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第四章 親善交流
6 滄海の秘密
しおりを挟むもといた滞在場所へ戻ってから、ユーリは玻璃を引き留め、自室に招待することにした。自分とロマンにあてがわれた部屋である。黒鳶とロマンは同席していたが、波茜は玻璃に目配せされると、静かに部屋を辞していった。
「なにか、訊ねたいことがおありかな」
いかにも察しのいい玻璃は、ロマンがまた淹れてくれた紅茶を愉しみながらそう訊いた。表情も声もごく寛いで、ゆったりとしたものだ。
「はい。実は先刻、お父君から直接のお声を賜りました」
「ああ。だろうな」
黙って聞いていたロマンの目が、そこでぱっと見開かれた。無理もない。彼にはユーリと群青のやりとりはいっさい聞こえていなかったはずだからだ。ロマンはそれでも何も言わず、心配そうにこちらを見つめている。
「お気づきだったのですか?」
「もちろんだ。父はずっと、そなたと直接話がしたいと申していたからな」
「そうだったのですか……」
「それはそうだろう。皇太子たる我が息子が、あの《天井》でいきなり見つけて命を救うことになり、そのまま執心してしまった曰くつきの男子だ。しかも蓋を開けてみれば、なんとアルネリオの王子ときている。こちらの老人連中にしてみれば、なにか裏があるやもと、疑心暗鬼になるのは無理もない話なのだからな」
「な、なるほど……」
言われてみれば確かにそうだ。
こちらはこちらで重臣たちが、海底皇国になにか密かな謀略でもあるのではあるまいかと様々に心配したものだった。玻璃の国とてそれは同じだったということらしい。
ユーリは紅茶をひと口飲みくだすと、言いにくそうに口を開いた。
「そ、そのう……。お訊きしにくいことなのですが」
「ああ。なんでも遠慮なく申してくれ」
「はい。ええっと……先ほど、お父君から言われたのです。『我が国の窮状を、我が子、玻璃と共に救ってほしい』と。あれはいったい、どういう意味だったのでしょう」
「ふむ。やはりその話だったか」
玻璃にとっては、十分予想の範疇だったらしい。眉ひとつ動かさず、もう一度紅茶を啜ってカップを皿に戻すと、男は少し威儀を正してこちらに向き直った。
「その前に、申し訳ないのだが。これは、わが国の大いなる秘密に関わる話だ。誰かれ構わず聞かせてよい話ではない。すでにほとんど退席して貰ってはいるが、もう少し人払いをお願いしても構わぬだろうか」
「え──」
今度はユーリとロマンが同時に声をあげた。
この場合、「去れ」と言われているのはロマン少年に決まっている。黒鳶は玻璃の腹心だ。この件についてはとっくに飲み込んでいるはずだから。
「いえ、あの……!」
ユーリは慌てた。
「ロマンなら大丈夫です。この者は歳こそ若いですが、歳には似合わぬしっかり者。決して、余計なことを口外するような短慮な少年ではありませぬ。そうだな? ロマン」
「はい! もちろんですとも」
ロマン自身も必死の形相だ。いや、今にも玻璃に噛みつかんばかりの顔と言うべきか。ユーリはハラハラして、思わずソファから腰を浮かしかけた。
「衷心よりお約束申し上げます。今ここでお聞きしたこと、このロマン、口が裂けても口外などいたしませぬ。それに、ここでユーリ殿下をお一人にするわけには参りませぬ。たとえ、わたくしの命に替えてもでございますっ!」
「……そうか。承知した」
玻璃はにこりと笑うと、「まあ落ち着け」と言わぬばかりにゆったりとソファに腰かけ直した。案外あっさりしたものだ。要は、ロマンの覚悟のほどを見たかっただけなのだろう。
「では、お話し申し上げよう。おふたりとも、心してお聞き願いたい」
そうして、玻璃の話が始まった。
以前聞いていたとおり、海底皇国は遥かな昔、陸地から海へと逃れ出た人々によって創られた国である。
当時、陸上での争いから逃れることができた人々は多くなかった。彼らを礎にして、今の皇国が形作られることになったのである。
そこまで言って、玻璃はふとこちらを見つめた。
「ユーリ殿は、お気づきだったか? さきほど、父のそばに妃の姿がないことに」
「えっ? あ、いいえ……。でも、そう言えば」
群青の近くには、近侍らしい者の姿は何人も見えたが、皇后にあたるらしい方のお姿はいっさいなかった。こうした公式の場には女性の皇族を出さないのがこちらの国のやりかたなのかも知れないと思って、特に気にも掛けなかったのだが。
玻璃はごくあっさりと言った。
「母は、随分昔に他界している。弟、瑠璃が生まれてすぐのことだった」
「……あ」
胸がずきりとして、ユーリは一瞬言葉を失った。
そうか。この方々のご母堂さまは、すでに儚くおなりなのか。
ユーリがお悔やみの言葉を申し上げようとするのを遮るように、玻璃はにこりと笑ってあとを続けた。
「実は、こうしたことはこの国では珍しくない。長く生きられる者は非常な長命になれるのだが、ひどく短命な者が増えている。それも凄まじい勢いで、身分の高低にも関わらずにな」
玻璃の紫水晶を思わせる瞳が、ふと遠くを見るものになった。
「子を産む年齢になれた母は、むしろまだ幸せだったと言えよう。実際、そこまで育つことも叶わずに命を虚しくする者らがあとを絶たぬ。年端もいかぬ子らの墓ばかりが増えてゆく。そちらのお国よりもはるかに優れた医療技術が存在するにも関わらず、な」
「…………」
ユーリは絶句して玻璃を見つめた。ロマンも体を固くして、やや青ざめた顔で玻璃を凝視している。
一体どういうことなのだろう。
これほど豊かで、優れた科学技術をもつ人々が。そんな風に、命の危険に怯えて日々を暮らしているなんて──。
ユーリの気持ちを察したように、玻璃はゆっくりとこちらを見た。
「理由は、至極簡単なのだ。血が、濃くなりすぎた。それだけのことよ」
「血が……? それはどういう──」
「皇族とて同じことだ。実は俺が生まれる前にも、父と母から生まれた何人もの皇子や皇女が亡くなっている」
「ええっ……」
「俺と瑠璃の間にも、本当は三名ばかりの弟妹があった。それらもいずれも、早くに命を虚しうしたのだ」
「な、なんてこと……」
それ以上は何も言えず、ユーリはうつむいて唇を噛んだ。膝の上の拳をかたく握りしめる。
「問題というのは、そのことよ」
玻璃は静かにそういうと、またひたとユーリの顔を見つめてきた。
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