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第五章 滄海の過去
5 ニライカナイ
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「今は、かつて一度だけ俺に添うてくれた人もそこにいる。胎にいた赤子とともに」
ユーリはハッとして顔を上げた。
息を呑み、整った玻璃の横顔を見つめる。
が、玻璃の瞳は静かだった。建物からの明かりに照らされた深海の闇を見つめて、じっと立ち尽くしているだけだ。
この人はいま、何を思っているのだろう。
「…………」
言うべき言葉をなにも見つけられないまま、ユーリも引き込まれるように海を見つめた。
玻璃は黒鳶が準備していたらしい甘やかな色目の小ぶりな花束を受け取ると、丁寧に石台の上に置いた。そのまま静かに胸の前で両手をあわせ、目を閉じている。
見れば、背後にいる黒鳶も目立たぬように気遣いながら同じことをしていた。
アルネリオでも、墓前には花をたむける。
死者を悼む場合の習俗は、こちらもあちらもさほど変わらないということか。
ユーリは玻璃に倣って胸の前で手を合わせた。背後ではきっと、ロマンも同じようにしているだろう。
ひとときの静寂のあと、玻璃は静かに目を開いてこちらを見た。
その目は優しく微笑んでいる。だがその奥に、確かに悲しみの光があることにユーリは気づいた。ずっとずっと、奥のほうに。彼が過去に負った傷と悲しみが、恐らくは永遠に息づいている。
「ユーリ殿。我が妻に、手を合わせてくださってありがとう。心より礼を言う」
「いえ……」
胸がしめつけられるような気になって、ユーリは思わず顔を歪めた。
無闇に泣きそうな気持になる。だが、そうしてはならないのだ。
この場でそれを許されるのは、この皇太子をおいてほかにない。
そしてこの方は、決して人前でそのようなことをなさらないのだろうと思った。
「あ、その……」
「うん? なんだ」
「お、奥方様の……お名前は」
玻璃がゆっくりと口もとの笑みを深くした。
「深縹という。赤子のほうは、名前どころか男子か女子かも定まらぬうちに虚しゅうなった。……いずれも、わが国に巣食う《血の病》のためであった」
「…………」
血の病。
つまり、この方の奥方もその病に冒されておられたということか。
血が濃くなりすぎてしまったゆえに、生まれつき身体が弱く、病気をもつ者が増えたという、海底皇国の人々。
「事前に十分に検査をして、俺とは相当血縁の遠い家から選ばれた女人だったが……。子を宿してから、ひどく具合が悪うなってな」
「そうでしたか……」
「自身のことより、赤子と俺のことばかりを心配しながら逝ってしまった。……そういう女だった」
「玻璃どの……」
必死で唇を噛んでいなければ、ついみっともない声が出てしまいそうだった。ユーリは渾身の力をこめて両の拳をにぎりしめている。
それでもどうしても、肩は小刻みに震えてしまっていた。
「予定よりずいぶん早くなってしまったが。そなたのことは、いずれ深縹に紹介せねばと思っていた。俺があれ以来、ようやく我が元に迎えようという気になった、唯一のお方をな」
「は、玻璃どの……」
ユーリは思わずたじろいだ。
そのような。なんと畏れ多いことか。
こんな非才凡夫の自分などをつかまえて、そんなに簡単に「唯一の」なんて、言ってしまっていいのだろうか。
そんな思いが目いっぱい顔に出ていたのだろう。玻璃はくすっと苦笑した。
「左様な顔をなさるな。心配ご無用。ユーリ殿下は素晴らしき王子であられる。あなたならばあの深縹も、きっと快く受け入れてくれよう。きっとこの婚儀を寿いでくれよう。そう思ったからこそ、俺はそなたを選んだのだ」
「玻璃どの……」
「『アルネリオの王子』であることも、『陸の人』であることも重要だ。どうでもよいとは決して言わぬ。だが、『さありさえすれば誰でもよい』は、まちがいなく無体な話。……そなたでなくば、駄目なのだ」
(……!)
