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第四章 親善交流
1 ふたつの心
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空を飛ぶ不思議な乗り物から降りて来た人を見て、イラリオンの視線はとある一点にずっと釘づけになったままである。
弟ユーリがその乗り物に消え、空へ飛び立っていく間も、イラリオンの目はずっとその人の一挙手一投足に集中していた。
彼の視線の先にいるのは、地上ではまずお目にかかることのない、深い紺の髪をした青年だ。ゆらゆらと曲線を描く長い紺の髪をやや下のほうで細い紙のようなものでまとめている。白い肌、細い顎。
このあたりでは見かけない、豪華な錦の衣装をまとった腰のあたりも、女人と見紛うばかりに華奢に見える。
「……なにか」
どうかすると歩く人形のようにも見えたその人は、ざりざりと不快な音が聞こえそうな視線をこちらの顔にあてると、そう訊いた。
このきらきらと力のこもった瞳ばかりは、生きた人であることを盛大に主張している。ただその瞳は、強さを誇示すると同時にどこかに寂しさを漂わせている。さも、「あまりじろじろと見られるのは迷惑だ」と言わんばかりの顔だった。
「い、いえ。申し訳ない。どうぞこちらへ」
イラリオンは思わず口元を手で覆った。まさか、「あまりの美貌に目を奪われていた」などと正直に答えられるはずもない。
一歩ひいて行く先を示すと、青年はすぐに視線を戻してさっさと歩き始めた。もはやそこに、陸の第二王子の存在などないかのような態度である。彼がそばを歩きすぎたその瞬間、ふわりと心地よい香りが鼻腔をくすぐっていった。
イラリオンはくらりと眩暈を覚えた。王宮にいる様々な美女、美姫を見て来た自分だ。いや、見るだけではない。少なくとも父上のもの、兄上のものと定まっていない女で、ひとたび「欲しい」と思った女はすべて手に入れて来た自分である。少々のことではあてられたりしない自信があった。
……だが、どうやらこの皇子については例外になってしまうようだ。
まさか自分が女性ではなく、男性に対してこんな気持ちになる日が来ようとは。
側付きの武官が相手の皇子のあまりの態度に、「不敬な」とばかりに鼻白んだ気を発する。イラリオンはさりげなく背中側で武官を制し、敢えてにっこりと笑顔を作った。
◆
(なんなんだ、この男。さっきからにやにやと気持ちの悪い)
瑠璃は瑠璃で、この帝国アルネリオの第二王子に奇妙な感覚を覚えていた。
まあ、そういう目で自分を見てくる者がこれまで海底皇国にいなかったわけではない。別に自慢するつもりはないが、今に至るまで男女を問わず、初対面の人間でそういう顔になる者は山ほどいた。だから、別にそのこと自体には驚かない。
(だが、どういうつもりだ? この者、妻帯者なのであろうに)
そうなのだ。
事前の情報で、あのユーリ王子を送ってくる兄の第二王子は、すでに正式な妃もいれば多数の愛妾も囲っているという話だった。
要するに、女好きなのだ。だからといって、別に色にばかりうつつを抜かしているというわけでもない。学問は兄セルゲイに少々劣るものの、特に武術においては優れていると聞いていた。
「イラリオン殿下、とおっしゃいましたね」
「ああ、ええ」
まだ半分阿呆のような顔をして、第二王子がぼんやりと頷いた。
「あらためまして、滄海第二皇子の瑠璃と申します。滞在期間、まあごく短い間とは思いますが、よろしくお願いいたします」
「ああ、いえ! こちらこそ」
途端、にこっと笑った顔は、至って屈託のないものだ。
どうやらかなり明るい性格であるらしい。あの玻璃兄ほどではないが、その軍装の下にはよく鍛えられた分厚い胸があるようだった。
「高貴なルリ殿下にとっては、さぞやむさくるしい場所かもしれませぬが。誠心誠意、おもてなしをさせて頂きますぞ。なにか不足の点などがあれば、ご遠慮なく側の者にお申し付けくださいませ」
「恐れ入ります」
出してみたら、自分でも思っていた以上に冷たい声だった。が、瑠璃はそのまま意にも介さずに足を進めた。
小高い山での使節交換となったため、ここから山道をしばらく下りなければならないらしい。
「どうか、足もとにお気をつけを。海底では、こんな山道はお歩きにはなりませぬでしょう。足首でも痛められては一大事。さあ、よろしかったらお手をこちらに」
イラリオンが、やっぱり上機嫌で手を差し出してくる。
「大丈夫です。どうかお気遣いなく」
先ほど以上に温度の低い声が出た。もはや声そのものが氷の棘だ。イラリオンが、思わず出した手をぴたりと止めてしまった。
「おい……!」
とうとう我慢できなくなったのか、イラリオンの配下らしい兵士がひとり、詰るような声を上げてこちらに向かってこようとした。はっとした瑠璃の従者たちが、皇子をまもろうとその前に立ちふさがる。
「やめんか!」
イラリオンがサッと手を上げてそれを制した。
見ればすさまじい眼光で自分側の兵士を睨みつけていた。
「無礼だぞ、貴様。命が要らぬか? こちらは海底皇国からの親善大使どのだ。あちらのお国の大切な第二皇子であらせられるのだぞ。我ら王族に対するのと一分たりとも変わらぬよう、心してお仕えせぬかっ!」
「……は、ははっ」
王子の思わぬ恫喝にあい、兵士は慌てて顔を伏せると、すっと退いた。
瑠璃は一瞬だけ目をまるくして王子を見上げた。男は自分より、頭半分ほどは背が高い。
(……が、まあその程度か)
すぐに心の扉を閉ざす。
あの玻璃兄に比べたら、こんな男はほとんど幼児みたいなものだ。実際、自分の欲望に任せ、好き放題に周りに女を侍らせているのがいい例ではないか。
玻璃兄は、そんな不誠実な真似はなさらない。
あのユーリ殿下とやらがどう思っているかは知らないが、兄上はこの世の誰よりも清らかで真のお心を持つお方なのだから。
(そうだとも。私の……わたしの玻璃兄は──!)
瑠璃はぎゅっと唇を噛みしめた。
心配そうにこちらを見下ろしてくるアルネリオの第二王子の視線などまるで無視して、再び大股に歩き始める。
「ああ、お待ちを──」
男の声が背中を追いかけてきたけれど、しらんぷりをして歩を進めた。
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