼻の奥がつんとした。
玻璃の笑みがさらに優しく深くなり、手を握る力が強くなった。
「さあさあ、ユーリ殿。まだ、お泣きになるには早うございますぞ。式はまだまだ、本国にても続きますゆえ」
「えっ? あ……いえ。ご、ごめんなさい……」
ユーリは慌てて自分の目元をぬぐった。
「お謝りになることはないが」
そう言って、玻璃はユーリの耳に口を寄せた。
「今からあまり、俺を煽ってくださいますな。先は長うございますゆえ」
「あっ……あお?」
びっくりして見返したら、玻璃はふはは、と明るく笑った。
◆
アルネリオでの婚礼パレードは、帝都クラスグレーブの大通りをぐるりと周回して行われた。
アルネリオ式に四頭立ての豪奢な馬車に乗った玻璃とユーリは、ゆっくりと周囲の人々に手を振りながら街を回った。
沿道には多くの人々が詰めかけて、異国の皇太子と第三王子の婚礼を大喜びで、また物珍しげに見守った。沿道は大賑わいで、集まった群衆をあてこんだ出店やら踊り子の群れやらが大騒ぎをやっている。道の脇には槍を立てた衛兵たちがずらりと立ち並び、群衆に目を光らせていた。
あちらこちらで王宮お抱えの吹奏楽団が明るく朗らかな楽曲を奏でてくれている。馬車が目の前を通った群衆は、それをかき消さんばかりにして叫び声をあげ、両手を振り回していた。
「おめでとうございます、ユーリ殿下!」
「ご結婚、おめでとうございます!」
「ユーリ殿下、ばんざあい!」
聞こえてくるそうした祝賀の声に混ざって、いくつか「ありがとうございました、ユーリ殿下!」といった涙声もあるようだ。あれはきっと、先日の活動で滄海へ送られた親族でもいる者なのであろうと思われた。
「す、……すごいですね」
ユーリは先ほどから、完全に目を丸くしている。正直いって、こんなに人々から手放しで寿いでもらえるとは思ってもみなかったのだ。
「なにをおっしゃる」
隣の玻璃がまた、愉快げに声を立てて笑った。
「ロマン殿から聞いておられぬか? ここしばらくの一連のあれこれで、そなたの声望はこちらの国でも鰻上りなのだぞ」
「えっ。そうなのですか?」
完全に寝耳に水だった。
「そうだとも。身分の低い困窮した民たちに、ユーリ王子はお優しく手を差し伸べてくださった。小さな子供らの前ですら地面に膝をつき、優しく抱きしめてくださった。あの海底皇国の皇子に『どうかかれらをお救いください』と必死に願い出てくださった。今や民らの間では、そなたはすっかり、そういう心優しき慈愛の王子ということになっている。まあ、それは事実でもあるのだが」
「ええっ? で、でも。それはそもそも、玻璃どのが──」
それはユーリからお願いしたことではなくて、先に玻璃側から申し出てくださったことではないか。それがいつのまにかユーリの手柄のようになっているのだろうか。なんだか納得がいかない。
「わっ、私はなんにもしておりません。そんなのはいけません! 評価されるなら、まず玻璃どのでなくっては……!」
が、玻璃は笑っているだけで、それには取り合う気もないようだった。
「民らの噂は千里を走る。それはいずこも同じだな。そなたの評価が真実の姿に添い、ふさわしいものになることは、滄海にとっても大いに意味のあることだ。こちら側の臣下たちを黙らせるためにもだが、互いの国にとっても重要。これ以上のことはあるまい」
「で、でも……」
「つまらぬことに拘られるな」
玻璃がわずかにいたずらっぽい目になって、ずいと顔を近づけてきた。
「あんまりいつまでも四の五の言うと、この場で唇をお塞ぎするぞ? この可愛らしい、そなたの唇をな」
「ひえっ!? おっ、お戯れを──」
途端にかちんこちんに固まるユーリの背中を、玻璃は大笑いしてばしばし叩いた。
「なにが戯れなものか。そうでなくても久しぶりにお会いして、あれこれ我慢がきかなくなりつつあるというのに」
「ご、ご冗談を──」
ユーリが思わず咳き込みながら完全に赤面する。
玻璃はそれを、思う存分堪能する目で見つめていた。
雛壇の上には皇帝エラストと兄ふたり。みな第一級の正装姿だ。そのすぐ下に立ったユーリは、扉の向こうから現れた人を凝視していた。
(玻璃どの……!)
ユーリは思わず駆け出しそうになる自分の足を、必死で叱咤しなくてはならなかった。
袖や裾の広がった優雅な滄海の正装に身を包んだ玻璃は、いつにもまして勇壮で美しかった。一見派手には見えないが、非常に手の込んだ織り地に細やかな刺繍のほどこされた衣装。以前親善使節になったユーリを迎えに来たときよりも、一段と格式の高い装束であるのは一目瞭然だった。
豊かな長い銀の髪は、後ろでまとめられている。そこに見慣れない形の黒い帽子をかぶっていた。広くひいでた形のよい額が、さらに男ぶりを上げている。
玻璃は背後に従者の一団をひきつれて、落ち着いた足取りで歩いてくる。従者には男もいれば女もいたが、それぞれにあちらの慣習である婚礼の貢物を携え、目の高さに捧げ持っていた。目には見えないが、そのほかにも黒鳶に代表されるような「シノビ」たちが姿を隠して、彼を幾重にも護っているに違いない。
玻璃はまっすぐにユーリを見つめて、鷹揚な微笑みを浮かべている。
居並ぶ臣下たちは、食い入るようにしてこの海底皇国の皇太子の晴れやかな姿を見つめていた。じっと耳をそばだてると、ひそひそと彼について何かを評するような囁きが低く聞こえてきたが、彼らは何より、玻璃の押し出しに気圧されている様子だった。間違っても小馬鹿にしたような声は聞かれないようである。もちろんそれは、玻璃のこれまでの十分な根回しによるところも大きかっただろうけれども。
玻璃が雛壇から十メートルばかり離れた場所で足を止めると、父がユーリの手を取って、ちょうど花嫁を連れて行くようにして雛壇を下りはじめた。兄たちと従者が数名、その後ろに続く。
胸の鼓動がおさまらない。
白手袋ごしに感じる父の手は温かかった。しっかりとユーリの手を握り、やや下から温かな視線でこちらを見てくれている。ユーリはそれに頷き返し、再び前を見て歩き出した。
どんどん玻璃が近づいてくる。
それに伴って、ユーリの胸の音もどんどん激しくなった。
(玻璃どの……!)