ユーリは目を見開いた。
玻璃がさりげなく片手を上げると、黒鳶とロマンが音もたてずに下がっていった。静かなドームのなかで、玻璃とふたりきりになる。
自分たちを見ているのは、海に息づく者たちと、はるか彼方にいる死者たちだけだ。
「ユーリ殿」
玻璃はその場に片膝をついて跪き、そっとユーリの手をとった。
やっぱり温かな手だった。
じっと下から、金色を宿した紫水晶の瞳に見上げられる。
「あらためて申し上げる。……俺は、そなたを愛している」
「…………」
「そのお心映えのすばらしさを。そのお立場にありながら、決して思い上がらぬ謙虚なお心を。そして、下々を気遣える心優しさを。そのお振舞いをこそ、俺は愛する」
「玻璃、どの……」
ぐっと玻璃の手に力がこもった。
「どうか、我が願いを聞き入れてくれまいか。……俺の、伴侶になって欲しい」
「…………」
「胸の裡に、亡き妻、深縹とその子が在ることは否めない。目裏から、かれらが消ゆることはないであろう。恐らく、永遠に。だが、それも含めてすべてが俺だ。……それゆえ」
そこで一度、玻璃はふつりと言葉をきった。
じっと、食い入るようにユーリを見つめる。
「あなたがそれでもよいと、許してくださるとおっしゃるならば。……いかがだろうか」
「…………」
もう、なにも言えなかった。
ユーリの視界はあっというまに熱い雫で歪み、玻璃の顔すら見えなくなった。
玻璃の手に、ぼたぼたと熱い雨が降るのを、ユーリは呆然と見つめていた。
ユーリはハッとして顔を上げた。
息を呑み、整った玻璃の横顔を見つめる。
が、玻璃の瞳は静かだった。建物からの明かりに照らされた深海の闇を見つめて、じっと立ち尽くしているだけだ。
この人はいま、何を思っているのだろう。
「…………」
言うべき言葉をなにも見つけられないまま、ユーリも引き込まれるように海を見つめた。
玻璃は黒鳶が準備していたらしい甘やかな色目の小ぶりな花束を受け取ると、丁寧に石台の上に置いた。そのまま静かに胸の前で両手をあわせ、目を閉じている。
見れば、背後にいる黒鳶も目立たぬように気遣いながら同じことをしていた。
アルネリオでも、墓前には花をたむける。
死者を悼む場合の習俗は、こちらもあちらもさほど変わらないということか。
ユーリは玻璃に倣って胸の前で手を合わせた。背後ではきっと、ロマンも同じようにしているだろう。
ひとときの静寂のあと、玻璃は静かに目を開いてこちらを見た。
その目は優しく微笑んでいる。だがその奥に、確かに悲しみの光があることにユーリは気づいた。ずっとずっと、奥のほうに。彼が過去に負った傷と悲しみが、恐らくは永遠に息づいている。
「ユーリ殿。我が妻に、手を合わせてくださってありがとう。心より礼を言う」
「いえ……」
胸がしめつけられるような気になって、ユーリは思わず顔を歪めた。
無闇に泣きそうな気持になる。だが、そうしてはならないのだ。
この場でそれを許されるのは、この皇太子をおいてほかにない。
そしてこの方は、決して人前でそのようなことをなさらないのだろうと思った。
「あ、その……」
「うん? なんだ」
「お、奥方様の……お名前は」
玻璃がゆっくりと口もとの笑みを深くした。
「深縹という。赤子のほうは、名前どころか男子か女子かも定まらぬうちに虚しゅうなった。……いずれも、わが国に巣食う《血の病》のためであった」
「…………」
血の病。
つまり、この方の奥方もその病に冒されておられたということか。
血が濃くなりすぎてしまったゆえに、生まれつき身体が弱く、病気をもつ者が増えたという、海底皇国の人々。
「事前に十分に検査をして、俺とは相当血縁の遠い家から選ばれた女人だったが……。子を宿してから、ひどく具合が悪うなってな」
「そうでしたか……」
「自身のことより、赤子と俺のことばかりを心配しながら逝ってしまった。……そういう女だった」
「玻璃どの……」
必死で唇を噛んでいなければ、ついみっともない声が出てしまいそうだった。ユーリは渾身の力をこめて両の拳をにぎりしめている。
それでもどうしても、肩は小刻みに震えてしまっていた。
「予定よりずいぶん早くなってしまったが。そなたのことは、いずれ深縹に紹介せねばと思っていた。俺があれ以来、ようやく我が元に迎えようという気になった、唯一のお方をな」
「は、玻璃どの……」
ユーリは思わずたじろいだ。
そのような。なんと畏れ多いことか。
こんな非才凡夫の自分などをつかまえて、そんなに簡単に「唯一の」なんて、言ってしまっていいのだろうか。
そんな思いが目いっぱい顔に出ていたのだろう。玻璃はくすっと苦笑した。
「左様な顔をなさるな。心配ご無用。ユーリ殿下は素晴らしき王子であられる。あなたならばあの深縹も、きっと快く受け入れてくれよう。きっとこの婚儀を寿いでくれよう。そう思ったからこそ、俺はそなたを選んだのだ」
「玻璃どの……」
「『アルネリオの王子』であることも、『陸の人』であることも重要だ。どうでもよいとは決して言わぬ。だが、『さありさえすれば誰でもよい』は、まちがいなく無体な話。……そなたでなくば、駄目なのだ」
(……!)
ユーリは目を見開いた。
玻璃がさりげなく片手を上げると、黒鳶とロマンが音もたてずに下がっていった。静かなドームのなかで、玻璃とふたりきりになる。
自分たちを見ているのは、海に息づく者たちと、はるか彼方にいる死者たちだけだ。
「ユーリ殿」
玻璃はその場に片膝をついて跪き、そっとユーリの手をとった。
やっぱり温かな手だった。
じっと下から、金色を宿した紫水晶の瞳に見上げられる。
「あらためて申し上げる。……俺は、そなたを愛している」
「…………」
「そのお心映えのすばらしさを。そのお立場にありながら、決して思い上がらぬ謙虚なお心を。そして、下々を気遣える心優しさを。そのお振舞いをこそ、俺は愛する」
「玻璃、どの……」
ぐっと玻璃の手に力がこもった。
「どうか、我が願いを聞き入れてくれまいか。……俺の、伴侶になって欲しい」
「…………」
「胸の裡に、亡き妻、深縹とその子が在ることは否めない。目裏から、かれらが消ゆることはないであろう。恐らく、永遠に。だが、それも含めてすべてが俺だ。……それゆえ」
そこで一度、玻璃はふつりと言葉をきった。
じっと、食い入るようにユーリを見つめる。
「あなたがそれでもよいと、許してくださるとおっしゃるならば。……いかがだろうか」
「…………」
もう、なにも言えなかった。
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