ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第三章 海底皇国へ

11 鯨の歌

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「まあ、『百聞は一見に如かず』と言うし。すぐに理由はお分かりになろう。そら、ご覧あれ。そう言ううちにも、もう海だ」 
「え? わっ!」

 言って玻璃が指さした先には、もう水面が間近に迫っていた。
 と思ったら、機体はあっという間に水の中に突っ込んだ。周囲をうわっと大量の水の泡が包み込む。親善使節の面々も「わっ」と驚いた声をあげた。
 今や飛行艇は水中を猛スピードで進む水中艇に変貌して、ぐいぐいと海底を目指していた。

「あっ。魚……!」

 ユーリは目を輝かせた。
 飛行艇の脇を、たくさんの魚の群れが泳いでいるのだ。魚群は大きな塊となり、ぐうっと巨大な球状になったかと思うと、急にひょいとうねって蜷局とぐろを巻く蛇のようになったり、魚のような形になったりしている。
 いつまで見ていても見飽きないような、おびただしい変化だった。
 ユーリは感嘆の声をあげた。

「すごい数ですね。なんの魚ですか?」
いわしだな。ああして大きな群れで泳ぎ、全体で巨大な魚のふりをして外敵から身を守る」
「へええ……」
「大方、いまこの飛行艇ふねがそばを通ったので、警戒しているのだろうよ」
「ふうん。賢いものですね……」
 本気で感心していたら、玻璃は満足そうにユーリを見やって、なんとなく優しい目になった。
「すべては生き残るためだからな。あらゆる生き物はそのために、それぞれの賢さを身に着けている。それに、海の世界は広い。まだまだ、我ら人間のあずかり知らない知恵を潜めているのではないかと思うぞ」 
「なるほど……。あっ、あれは? 玻璃どの」

 ユーリはまた別の方向を指さした。はるか向こうに、先ほどのよりもずっと大きな魚影がぼんやりと見えてきたのだ。
 目を皿のようにして腰を浮かせたユーリに、玻璃が自然な仕草で顔を近づけてきた。

「ああ、鯨の親子だな。この季節には、ああしてこのあたりを回遊している。子育てをしながら、餌の豊かな海域を巡るのさ。あれは毎年見る雌だ」
「へええ……」

 雄大な体を水にあそばせて、目の覚めるような巨体が悠々と水の中を泳いでいるところはまことに壮観だった。そのすぐそばを、親の三分の一ほどの大きさの子どもがついて泳いでいる。
 甘えん坊なのだろうか。すぐそばにぴたりと寄り添って、決して離れようとしない。

「わあ……」
 ユーリはもう我慢できずに立ち上がっていた。そのまま壁際まで駆け寄る。玻璃がすぐにあとに続いた。
「あれ、まだ赤ちゃんだ。そうですよね?」
「ああ」
「ふふっ。甘えてる……。可愛いですねえ」
「うん。良かった」
 玻璃がにこりと笑ってユーリを見た。今はすぐ隣に立っている。
「そなたに見せてやりたかった」
「え……」

 それは、深い声だった。なんとなく、心からの優しさが滲むような。
 ユーリは思わず彼を見た。
 今やユーリは、彼の吐息が掛かるほどに玻璃にぴたりと体を寄せて立っている。玻璃はいつのまにか、ごく自然な仕草でユーリの腰を抱きよせていた。

「この海は、まだ十分に豊かなのだ。我らには、まだ時間が残されている──」
「えっ……?」

 なんだろう。
 なんだか意味深な言葉に聞こえた。
 と、玻璃がさりげなく片手を上げた。すると、急に周囲に不思議な音が広がった。
 きゅうん、とか、ぎぎい、とかいう奇妙な音声が室内にこだましている。うおおん、という鍾乳洞にでも響くような音も含まれていた。
 親善使節の皆も、不思議そうに周囲を見回している。

「あのう。これは?」
「人間の耳にも聞きやすく調整した、鯨の声だ。かれらはこういった方法で互いに連絡をとりあっている。相当に離れた仲間とも、こうして交信しているらしいぞ」
「へえ……」

 同様の説明が、海底皇国側の文官らしい男から使節の皆にもなされている。
 ユーリは目を閉じ、じっと耳を澄ませてみた。
 聞いていると、高低差がありながら、とても心地のいい響きに思えた。

「今のは子どもが、母親に乳をねだっている声だな」
「えっ。そうなのですか」
「ああ。おっしゃる通り、かなり甘えん坊のようだ」
 ユーリは思わずくすっと笑った。
「優しい母親なのですね。子ども、やっぱり可愛いなあ」
「ああ」

 玻璃がユーリの腰を抱く手に、また少し力を加えたようだった。

「しかし、ひとつだけ異論があるな」
「は? なんでしょう」
「あれよりも──」

 ちらりと鯨の親子を目で示している。

「そなたの方が、よほど可愛い」
「え──」

 腰をさらに抱き寄せられて、ユーリの胸はとくんと跳ねた。
 上からちゅ、と軽く音をたてて、こめかみあたりに唇が触れてくる。

「なっ……なな、なにを!」
 慌てて玻璃の胸を押し戻す。
「やめてください! みっ、皆が見ておりますので」
「ご案じ召さるな。彼らに我らは見えておらぬ」
「えっ?」

 目をぱちくりさせて見返すと、玻璃はやっぱり優しげな眼差しで笑っていた。

「皆、気づいてはおらぬだろうが。あちらとこちらの間に、見えないとばりが下ろしてある。そこに、座ったままの我らの映像が映し出されているのだ。ここにいる我らの姿は彼らには見えておらぬ。無論、音も遮断してある」
「え、……ええ?」

 改めて親善使節団の皆を見やると、確かに彼らは誰ひとりこちらを見ていなかった。そもそも、驚嘆すべき外の景色を息を呑んで見つめている者がほとんどだ。中にはちらりと背後を見る者もいたけれども、その視線はこちらではなく、先ほどユーリたちが座っていたソファの方に注がれている。
 なるほど、玻璃の言葉は嘘ではないらしい。

「……そ、そんなこともできるのですか」

 色々とずるい気がする。
 ロマンが退席したのをいいことに、わりと好き放題ではないか、この皇子。
 ちょっと下から睨み上げたら、玻璃はふはは、と笑って見下ろしてきた。

「そういうお顔も、なかなか可愛い」

 わけのわからぬことを言い、再び腕に力を込めてユーリの腰を抱きよせる。
 今度は彼の唇が自分のそこを目指してきているのがはっきり分かって、ユーリは慌てた。

「ちょ……ちょっと!」
「お嫌か?」
「そ、そういうことではなくっ……むぐっ?」

 焦ってじたばたしているうちに、難なく唇を塞がれた。
 最初はついばむような軽い口づけ。だがすぐに、あの時のような噛みつくようなものに変わっていく。

「んっ……んううっ」

 やがて熱く舌を絡められて、あっさりと足の力が抜けそうになった。

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