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第五章 滄海の過去
7 山水の邸
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連れていかれたのは、もとの滞在先ではなかった。
こちらの皇族たちが死者を悼むときによく使うという、広々とした別邸である。見た目はあの皇居の建物とよく似ていた。平屋建てで、流れる濃紺の甍が美しいつくりだ。
「古めかしく見えるのは外観だけだ。人は最小限しかおらぬが、中はAIによる完全制御になっている。急に訪れても問題はない」
玻璃がにこにこしながら説明してくれた。車の中でこそ下ろしてくれたが、それ以外はずっとユーリを腕に抱いたままだ。玻璃ほどの体格でないとは言え、ユーリだって一人前の大人の男である。重くないはずがない。
何度も「もう大丈夫です、おろしてください」とお願いしているのに、この皇太子ときたら、ちっとも聞いてくれないのだ。
ユーリたちの王宮とは違い、ここでは基本的に履物を脱ぐのであるらしい。
抱かれた状態のままのユーリの足から、ロマンが「失礼いたします」と手際よく長靴を抜き去ると、玻璃は悠然と邸に入った。
邸はいくつかの棟に分かれており、それらを典雅なつくりの渡り廊下のようなもの──のちに、玻璃が「渡殿」というのだと教えてくれた──でつながれている。それぞれの棟は回廊で囲まれ、みごとな設えの庭に面していた。
アルネリオのそれとは違い、庭にはそれぞれに思想的な、また哲学的な意味があるのだという。
だが、それがわからなくとも十分に美しかった。山水を模した岩や曲水、そこに遊ぶ魚たち。周囲を囲む木々の静かな佇まいは、不思議と見る人をほっとさせる。
やがて玻璃は、とある部屋の前で立ち止まった。
背後の二人に「ここでよいぞ」と笑いかける。
黒鳶は短く「は」と頭を垂れて引きさがった。ロマンも彼に促されて心配そうに何度もユーリを振り返りながら退いていった。
引き戸を開くと、そこは寝室であるようだった。
いかにも滄海式な調度に囲まれて、中央に大きな寝台がひとつある。天蓋のついた寝台は、アルネリオのものにも似ているような気がした。
「滄海式のものだけだと、どうにも寝床が硬いのでな。以前、俺の指図で少し仕様を変更している」
「そうなのですか」
聞けば、もとは「御帳台」と呼ばれた貴人の寝床にあたるものが据えられていたのだそうだ。今はそれに少し手を加え、いわゆるベッドとさほど変わらない状態にしてあるらしい。
玻璃はそこにユーリを下ろして座らせると、自分も隣に腰をおろした。
大きな手がすっと頬に触れてきて、思わずユーリはびくりと身を竦める。
「……怖いか」
「あ、いいえ……。ただ、その」
「なんだ」
「ええっと……。緊張、しています」
「……そうか」
その玻璃の吐息が頬にかかる。彼はもう、ユーリの耳のあたりに口づけを始めている。
「い、一応、女性と床を共にしたことはあるのですが。『こちら側』というのは、はじめてですので……なんというか」
「俺も、男を抱くのは初めてだ」
「え、そうなのですか」
「だが、ご安心召されよ。事前に──」
「あ!《すぴーど》なんとかいうあれですか」
「ふふ。そうそう」
耳元で玻璃がくすくす笑うので、ひどくくすぐったい。
要するに、玻璃は男同士のあれこれも、とっくに学習済みということらしい。だから安心して何もかも任せればよいのだと言っているわけだ。
「それにしても。アルネリオのお衣装というのは複雑だ。どうも勝手がわからんな」
ユーリの詰襟あたりにふれながら、玻璃が苦笑している。そこをくつろげようとするのに、外し方が分からないらしい。しかも彼の手はかなり大きい。太い指先では、うまく外せないでいるようである。
「あ、お待ちを」
ユーリは慌てて、自分で襟元を寛げた。
そうしながらも、次々に玻璃のくちづけは降ってくる。額に、頬に、耳に、顎に。
くつろげられた首筋にもおりてきて、背中にぞくりと電撃が走った。
「あっ……!」
「なかなか、敏感でいらっしゃるな」
玻璃は笑って、今度は自分の衣服に手を掛けた。
上着を滑り落とし、帯を緩めるだけで、見事な浅黒い胸筋が露わになる。長い銀色の髪が波のようにその顔を彩って、まさに海の王たる風情を醸し出す。
英雄の彫像のようなそれを、ユーリはつい、うっとりと見つめてしまった。
あの時、あの岩礁の上で初めて会ったときそのままの玻璃。
(ああ……きれいだ)
この人は、美しい。
そしてまた、なんという男としての色気だろうか。
今から自分がこの人に抱かれるなんて、なんだか信じられないことのような気がした。こんな貧弱な自分が、まして男子だというのに。こんな方にそんなことをしてもらってもいいのだろうかと、もやもやとまたあの疑問が頭をもたげる。
と、両手で顔を挟まれた。
「ユーリ殿」
「……はい」