彼の少し手前で父は足を止め、互いに礼を交わす。
父がゆっくりとユーリの手を引き、それを玻璃の手へと受け渡した。
大きな玻璃の手がユーリの手をしっかりと握ってくれる。
「ハリ殿。どうか我が息子を、よろしくお願い申し上げまするぞ」
「確かに承りました。陛下の大切なご子息は、必ずお守り申し上げ、お幸せにさせていただきまする。たとえ、この命に替えましても」
父が満足げに頷き返すと、玻璃はにっこりと笑い返し、その笑みのまま隣に立つユーリを見つめた。その途端、急に鼻の奥がつんとした。
玻璃の笑みがさらに優しく深くなり、手を握る力が強くなった。
「さあさあ、ユーリ殿。まだ、お泣きになるには早うございますぞ。式はまだまだ、本国にても続きますゆえ」
「えっ? あ……いえ。ご、ごめんなさい……」
ユーリは慌てて自分の目元をぬぐった。
「お謝りになることはないが」
そう言って、玻璃はユーリの耳に口を寄せた。
「今からあまり、俺を煽ってくださいますな。先は長うございますゆえ」
「あっ……あお?」
びっくりして見返したら、玻璃はふはは、と明るく笑った。
◆
アルネリオでの婚礼パレードは、帝都クラスグレーブの大通りをぐるりと周回して行われた。
アルネリオ式に四頭立ての豪奢な馬車に乗った玻璃とユーリは、ゆっくりと周囲の人々に手を振りながら街を回った。
沿道には多くの人々が詰めかけて、異国の皇太子と第三王子の婚礼を大喜びで、また物珍しげに見守った。沿道は大賑わいで、集まった群衆をあてこんだ出店やら踊り子の群れやらが大騒ぎをやっている。道の脇には槍を立てた衛兵たちがずらりと立ち並び、群衆に目を光らせていた。
あちらこちらで王宮お抱えの吹奏楽団が明るく朗らかな楽曲を奏でてくれている。馬車が目の前を通った群衆は、それをかき消さんばかりにして叫び声をあげ、両手を振り回していた。
「おめでとうございます、ユーリ殿下!」
「ご結婚、おめでとうございます!」
「ユーリ殿下、ばんざあい!」
聞こえてくるそうした祝賀の声に混ざって、いくつか「ありがとうございました、ユーリ殿下!」といった涙声もあるようだ。あれはきっと、先日の活動で滄海へ送られた親族でもいる者なのであろうと思われた。
「す、……すごいですね」
ユーリは先ほどから、完全に目を丸くしている。正直いって、こんなに人々から手放しで寿いでもらえるとは思ってもみなかったのだ。
「なにをおっしゃる」
隣の玻璃がまた、愉快げに声を立てて笑った。
「ロマン殿から聞いておられぬか? ここしばらくの一連のあれこれで、そなたの声望はこちらの国でも鰻上りなのだぞ」
「えっ。そうなのですか?」
完全に寝耳に水だった。
「そうだとも。身分の低い困窮した民たちに、ユーリ王子はお優しく手を差し伸べてくださった。小さな子供らの前ですら地面に膝をつき、優しく抱きしめてくださった。あの海底皇国の皇子に『どうかかれらをお救いください』と必死に願い出てくださった。今や民らの間では、そなたはすっかり、そういう心優しき慈愛の王子ということになっている。まあ、それは事実でもあるのだが」
「ええっ? で、でも。それはそもそも、玻璃どのが──」
それはユーリからお願いしたことではなくて、先に玻璃側から申し出てくださったことではないか。それがいつのまにかユーリの手柄のようになっているのだろうか。なんだか納得がいかない。
「わっ、私はなんにもしておりません。そんなのはいけません! 評価されるなら、まず玻璃どのでなくっては……!」
が、玻璃は笑っているだけで、それには取り合う気もないようだった。
「民らの噂は千里を走る。それはいずこも同じだな。そなたの評価が真実の姿に添い、ふさわしいものになることは、滄海にとっても大いに意味のあることだ。こちら側の臣下たちを黙らせるためにもだが、互いの国にとっても重要。これ以上のことはあるまい」
「で、でも……」
「つまらぬことに拘られるな」
玻璃がわずかにいたずらっぽい目になって、ずいと顔を近づけてきた。
「あんまりいつまでも四の五の言うと、この場で唇をお塞ぎするぞ? この可愛らしい、そなたの唇をな」
「ひえっ!? おっ、お戯れを──」
途端にかちんこちんに固まるユーリの背中を、玻璃は大笑いしてばしばし叩いた。
「なにが戯れなものか。そうでなくても久しぶりにお会いして、あれこれ我慢がきかなくなりつつあるというのに」
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