ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第七章 変わりゆく帝国

9 盲目の少女

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「それにしても、思った以上に地方はひどい状況にございましたね」

 いつもどおりに香り高い紅茶を淹れながらロマンが言う。
 帝国アルネリオの上空を、素晴らしい速度で飛んでいる飛行艇の中である。

「うん。結構な人数の子供たちが、ワダツミ行きに応じてくれて本当に良かったよ。そうは言っても、まだまだ問題は山積みだけれどね」
「子供らも、全員がワダツミ行きに応じたわけではありませんしね。親がどうしても嫌がった家もありましたし。まあ、無理もないことではございますが」
「ん……。そうだね」

 結局あのあと、あの盲目の妹をつれた少年は滄海わだつみへ行くことをうけがってくれた。
 兄妹の両親は、いきなり訪ねてきた帝国の第三王子を見て腰をぬかさんばかりだったが、ユーリが真摯に温かく説得したことで、少しずつ心を開いてくれたのである。
 事前に黒鳶やロマンが調べていたのだが、彼ら家族も相当に地主に搾取され続けていた。過去何代にもわたって借金があるというのが少年から聞いた話だったが、実はそれはアルネリオの法律で考えても、ありえないほどの利率による貸し付けだったのだ。もはや暴利といってもよかった。

 優秀なロマンが記録からざっと計算してみたところ、かれら家族はもう何代も前に借金を返し終えており、むしろ大いに払い過ぎで、相当ながくるほどだったのだ。
 かれらは地主から土地を借りてそこを耕して暮らしていた。だが、実はそれら「お釣り」を合算すれば、その土地を買い取り、耕作に必要な牛馬や驢馬ろばや便利な農機具さえ買い入れることができていたはずだった。
 要するに、地主はその土地を管轄している大貴族の官吏と結託し、読み書きのできない民たちをうまい具合に欺いて余剰の利益を懐に入れ、存分に甘い汁を吸っていたのである。
 自分の領地内のことにさほど興味を持たない怠惰な貴族たちも多かったが、あのトリフォノフのようにすべてを分かっていて、自分自身も一枚噛んでいるという者も何人も存在していた。

「まこと、腐敗の極みにございましたね。ただの酷吏こくりと言うにもひどすぎます。奴らはもはや、この国の寄生虫です!」
 やや荒く鼻を鳴らして、ロマンが眉間に皺をたてつつ、ユーリの前に茶器を置く。
「本当にな。……だが、我々にも責任はある。我らはこれまで、あまりに多くのことを見過ごしすぎてきたようだ。『大きな国になればなるほど、細かいところに目が届きにくくなる』とは、玻璃殿がおっしゃっていたことだが……本当だったな。反省せねば」
「いいえ。みな、感謝していると思います! とくに、ユーリ殿下には」
「いや、私なんかより、そなたたちの手柄だろう。ロマンと黒鳶には、今回はまことに世話になったよ。本当にどうもありがとう」
 ぺこりと頭を下げたら、いつものようにロマンが慌てた。
「い、いえ! そのような。おやめください!」
「今回は、ロマンにあんな怖い思いまでさせてしまった。黒鳶たちがいなかったら、今頃どうなっていたことか。そう思うとぞっとする。本当に、黒鳶たちには感謝するよ」
 改めて黒鳶にも頭をさげたら、彼はさっと床に片膝をついた。
「いえ。すべては玻璃殿下のおぼし召しにございますゆえ」
 例によって端的に答え、こうべを垂れる。

「さあ。そろそろ帝都にございますよ」

 なるべく窓外を見ないようにしながら、ロマンが言う。本人は決して「そうだ」とは言わないのだが、高所を恐れるこの少年のため、ユーリが使う飛行艇は基本的に壁を透明にしないまま飛ぶことになっている。
 ちなみに、少年は黒鳶に教わって、様々な計器の扱い方や読み方をすっかり覚えてしまっている。あと少しで帝都クラスグレーブに到着するのだろう。なにしろ非常な速度で飛ぶ乗り物なので、国の端から端まで飛んでもほんの数刻で済んでしまう。だからこそ、今回のこの作戦も恐ろしく迅速にできたわけだ。

 父からの書状を受け取ってから、各貴族たちがこれまでの記録そのほかを隠滅する暇を与えないこと。これこそがこの計画の肝だった。基本的に、ユーリたちは先に現地に向かっておき、困窮している病人や障害のある人たちの地域を回っておいて、それから貴族の邸を訪問するという流れだった。
 それもこれも、やはり黒鳶をはじめとする優秀な「シノビ」たちも多数使うことを許されていたからこそ、成功したのだと言える。
 要するに、すべては玻璃のおかげだった。

 ユーリのそばに少しだけ開かれた窓の外に、クラスグレーブの姿が迫ってきている。
 もうすぐこの計画もひと段落する。
 そうしたら、いよいよ玻璃が正式に帝国アルネリオに訪問することになるはずだった。

(玻璃どの……)

 彼と別れて、はや数か月が過ぎている。
 久しぶりに彼に会えるのだ。あの素敵な紫水晶アミェチーストの瞳に見つめてもらえるのだ。
 そう考えるだけでユーリの胸は、ふわふわと軽やかに天へと舞い上がりそうになるのだった。

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