「もう、余計なことはお考えになるな。……いや、俺がもう考えさせぬ」
「玻璃、どの……」
一瞬くしゃっと顔を歪めて見上げたら、そこから一気に抱き寄せられ、深く唇を奪われた。
こちらの皇族たちが死者を悼むときによく使うという、広々とした別邸である。見た目はあの皇居の建物とよく似ていた。平屋建てで、流れる濃紺の甍が美しいつくりだ。
「古めかしく見えるのは外観だけだ。人は最小限しかおらぬが、中はAIによる完全制御になっている。急に訪れても問題はない」
玻璃がにこにこしながら説明してくれた。車の中でこそ下ろしてくれたが、それ以外はずっとユーリを腕に抱いたままだ。玻璃ほどの体格でないとは言え、ユーリだって一人前の大人の男である。重くないはずがない。
何度も「もう大丈夫です、おろしてください」とお願いしているのに、この皇太子ときたら、ちっとも聞いてくれないのだ。
ユーリたちの王宮とは違い、ここでは基本的に履物を脱ぐのであるらしい。
抱かれた状態のままのユーリの足から、ロマンが「失礼いたします」と手際よく長靴を抜き去ると、玻璃は悠然と邸に入った。
邸はいくつかの棟に分かれており、それらを典雅なつくりの渡り廊下のようなもの──のちに、玻璃が「渡殿」というのだと教えてくれた──でつながれている。それぞれの棟は回廊で囲まれ、みごとな設えの庭に面していた。
アルネリオのそれとは違い、庭にはそれぞれに思想的な、また哲学的な意味があるのだという。
だが、それがわからなくとも十分に美しかった。山水を模した岩や曲水、そこに遊ぶ魚たち。周囲を囲む木々の静かな佇まいは、不思議と見る人をほっとさせる。
やがて玻璃は、とある部屋の前で立ち止まった。
背後の二人に「ここでよいぞ」と笑いかける。
黒鳶は短く「は」と頭を垂れて引きさがった。ロマンも彼に促されて心配そうに何度もユーリを振り返りながら退いていった。
引き戸を開くと、そこは寝室であるようだった。
いかにも滄海式な調度に囲まれて、中央に大きな寝台がひとつある。天蓋のついた寝台は、アルネリオのものにも似ているような気がした。
「滄海式のものだけだと、どうにも寝床が硬いのでな。以前、俺の指図で少し仕様を変更している」
「そうなのですか」
聞けば、もとは「御帳台」と呼ばれた貴人の寝床にあたるものが据えられていたのだそうだ。今はそれに少し手を加え、いわゆるベッドとさほど変わらない状態にしてあるらしい。
玻璃はそこにユーリを下ろして座らせると、自分も隣に腰をおろした。
大きな手がすっと頬に触れてきて、思わずユーリはびくりと身を竦める。
「……怖いか」
「あ、いいえ……。ただ、その」
「なんだ」
「ええっと……。緊張、しています」
「……そうか」
その玻璃の吐息が頬にかかる。彼はもう、ユーリの耳のあたりに口づけを始めている。
「い、一応、女性と床を共にしたことはあるのですが。『こちら側』というのは、はじめてですので……なんというか」
「俺も、男を抱くのは初めてだ」
「え、そうなのですか」
「だが、ご安心召されよ。事前に──」
「あ!《すぴーど》なんとかいうあれですか」
「ふふ。そうそう」
耳元で玻璃がくすくす笑うので、ひどくくすぐったい。
要するに、玻璃は男同士のあれこれも、とっくに学習済みということらしい。だから安心して何もかも任せればよいのだと言っているわけだ。
「それにしても。アルネリオのお衣装というのは複雑だ。どうも勝手がわからんな」
ユーリの詰襟あたりにふれながら、玻璃が苦笑している。そこをくつろげようとするのに、外し方が分からないらしい。しかも彼の手はかなり大きい。太い指先では、うまく外せないでいるようである。
「あ、お待ちを」
ユーリは慌てて、自分で襟元を寛げた。
そうしながらも、次々に玻璃のくちづけは降ってくる。額に、頬に、耳に、顎に。
くつろげられた首筋にもおりてきて、背中にぞくりと電撃が走った。
「あっ……!」
「なかなか、敏感でいらっしゃるな」
玻璃は笑って、今度は自分の衣服に手を掛けた。
上着を滑り落とし、帯を緩めるだけで、見事な浅黒い胸筋が露わになる。長い銀色の髪が波のようにその顔を彩って、まさに海の王たる風情を醸し出す。
英雄の彫像のようなそれを、ユーリはつい、うっとりと見つめてしまった。
あの時、あの岩礁の上で初めて会ったときそのままの玻璃。
(ああ……きれいだ)
この人は、美しい。
そしてまた、なんという男としての色気だろうか。
今から自分がこの人に抱かれるなんて、なんだか信じられないことのような気がした。こんな貧弱な自分が、まして男子だというのに。こんな方にそんなことをしてもらってもいいのだろうかと、もやもやとまたあの疑問が頭をもたげる。
と、両手で顔を挟まれた。
「ユーリ殿」
「……はい」
「もう、余計なことはお考えになるな。……いや、俺がもう考えさせぬ」
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